考古学の定義・目的いろいろ縄文学研究室トップ

□はじめに

 考古学とは何か。簡単あるが、基本的な問題であり、100人の研究者がいれば100通りの答があるはずのものである。
 そこで、考古学の定義・目的について書かれているものを集めてみた。今後随時追加していくつもりである。
 日本考古学に関わるものを中心に、定義・目的のみではなく歴史学との関係や考古資料の説明なども含めて収録した。収録にあたっては、できる限り原文を尊重したが、傍点等は省略し、旧字は新字に改め、年号は算用数字に改めた。

辞書・事典
 広辞苑 大辞林 大辞泉
考古学者
 チャイルド 坪井正五郎 三宅米吉 浜田耕作 大場磐雄 原田淑人 八幡一郎 小林行雄 藤田亮策 大井晴男 斎藤忠 横山浩一 角田文衛 江坂輝弥 鈴木公雄 戸田哲也

□辞書・事典

◆ 広辞苑
こうこがく【考古学】(arch(a)eology)遺跡や遺物によって人類史を研究する学問。古く古物学ともいった。→先史学

せんし【先史】文字資料の出現に先立つこと。また、その歴史。史前。
−がく【先史学】(prehistory) 先史時代のことを研究する学問。先史考古学とほぼ同義であるが、より広く人類学などの研究をも含む。史前学。
−こうこがく【先史考古学】先史時代を遺物・遺跡によって考究する学問。←→歴史考古学

れきし【歴史】1人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。またその記録。(以下略)
−こうこがく【歴史考古学】考古学の一部門。先史考古学に対して、文字資料の豊富な歴史時代を研究する。
(新村出編『広辞苑』第5版 1998 岩波書店)

◆ 大辞林
こうこ(かう−)@【考古】遺跡、遺物によって過去の文化を研究すること。「−資料」 −がくB【考古学】〔archaeology〕遺跡、遺構、遺物を考察することにより過去の人類の文化を研究する学問。→先史学

せんし@【先史】文字が使用される以前の時代。有史以前。史前。 −がく【先史学】先史時代を考古学的方法によって研究する学問。先史考古学。史前学。
(松村明編『大辞林』第2版 1995 三省堂)

◆ 大辞泉
こうこ【考古】(カウ−) 古い時代の遺跡や遺物によって、当時の生活様式や文化の状態を研究すること。「−資料」 −がく【考古学】遺跡や遺物によって、古い時代の人類の生活文化を研究する学問。
(松村明監修『大辞泉』1995 小学館)

◆ 平凡社大百科事典 →横山浩一
◆ 日本大百科全書 →角田文衛

□考古学者

◆ チャイルド (V.Gordon Childe ロンドン大学教授 1892-1957)
 考古学は、補助学といった貧相なものではなく、歴史学の源泉ともいうべきものである。したがって、その資料は本質的に歴史の資料であって、文献記録の単なる挿絵ではない。つまり、ほかの歴史家とまったく同じように。考古学研究者の任務は、時代と社会環境の産物であるわれわれ人類、そのわれわれの住む人類社会の形成過程を調査し復元することにある。考古学の資料は、人間の行為から生ずる物質界のあらゆる変化、簡潔にいえば人間行動の一切の痕跡を包括するものであって、その総体をここでは考古学的記録 archaeological record とよぶ。もし文献記録に立脚する通常の歴史学と考古学的記録に立脚する歴史学との間に外見上多少の差異が見られるとすれば、それはこの考古学的記録が一定の特質と欠陥をそなえているからに他ならない。
(A Short Introduction to Archaeology,1956 近藤義郎・木村祀子訳『考古学とは何か』1969 岩波新書)

