管理人の日記 〜2000年8月〜先月日記トップ翌月
8月25日(金) メソポタミア文明展
 両親と共に世田谷美術館へメソポタミア文明展を見に行った。NHK75周年を記念した四大文明展については早くから全て見に行くという友達もいたが、日本以外のことはまったく分からない私は直前まで行くつもりはなかった。だが、これを機会に他国の歴史・文化遺産にも触れてみるのも面白いかもしれない。値段は高いが、長いものは12月まで行われている。1ヶ月に1つずつでもまわればいいだろう。展示されていた資料そのものの価値はわからない。1つ1つの展示品を見ているときはいろいろ考えることもあるが、いざこのように文章にしようとすると難しい。特に印象に残った点について簡単に書いておく。
 まず会場に入って、改めて日本との差を感じた。石で作られて今なお全体の形をとどめる遺跡、個々の意味・用途が明らかな遺物など。これも「考古学」なのだろうが、いろいろ異なる点があるのだろう。
 彩色土器。縄文時代と同じような時期だが、日本ではほとんど見かけない。粘土を加工した装飾はあまり行われなかったのだろうか。何で色をつけているのか。描かれているのは幾何学的な文様や、動物デザインを模様として連続して配置したものなどで面白い。
 ハンムラビ法典は今回の目玉だろう。意外に大きく感じた。どっしりとした黒光りする石に細かく文字が刻まれている。
 また、この展覧会を通じて面白かったのは円筒印章。小さな円筒を転がすと粘土板にこまかな図柄が現れる。母もたいそう気に入って欲しがっていた。(8/28)
 全般的に神を祀るための奉献品など神と王とのかかわりを示す資料が多い。当時の神はどのような神だったのだろうか?
 NHK:世界四大文明

8月?日(?) 新潟県立歴史博物館

8月12日(?) ダムに沈む縄文の村々〜奥三面遺跡群
 12日〜14日の父の実家への帰省に合わせ、奥三面遺跡群と新潟県立歴史博物館を見学してきた。引き続き97年度生徒会の集まりや98年度生徒会のキャンプなどがあったため間が開いてしまったが、以下簡単に印象を書いておこうと思う。

 私の父の実家は新潟県の高柳町。十日町市と柏崎市に挟まれた山の中の町である。小学生の頃はほぼ毎年、それ以降は2年に1回くらいは帰省している。十日町を含む信濃川沿いは火焔土器の国である。私が縄文に興味を持って以来、長岡市立科学博物館、馬高遺跡、十日町市博物館、津南町歴史民俗資料館、沖ノ原遺跡などちょこちょこと見学してきた。
 今年は、長岡市に新潟県立歴史博物館がオープンする。準備中の段階からWebサイトを通じて知ることができたが、通常の歴史展示のほか、縄文展示が行われるというので前から楽しみにしていた。
 ところで、もう1つ。新潟には気になる遺跡があった。奥三面遺跡群である。98年に話題となった遺跡であるが、その頃は遠くて行くことができなかった。しかし、今年でダムに水が入り始めるという。私としては最後のチャンスである。行っておかねばならないではないか。早速調査室に電話をしたが、公開日が決まっているという。新潟といっても山形に近いところで車で行っても片道3時間以上。東京〜長岡よりも遠い。1人で電車を使っていくとすると、村上駅からはタクシーで往復2万円程度だという。この際金は惜しくは無いが、時間がかかり過ぎである。幸い家族の理解を得て家族全員で奥三面へ行くことができた。

 新潟県と山形県の境、朝日連峰から流れ出る三面川の上流の朝日山地に囲まれた平坦地に平家落人伝承のある三面集落があった。通称奥三面と呼ばれる地域である。採集、狩猟、焼畑などによって暮らしを支えてきた民俗学的にも貴重な地域であるが、1967年の羽越水害を機に、この地にダムが建設されることになり、1985年に三面集落は廃村となった。一方、1988年からはダムで沈む範囲の全面発掘がはじまり、98年に調査が終了した。11年に及ぶ調査の結果、19の遺跡で縄文時代を中心に旧石器時代から古墳時代までの生活の痕跡が見つかっている。縄文中期〜晩期には、前田遺跡、下クボ遺跡、アチヤ平遺跡、元屋敷遺跡と、少しずつ場所を変えながら拠点集落が営まれたことが明らかになっている。それぞれの遺跡の概要については詳しく述べないので、下記のリンクなどを参照していただきたい。
 調査は既に終了しているが、遺跡群への関心は高く、朝日村教育委員会では試験湛水の始まる今年10月まで可能な限り遺跡の公開・説明を行っている。(残りの一般公開日は8/26、8/27、9/3、9/10、9/17、9/23、9/24 (団体は随時)、詳しくはこちら)。アチヤ平遺跡上段と元屋敷遺跡そして本道平遺跡を見学することができた。