◆ 坪井正五郎 (1863-1913)
 本会規則第一条に曰く「本会は同士相集まり本邦考古学の研究に従事するものにして、其の目的は主として遺物遺跡に拠り本邦歴世の風俗、制度、文物、技能を明らかにするに在り」と、換言すれば、彼様なる研究をする人々の団体に考古学会と云ふ名を負はせたのでござります。考古学会とは考古学の会では無く考古学的研究方法を本邦の事物に適当することを務める会で有るとは云うものゝ考古学の何たるを知らぬ者、或は考古学に関して自分の意見を定めて居らぬ者は手も出せず、口も出せぬ筈でござります。若しも昔の事さへ云へば直に夫れが考古学、古物の事さへ云へば直に夫れが考古学と云ふ様に思ひ、考古と好古との別も辨へず、考古学と史学と何所が違うかも知らずして、慢に考古学考古学と云ふ人が有ったならば、考古学は実に其人の為に踏み潰されたと申しても宜しいでござりませう。
(略 西洋の各説を紹介しそれらが一致していない事を指摘)
 他人は知らず、私は私で意見を定めて居るのでござります。私は未だ先進者の説中、成る程と感ずる様なものを見出しませんから、兼ね兼ね唱へて居つた事を繰り返して左に記します。「古物古跡の研究は能く口碑史伝の正しきを慥め、不明なるを明にし、誤れるを正し、足らざるを補ひ、また全く欠乏したるを考え出す基と成ります。此目的を以て古物古跡各の性質、互の関係、是等に因て推知可き古代の有様等を究むる学問を考古学と申します。」是は明治22年に青山の東京英和学校で述べた言葉(「文」に掲載有り)。「全体考古学と云ふのは何であるかと云へば、古い品物や、又は様々の古跡に就て、往昔のことを考へ極むる学問であります。往昔の事を知るには文字を以て書き留めた歴史に依て見ても分かりますが、併し乍ら其れに見えない事柄、即ち歴史上には確に見えぬ事が、様々の古器物や古跡を調べると知れる事が有ります。故に考古学は歴史との関係に由つて三つの部分に分つ事が出来る。第一、歴史上判然と分つて居る事柄でも、或は誤謬の有る事が有るが、古物や古跡に就て調ぶれば、其誤りを正す事が出来る。此目的を以て穿鑿するのを、有史考古学と云ふのです。第二は歴史に少しは書いて有るが能くは事実が分からぬと云ふ時代の事は古物古跡に拠つて明かにする事が出来ます。斯くの如く歴史の極始めの時代の事を穿鑿する部分を名付けて、原史考古学と云ひます。第三其れより以前の事は歴史に書いて無い。其無い事柄は古物古跡に拠つて知るより外に仕方が無い。故に是等の物に就て穿鑿しますが、此部分を先史考古学と申します」。是は明治27年に番町の静修女学校で述べた言葉(「婦人教育会雑誌」に掲載有り)。
 右の主意を以て考古学の定義を作って見れば即ち次の通り「考古学は古物古建設物遺跡等に関する実地研究を基礎として当時の事実を正確に推考するを務めとする学問なり。」西洋在来の定義では実物に拠らない考でも古い事で有りさへすれば考古学範囲内のものとして有るのでござりますが、是は此所彼所で別々に興った古事研究に考古学の名を引延ばして冠せらたからの事で、決して、他の学科に任せて置けぬ研究事項の存在を認めて、其れ等の為に新学科を設け、然る後に範囲を定めたと云ふ様な次第ではないのでござります。学科分類の理屈に適はなくても宜しい、趣旨が曖昧でも構はない、西洋在来の説に従つて居れば好いではないか、何とも制限しない方が気楽で有る、元々慰み半分に仕て居るのだからヤカマシクないのが結構、と斯う云ふ様な浅はかな意見(?)を持つて居る人はいざ知らず、考古学の学の一字、考古学会の学会の二字、考古学会雑誌の学会雑誌の四字に心を留める人々の多数は私の云ひ表はした定義に異議を挟まないでござりませう。併し物事初から完全は期し難い。私は今直に諸事自説通りに行ひ度いと云ふのではござりません。又他人の意を強ひて動かす事は為し難い。私は誰れ彼れ無しに総て自説通りに思はせやうと云ふのではござりません。私の定義を是認して追々夫れに近づく方針を採らうと云ふ人が有れば私は同情者を得たと 云ふ点に於て満足致します。若し又私の定義を否認して論をを闘はせやうと云ふ人が有れば私は好敵を得たと云ふ満点に於て満足致します。
 従来本誌上に現れた文章を見ますのに往々記録や伝聞に重きを置いたものがござりますが、私は記録や伝聞はホンの傍証参考として引くに止め、考古学的研究に於ては何所迄も実物に関する智識、実地に兢ての智識と云ふ事に重きを置くのが正当と考へます。
(「考古学の真価」『考古学会雑誌』1-8 1897 引用は『日本考古学論集』1より)

◆ 三宅米吉(1860-1929)
考古学会趣意書
 本会は同士相集まり本邦考古学の研究に従事するものにして、其の目的は本邦歴世の風俗、制度、文物、技能を明らかにするにあり。
 研究の主要なる材料は遺物遺跡なると言を待たずと雖、古図書、古記録亦参考に資すべし。
 遺物遺跡の種類固より際限なしと雖、今便宜の為効用に就て分類し其の主要なるものを挙ぐれば、服飾、食具、家屋、家具、舟車、度量衡、貨幣、農具、工具、漁猟具、文具、楽器、美術品、遊戯品、儀式具、祭器、仏具、武器、刑罰具、墳墓、喪儀品、印章、碑銘、書巻印本の類なり、或は物質を以て土器、石器、金器、木具、漆器、陶器、織物等に分ち、或は技術を以て建築、絵画、装飾、彫刻、木工、金工、絲工等に分つも可なり、畢竟総べての遺物遺跡を網羅して余すことなきなり。
 研究の方法は、或は単に一物品の所在、性質、形状等を調査するあり、或は数個の物品を比較して其の関係を考究するあり、或は一物に就て成るべく多く諸般の知識を探求するあり、或は一種類の物品に就て其の油袋変遷を穿鑿するあり、是れ皆固より緊要なる研究なりと雖、是等は考古学の大目的を達するの材料を供給するに止まり、未以て此の学の本分を盡くせりとす可らず、考古学は更に進みて各時代のあらゆる事物を総合して時代時代の社会の有様を故の如く構成し、以て後人をして一目瞭然前代の世態を知らしむべきものならん。且又世界の国国は多少交通して互いに影響を及ぼすものなり、本邦の風俗、制度、文物の中其の源を外国に発するもの少なからじ、其の源に遡りて其の由り来る所を尋ぬるは亦考古学の常に務むべき一要件なり。考古学の研究すべき事項此の如く多し、而して考古学と云う学科は未大に発達せざる者なり。故に是等の研究と同時に又其の研究の方法をも講究して此の学の発達を計らざるべからず、是をなすには此の学の歴史を尋ね、又欧米諸国に於ける此の学の状況をも参考するを緊要とす。されば本会の事業の主なるものは左の如し。
 一、遺物、遺跡(古図書・古記録)に就ての知識を蒐集すること。
 二、是等諸物の一個若しくは数個に就て学理的に研究すること。
 三、或種類の事物の変遷を考究すること。
 四、源を外国に発するものヽ由来を穿鑿すること。
 五、歴世社会あの有様を漸次総合構成すること。
 六、考古学研究の方法を講究し此の学の発達を計ること。
(『考古学会雑誌』第1編第1号 1896 引用は『日本考古学選集』1 三宅米吉集より)


◆ 浜田耕作(1881-1938)
 斯て吾人は斯学を定義して、
 「考古学は過去人類の物質遺物(に拠り人類の過去)を研究するの学なり」(Archaeology is the science of the treatment of the material remains of the human past)
 と言わんと欲す。然らば即ち人類の物質的遺物とは何ぞや、是れ過去人類の残せる一切の空間的延長を有する物件を指すものにして、史学の主として取扱ふ所の文献的資料と対するものなり。即ち自然科学と対立する可き文化科学の研究方法中、文献学的方法と共に、他の一半をなす可きもの、即ち此の考古学的方法に外ならざるなり。(第1編第1章5)

吾人考古学の定義に於いて、人類の過去を研究すと云へるが、さて過去の如何なる方面を研究するかに就きては之を限定せざりき。是れ、其れの限定するの必要を見ざりしを以てなり。考古学は一の纏まりたる内容を有する科学と称するよりは、寧ろ物質的資料を取り扱う科学的研究方法と云ふを当れりとするを以って、此の方法によって其の研究する所は如何なる方面にも可なり。美術史家は以って美術の様式、製作の法式等を研究す可く、宗教史家は以って宗教的観念、儀礼の変遷等を研究す可く、社会学者、文明史家其他百般の専門学者各々此の方法に拠りて其の資料を適用す可きなり。漠然と「人類の過去を研究」すと定義せる所以茲に存す。(第1編第2章10)
(『通論考古学』1922原版 引用は復刻版より)