 アチヤ平遺跡は、三面川と末沢川の合流地点の左岸の段丘上の遺跡で上段・中段・下段に分かれる。旧三面集落の対岸にあり、「あちらの平」という意味で名づけられたという。上段は中期末葉〜後期前葉を主体とする環状集落である。
 山深い場所であるにもかかわらず、駐車場には車が十数台とまっており、かなりの数の見学者がいた。遺跡に行く途中から川原石がごろごろしており、遺跡の第一印象は石が多いということであった。どこまでが石ころで、どこからが遺構なのか区別は難しい。当時から石がごろごろしていたのだろうか? 調査終了から時間がたっているため見づらくなっているが、掘建柱建物、竪穴住居、配石墓群などを見学することができた。残念ながら、一番見たかった敷石住居や環状配石は古代展会場へ移されており、現地で見ることができなかったが、遺跡の立地、遺構のあった場所を確認できたし、まわりの景観、海からの距離などを知ることができた。

 続いて元屋敷遺跡へ向かう。こちらはアチヤ平に続く時期の拠点集落であり、アチヤ平から3kmほど上流の川に面した段丘上に広がる。 こちらも石だらけ。竪穴住居群、掘建柱建物群、大型住居、水源、水場、配石群、墓域などを見学することができた。縄文以来の湧水は今もこんこんと湧きつづける。調査時には、調査員もお世話になったという。そこから流れ出る水の流れは、意図的に変えられていた。これを境に居住域と祭祀域・墓域が分かれていたという説明は非常に興味深いものであった。こちらは特定の山と太陽の関係は見られないようであるが、東側に聳える山は印象深い。円形配石、舗装された道は古代展会場へ移されていた。
 家族を待たせるわけにもいかないので簡単な挨拶しかできなかったが、案内してくださった方は大学の先輩であった。写真の公開の許可はいただいたが、もっとゆっくりお話を伺いたかったと思う。
 また、この遺跡からもう一段あがったところが本道平遺跡で、落し穴が残っていた。

 古代展は恐竜と遺物という奇妙な組み合わせで1200円もかかる上に、距離も多少離れている。折角の機会なのでもちろん見ていくことにしたが、小さな資料館では並べきれないような、約500点の遺物がずらっと展示されていた。土器、線刻礫、岩版、耳飾、石斧などおもしろい資料ばかりであるが、残念ながら時間の関係でゆっくり見ることはできなかったので、詳しくは触れないことにする。
 ただ、アチヤ平遺跡の環状配石や敷石住居、元屋敷遺跡の円形配石などは非常に興味深い。南関東、群馬、東北などこれまで私が見てきた遺構との共通点、差違などをじっくり研究したいと思う。このほか、安芸早穂子、さかいひろこ、小田観海の3人のイラストも展示されていた。古代展は20日まで。

 さて、このような縄文の遺跡を理解するには奥三面の民俗文化を知ることが不可欠である。調べてみようと思っていた矢先、民族文化映像研究所内の「奥三面に行こう」委員会からメールを頂いた。「山と水、人の源郷 越後奥三面 − その歴史・思想・未来を語り合う−」と題して、奥三面の記録映画上映会・シンポジウムが9月2日・3日、東京で開かれるのだという。詳しくはリンク先を参照していただきたいが、絶好の機会であろう。ぜひ行ってみたいと思っている。

 奥三面ダム(新潟県三面川開発事務所)
 奥三面バーチャル博物館
 朝日村朝日村古代展
 「奥三面に行こう」委員会


8月9日(木) 国指定年表・「ミニマムでいこう」・久しぶりの雨
 下の文章を書いているとき、国史跡・国重文の指定年を調べるのが一苦労だった。どなたか、一覧表のようなものは作成されていないだろうか? 自分で作った方が早いかな? 台帳のような形で文化庁がWeb上で公開してくれれば一番いいのだが。

 「考古学のおやつ」の萬維網考古夜話が久々に更新された。(「ミニマムでいこう」)
 話題は「考古学系サイト更新情報」。私の拙い文章を照会して頂いている。だが、文章全体としては、Webサイトについての白井さんの考えが述べられているといった方がよい。うなずくところもあれば、少し異なる意見の個所もあったが、おもしろかった。
 そこで、わがサイトを振り返ってみた。この「トピックス」は同じページ(URL)に次々に文章を加える形をとっている。しかし、これでは更新履歴からのリンクはあまり役に立たない。白井さんの文章を読んで、この点を改めることにした。各話題ごとにアンカーをつけるだけだが、私自身もページ作成時に楽になる。
 ちなみに、7月14日のトピックスは、指摘どおりサイト管理者に向けたものである。私の中には、面白いページをみつけたら、自分の「Webサイトガイド」で紹介したい、なんていう思いがあるのも否定できないが、白井さんの言うように、閲覧者の参加も確かに重要なことだろうと思う。

 おっと、急に強い雨が降ってきた。久しぶりの雨である。よかったよかった。
 私は現在地元の縄文遺跡の調査に参加させて頂いている。既に大方は掘り終わり、図面を取っているところだが、8月以降雨が降らず、カラカラ。土が固く掘り起こすのに一苦労であった。近辺では夕立が来ているのに、この辺りはなぜか雨がなかった。これで明日の調査は少しは楽になるだろう。
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