 いったい、考古学という学問は、人間が世界にあらわれて以来、今日にいたるまでの長い年月のあいだに、この世界中にのこしたいろいろな品物、これを私たちは遺物といっておりますが、その遺物によって、人間の過去の時代の生活のもようだとか、文化の状態だとかを研究する学問であります。しかし、新しい時代になるほどいろいろの書き物などがのこっておりますので、それによってむかしのことがたいていわかりますから、遺物ばかりでしらベる必要はありませんが、ずっと時代が古くなり、書き物があまりなかったり、またまったくない古い時代になりますと、どうしても遺物ばかりで研究するほか方法はありません。
 それで考古学では、遺物ばかりで研究しなければならぬごく古い時代、あるいは遺物をおもに使って研究しなければならない古い時代のことを、もっぱらしらべていくのであります。
(「考古学という学問」『考古学入門』1929原版 引用は講談社学術文庫版より)

 例へば文献的資料を以て研究する場合は、之を狭義の歴史(History)と称するのであつて、考古学は其のうち記念物的(Monumental)即ち物質的遺物(Marerial remains)を資料として、研究する場合にのみ限られるのであつて、我々に考古学を解して、「物質的遺物を以て人類の過去を研究する科学」と定義するのを以て、最も適当と考へるのである。或は又た考古学は自然科学と対立する文化科学の研究法中、文献学的方法(Philological methods)と共に、他の一半をなす方法であつて、物質的遺物を共の資料とする研究法、若しくは研究的態度であると言つて差支はない。
 扨て然らば物質的遺物とは如何なるものを指すかと云ふに、是は一切の空間的延長を有する人類の意識的加工品の外、人類が無意識的に残したる各種の証迹をも含有するのであつて、大は建築物から彫刻絵画各種の工芸品等凡て共の中に入らざるものは無い。我々は此等の遺物を便宜上遺跡と狭義の遺物とに分ち、前者には市街、住居、頃墓等の大なるものを含め、後者には土器、武器等形態の小さなものを含めるのであるが、是は固より両者の問に確然たる区別をすることは不可能であつて、たゞ概然的の分類に過ぎない。又た人類の過去と云ふ過去の範囲は、何時から何時までを指すかと云ふに、或る意味に於いては、ド・モルガン(de Morgan)氏の言の如く現在以前の一切の過去、人類の出現した時以来を包括してもよいのであるが、文献の具備してゐる近代の事物は、寧ろ文献を主として研究することが出来るので、考古学は文献の全く欠けてゐる、若しくは文献の稀少なる古代の時代、即ち各国の歴史に於いて、略ぼ古代史の時代と其の以前の時代を主として研究するのを以て普通とするのである。そこで文献の全く欠けてゐる時代を研究する考古学を、我々は先史考古学(Prehistoric archaeology)と云ひ文献記録の存在してゐる時代のそれを歴史考古学(Historic archaeology)と呼びならはしてゐる。
(「考古学研究法」『考古学講座』10 1927 引用は『日本考古学論集』1より)

◆ 大場磐雄 (1899-1975)
  考古学は過去人類の残存に係る物質的資料(遺物)を組織攷究して過去の文化を追求するの学である。
 上述の如く考古学はその対象が過去人類の残存資料であり、その目的が文化の攷究に存する点から、その所属を文化科学(Kulturwissenschaft)の中に含めることは言ふ迄もあるまい。然しながらその対象とする資料の内容は、他の史学や民族学等におけると頗る趣を異にし、単に人類の工作品のみならず、多くの自然物を存し、又資料の存在状態等から見ても、その研究方法には多分の自然科学的観察を必要とするのである。この点上述の諸科学と些か性質を異にするといふべきであろう。
 次に学問には各々その対象の如何により、又は他の同じ目的を有する学問との交渉等によって、おのづから分野に限定が与へられるのである。即ち考古学に於ても亦同様、等しく過去人類の物質的資料と言はゞ、人類の発生以来昨日迄の遺物全部を包含し、活躍の範囲は頗る広汎に亙るのであるが、事実は自然若干の制約を生じ、各々その活用すべき舞台が異なるのである。故に人類の出現が何万又は何億の古代にあっても、地上にたゞ骨格のみを存し、その他の遺物を認めることの出来ない当時のものは、古生物学に委ねるべきであり、又人類の進歩漸く顕著となり、正確な記録文書が具有せされ、文献資料によって当時の文化を攷究するに充分な時代に於ては、これを史学の手に譲渡すべきであらう。即ち考古学の主な活動範囲は、上限を人類の器具使用時代に発し、下限を記載された歴史の存在する初期迄となり、従って  
(『日本考古学』19)
◆ 原田淑人(1885-1974)
 宇宙万物の本質を明かにしたいということは人類の本能であり、又そうさせることが人類の義務でもある。まして人類が今日の文化段階に到達した経路を知ることは人類それ自体の当然な責任というべきであろう。人類過去の文化を調べるにはこゝに二つの方法が取られる。その一つは人類の遺した文献即ち文書記録の頼によるものであつて、これは主として史学の領域に属する。他の一つは同じく人類の遺した有形的記念物即ち衣食住その他人類の行為から生じた一切の物質的遺物によるものであつて、これが主として考古学の領域に属するのである。此二つの方法はいわば車の両輪のようなもので、両々相供つて人類文化の発展経路をたどり得るのである。前者は文献が具備した時代、従つて時代が降れば降るはどその本領が発揮され、後者は之に反して文献が具備しない時代、従つて時代が昇れば昇るはどその本領が発揮されるのである。此意味に於いて考古学の領域は西洋ならばビザンチン時代、東洋ならば隋唐時代、又わが国ならば飛鳥奈良時代が先ずその下限とされるであろう。併し文献は文字の使役であつて、物質文化の表現は兎角抽象的に流れ易い。だから文献の具備した時代でも、考古学的調査研究は何処までも必要となるわけである。
(「考古学叙説」『日本考古学入門』1950 吉川弘文館 引用は『日本考古学論集』1より)

◆ 八幡一郎(1902-1987)
 考古学は文献や伝承の絶無あるいは寡少な時代または地方の住民を、かれらの遺した生活文化の痕跡−遺跡や遺物−によって、歴史的に明らかにしようとする学問である。その限りでは従来の文献史学と一応異なった学問であり、文化史や民族史に近いといえる。しかしいずれにしても考古学もまた広義の史学の一部だということができよう。
 考古学は「鋤の科学」と呼ばれることがある。考古学の資料は地下に埋蔵されており、これを発掘し発見すること基礎をおくので、鋤の力によって成立つ学問だという意味である。だからこの表現は、われわれの足の下の大地の中に、考古学を成長させる無限の資料が、包含されてることを暗示している。
(「考古学概説」日本大学通信教育部 1957 引用は『八幡一郎著作集』より)

◆ 小林行雄(1911-1988)
 ・・・古物の学問という意味のギリシア語から出たArchaeology(考古学)という言語の意味からいっても、わが国でも明治初年にはこれを古物学と訳していたように、過去の概説書が古物−遺物の記述に力を用いたのは故なきことではなかったのである。
 しかし、いうまでもなく、考古学の目的とするところは、文献史学・民俗学と並んで、歴史学の樹立を究極の目的とする研究の一分野であるべきである。「考古学は過去人類の物質的遺物により、人類の過去を研究する学問である」という、語り古された定義には、今日なお変更の必要は認められない。とすると、遺物研究の学問から人類の過去を研究する学問への方向に、より近づけようと念じた自分の企てもその結果が誤っていなければ許されてよいのではあるまいか。
 ・・・日本考古学とは日本古代史研究の一方法であると信ずる・・・
(『日本考古学概説』「はしがき」 1951 創元社)
こうこ−がく 考古学 arhaeology
 遺物により人類の過去の文化を研究する学問ギリシア語のアルカイア(古物)+ロゴス(学)からでた語。明治時代には「古物学」と訳されたこともある。研究の対象が「人類」の過去にあるという点から、これを人類学の1部門とする考え方が古くからあり、アメリカではいまも人類学の1分野としている。しかし、一方では人類の「過去」を研究するものとして、文献学、民俗学とならべて歴史学の3研究法の一つともいわれている。考古学は人類学として自然科学的な性格をみとめられ、歴史学として文化科学的な性格をみとめられるところに特色がある。学問の本体は不動であるとしても、研究に従事する学者の教養によって、自然科学的な面や文化科学な面が態詞されて表面にでてくることはさけがたい。(中略)実際にある遣物を研究してゆくと、その遣物の材質や製法の判定の段階において、すでに他の科学の援助を必要とすることになって、考古学とは多くの学問の寄合世帯ではないのかというような感じも生じてくるが、型式学的・遺跡学的・民族学的の3研究法の鼎立のうえにたつかぎり、考古学の独自性はみとめられる。
(『図解考古学辞典』1959 東京創元社)

◆ 藤田亮策(1892-1960)
 史学も考古学も、過去の人類の生活と文化の変遷を研究するという目的は一つである。しかし19世紀初までの歴史学の雑然たる研究法と異なり、今日の科学としての史学は、主として文献を持つようになってからの時代につき、文献の記述に基づく事実を精密に研究し、過去の生活と文化とを正しく知ることを目的とする。よってこれを文献学的研究法という。文献の無い民族とか時代につきては、僅かに間接的の知識が得られるだけであり、科学的歴史研究は困難で、民族学・土俗学・伝説口碑または考古学の研究の結果を借用するより方法はない。
 考古学的研究法とは、一部の人々の考えているように、文献の無い年代または民族、或は文献の乏しい頃だけを取扱うのでは無い。文献の有無に拘りなく、過去の人類に関係ある遺物・遺跡を解剖し総合して、その遺物遺跡の出来た頃の真実を知らんとするのである。考古学に於ける遺物と遺跡とは史学に於ける文献に相当する。従って文献の豊富の年代につきては、考古学者は文献をも一種の遺物として尊重するが、文献以外の「物」の比較研究により、文献の示す事実を訂正し或は証拠立てる。ヨーロッパに於いても、メロウィンガ朝考古学とか中世考古学かあり、中国でも文献の多い漢・六朝・唐・宋代に考古学的研究が活躍し、日本の城郭・石塔・石仏の調査も、歴史時代ではあるが考古学老が研究している。都城址・寺址・庭園址等は、もっと新らしい時代まで考古学的に調査が進められている。
 しかし何と言っても文献時代につきては史学による文献研究が優先的で、考古学的研究は補助的になるのは止むを得ない。政治の動向とか社会制度を遺物によって知ることは困難で、宗教の伝播方向や儀器・教具・殿堂等は考古学で知り得ることが多いが、教義とかその解釈は文献にたよるより外ないのである。
 文献の全く無い年代とか文献を持たない民族につきては、考古学の研究法が唯一のもので、人類の出現以来の永い代がこれに当る。文字はあっても文献の遺されたものが稀少であるか、文献はあっても読むことのできないものは、考古学者の助を借りる必要がある。
(「考古学の意義」『歴史教育』8-3 1960 引用は『日本考古学論集』1より)

◆ 大井晴男
 われわれは今、考古学を「過去の人間の遺跡・遺物によって人類の歴史を研究する学問である」と定義することができるであろう。そして、その目的とするところは、過去の人類の遺跡・遺物を考古学的方法をもって処理することにより、それらの歴史の資料としての性格を回復させ、それらを総合してその背後にあった人間あるいは人間集団の性格を解明し、さらに時間的なまた地域的な人間・人間集団の相互の関係をとらえ、人類の歴史を確認することにあるということができるであろう。そして、それはさらに、人間・人類の本質的理解にいたる一つの道程ともなり、将来への発展の裏づけともなるであろう。
 うえのように定義するとき、一般に考えられている歴史学、あるいは文献史学との関係が問題となりうるであろう。(中略)これら二つの歴史学研究の方法の差は、単に過去に生起した事実の認定に達するまでの過程のちがいであり、それらを材料として、それらの歴史的な性格・位置を考え、歴史のなかで評価し、歴史的意義を解明する過程においては、まったく同じ方法論によって、同じ操作を必要とするものであるといえよう。
 このようにして、私は、私を含めて考古学を研究し、あるいは研究しようとする人々に、考古学者である以前に、あるいはその必然的な前提として、まず歴史学者であることを求めたいと考えるのである。
(『野外考古学』1966 東京大学出版会)

◆ 斎藤 忠
 文書・記録・典籍などの文献資料も物質的資料である。絵画・工芸・彫刻などの美術資料も同様であり、建造物などの建築資料も、民具などの民俗資料も同様である。考古学の対象とする物質的資料は、他の学問の対象とする物質的資料から分化させ、より焦点をしぼらなければならない。
 一方、これらの物質的資料には伝世的なものと埋蔵的なものがある。後者は土中とか水底に埋もれ、人目につかぬまま現在に伝えられたものである。考古学はこれら埋蔵的な性格の物質的資料を新たに顕現させ、正碓に記録することに独自な研究法をもっている。したがって、考古学の対象となる物質的資料は、埋蔵的な性格の資料を、発掘という手段によって顕現させ、整理し、組成し、記録することに、他の学問の分野と異なった独壇場があり、研究の妙味があるといってよい。(中略)
 人類の過去は、人類が地球上に登場した当初から現在の一瞬の以前まですべて過去である。しかし、考古学上の対象とする物質的資料が、遺跡・遺構・遺物の名でいわれるものである以上、それは埋存したりまたは伝世のものでも未使用のままおかれたりして、現在の用途または形体と隔絶し、あるいは変化しているものであり、過去といっても、ある、さかのぼった時期と考えなければならない。
 人類が出現し、道具を用いた時代から原始社会または古代社会の一部までは、過去の中でも人類の歴史を知る文献が全くなく、また、あったとしても不十分なものである関係で、考古学の分野として最も活躍すべき時代であることはいうまでもないが、たとえ文献が豊富な中世や近牡・近代においても、遺鉢・遺構・遺物としての資料がある以上、考古学の活動の舞台であることはいうまでもない。しかもこれらの物質的な資料の上から、文献で知られぬ過去の人類の生活や文化はもとより、歴史事象にも触れることができるのである。
 以上のように、考古学の取り扱う物質的資料を整理し、あわせて考古学の対象としての人類の過去の範囲を考えたのであるが、これは要するに、考古学は過去の人類の残した物質的資料、すなわち遺跡・遺構・遣物を研究し、これによって彼らの生活行動や文化の契態を明らかにする学問である。
(『考古学概論』1982 吉川弘文館)

◆ 横山浩一
 考古学の定義について世界中の考古学者の問に完全な意見の一致があるわけではないが、最大公約数に近いものをとると、
  考古学とは過去の人類の物質的遺物を資料として人類の過去を研究する学問である
ということになる。これは日本における考古学方法論の古典的名著、浜田耕作『通論考古学』に記された定義を口語に書き改めたものである。
 この定義を、先に述べた専門家以外の人の下す定義と比較してみると、「原始時代」とか「大昔」というような時代を限る言葉が入っていないことに気づくだろう。あるのはただ「人類の過去」というはなはだ漠然とした言葉だけである。現実の考古学的な研究活動が原始・古代に集中しているので、考古学は古い時代のことを研究する学問だと思われがちであるが、理論的にはそのような制限はない。考古学が取り扱う時代は、人類が地球上に出現してから、現在のこの瞬間にいたるすべての時代にまたがるのである。(略)
 アメリカでは、考古学を人類学の一部門として位置づけている。しかし、日本をはじめ多くの国ぐにでは、考古学を歴史学の一部門とする考えが主流を占めており、本書もまた、この立場に立って書かれている。考古学が歴史学の一部門であり、しかも、取り扱う時代に制限がないとすれば、なにによって考古学は他の歴史学の部門と区別されるのであろうか。それは、取り扱う資料の種類によって区別されるのである。歴史学の資料としてよく使われるのは文献資料である。また、言語や地名、風俗習慣、芸能などの民間伝承も歴史の資料として活用でさる。しかし、考古学が使うのはこの種の資料ではない。考古学がもっぱら用いるのは物質的資料であり、そのことによって考古学は他の歴史学の諸部門と区別されている。
(「考古学とはどんな学問か」『日本考古学を学ぶ(1)』1978 有斐閣)

こうこがく 考古学 arhaeology
 物質資料を用いて人類の過去を研究する学問。(略)
 考古学が利用する資料は、人間の活動に関わるすべての物的証拠である。(略)物質資料以外にも人類の過去を研究する資料としては、文字で記された文献資料、風俗習慣・伝説などの無形の民俗資料があり、それぞれ狭義の歴史学(文献史学)、民俗学の資料となっている。しかし、文献資料は当然のことながら文字発明以後のものしかあり得ない。民俗資料はその起源が古くても、伝承されている間に変化しており、それによる過去の復元には限界がある。これらの資料に比べると、石器のように腐朽しない材料で作られたものは、条件さえよければ何百万年でも形を保ち得るので、考古学者は人類史のあらゆる段階にわたって同時代資料を入手できる可能性を持っている。(略)考古学の役割は文献の全く無い先史時代(先文字時代)の研究に尽きるのではない。文献がわずかながら残っている原史時代(原文字時代)、文献が豊富に残っている歴史時代(文字時代)においても、すべての生活分野について詳しい文献があるわけではなく、また文献にはしばしば筆者による意識的・無意識的な事実の歪曲が見られるので、新しい時代についても文献の欠陥を補うために考古学的研究が必要である。(略)
 考古学の属する上位の学問区分については、歴史学とする立場と人類学とする立場とがある。(略)日本は考古学を歴史学の一部門と見なす考えが最も徹底した国である。これは日本の場合、先史時代から現代までに連続した歴史の筋道をたどりやすいからである。(略)
(『平凡社大百科事典』1984 平凡社)

◆ 角田文衛
考古学 こうこがく
〔考古学の概念と本質〕現在、アメリカの考古学者や社会人類学者を例外として、一般に採用されているのは、「考古学は、遺跡遺物によって人類の過去を研究する学問である」という定義である。これは、1899年イギリスのホーガスD.G.Horarth(1862-1927)が提案し、日本では浜田耕作が採用した定義であるが、現代ではこれに反対する風潮も強い。なぜならば、遺物・遺跡を資料としようと、文献を用いようと、人間の過去を研究する学問は歴史学だけであって、考古学ではないからである。この定義の背景には、歴史学は文献に基づいて歴史を研究するといった19世紀的な考え方が伏在しているのである。
 今日、研究の実情に即した定義を思索してみると、最も適切なのは、考古学を古代遺物学と規定することである。遺物学は、歴史学の一部門をなす史料学の一分科であって、遺物・遺跡を通じて歴史学の研究を補助する方法学である。考古学は、文献を資料とする文献学とともに史料学の双手をなしている。古代に関する遺物学が「考古学」の名で強く前面に押し出されているのは、200万年にもわたる古代には同時代的文献が 全くないか、あっても数量的に限られているからである。それだけに、歴史を研究する上での古代の遺物・遺跡のもつ比重は大きい。中世考古学、産業考古学といった用語も見られるが、それらは正しくは中世遺物学、産業遺物学のことなのである。考古学即ち古代遺物学は、史料学の一分科なのであるから、考古学と歴史学とは同一平面上で相対するものではない。歴史学は歴史を研究する本質学であり、考古学は古代の遺物・遺跡を調査・研究し、それによって得られた成果を歴史学に提供する方法学なのである。
(『日本大百科全書』1986 小学館)

◆ 江坂輝弥
 今日の考古学における採集研究目的は過去人類が残したその遺構・遺物の研究に止まらず、人類が使用、利用した残滓とともにその包含層内に残存する、生活していた当時の周辺に繁茂した植物の種子、樹木片、葉、花粉などの検出調査によって植生を復原し、当時の自然環境、生活環境まで究明しています。また同一地域の時代の相違する貝塚遺跡における補採魚類の骨の調査などによって、その地域の潮流の周期的変化を究明するなど、その研究分野も歴史的観点のみでなく、あらゆる自然科学を動員した学際的な研究が要求されるように変わってきています。
(『考古学の知識』1986 東京美術)

◆ 鈴木公雄
 考古学は、広い意味で歴史学である。つまり人類の出現から文明の形成を経て、今日に至るわれわれの歴史を、総体としての人類史として再構成する役割の一部をになうものである。もちろん、文明の形成以降の歴史は、主として文字記録を扱う文献史学の主要な領域であるけれども、文明の形成以前の長期にわたる人類の歴史は、考古学的方法によってのみ明らかになる。また、文字記録が十分な歴史の事実を明らかにすることができる。それゆえ、人間の歴史を人類史という視点から眺めるときには、文献史学と考古学の総合のうえに、歴史の復元がなされるという立場に立つ必要がある。
(『考古学入門』1988 東京大学出版会)

◆ 戸田哲也
 考古学という学問は人間の歴史を研究することを目的としており、過去の人間社会一切の復元を試みようとしている。したがって地球上に直立二足歩行を行うヒトと呼べる我々の祖先が登場して以来の約300万年間が研究の対象となる。人類の歴史を追及する学問には一般に歴史学が知られるが、その主たる研究対象は文字によって書かれた文献にある。考古学はこれに対して遺跡、遺物のあり方の中から人類の行動した「場」を基本にするものであり、発掘調査という独自の方法を用いることになる。
(『グラフィティ・日本謎事典1 縄文』1991 光文社文庫)
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