管理人の日記 〜2000年11月〜先月日記トップ翌月
11月25日(土) 中里貝塚一般公開見学記
 昼は学園祭(若木祭)準備、夜は捏造事件関係のネット上の議論などで気づいてみるともう11月も後半である。特にここ1週間は1日2時間程度しか寝ていなかったが始まってようやく時間がとれるようになった。ちなみに学園祭では加工食品炭化物についての展示発表と体験コーナーを行っているが、詳しくは終了後に書こうと思う。
 さて、1週間ほど遡るが、11月19日(日)、東京都北区の中里貝塚の一般公開を見に行った。国史跡指定を記念して10月から1ヶ月間掘り起こして公開していた。なんとか最終日に間に合ったが、貝殻ばかりの貝層はなかなか見ごたえのあるものだった。
 中里貝塚は明治時代から知られる貝塚だが、1998年でカキの2mにも及ぶ純貝層が見つかり、大規模に加工を行っていたと考えられ話題となった。また99年には近くのB地点でマンション建設に先立って調査が行われ同じく厚い貝層が現れた。貝層面積も国内最大級と見られ、両地点は今年国史跡の指定を受けた。中期中葉〜後期初頭の貝塚だが、土器・石器などはほとんど見つかっていない。
 JR上中里の駅から田端方面へ数分歩くと遺跡につく。公開されているのはB地点である。意外に子どもが多くにぎやかであった。まずは貝層を見学する。なるほど深さ2.5m以上(貝層は下部2mくらい)の両脇にほとんど混じり物がないカキを主体とした貝殻が詰まっているのは一見の価値はある。土器片でも挟まっていないかと探したがほとんど見つからない。それらしいものも若干あるが抜き出して確認するわけにもいかないので、ほとんど無かったということにしておこう。ここではボランティアの解説員の方が説明をしていた。23区内にあるもう1つの国史跡貝塚である大森貝塚と比較し、生活廃棄物と産業廃棄物という違いを説明していた。ボランティアの方は5名ほどが登録しており、好きな時間に解説や受付などを担当していると伺った。
 さて、実は大規模な貝層と同じくらい印象に残ったことがある。ここでは期間中、埋め戻していた土の一部を広げて貝殻などを自由に掘り出して持ち帰ってよいというコーナーが設けられていた。これを目当てに子どもたちが集まり、中には何日も通っている子もいるようである。大量にあるカキ・ハマグリから滅多に出ない土器片まで、種類によって等級がつけてあり、プロ級とされた土器を熱心に探す子も多かった。最近認められた埋蔵文化財の処分を利用した試みであろう。この方針についてはいろいろ議論が起きたが、このように実際に遺物に触れることで子どもたちの関心を引くというのはなかなか面白いものである(もっとも「プロ級」とされた土器を発見するのが偉いと思われるのは問題なのであるが)。捏造事件発覚後であり遺跡に対する一般の人の関心は高い。こうした事例をいくつか集めながら出土品の効果的な活用法に関する議論が深まることを期待したい。
 A地点は既に埋め戻され、暫定的に公園として開放されている。今後どちらかの地点で公開施設を建てる計画があるようだが、いつのことになるかは分からないし、直接貝層を見られるのはこの日が最後かもしれないということだった。
 なお、この見学会の情報は「考古学情報マガジン」で知った。その時しか見られないという遺跡の性格上、「ある」という情報だけでもだけでも知っているのといないのとでは大きな違いである。以前はあとで知って残念な思いをしたこともしばしばであった。このような情報源は有り難い存在である。
 北区中里貝塚


11月13日(月) 発掘捏造事件について・緊急リンク(11月7日〜)
 別ページに移動しました


11月3日(金) 釈迦堂遺跡博物館
 今日、土偶を卒論に選んだ先輩の車で数人で釈迦堂遺跡博物館を見学してきた。釈迦堂遺跡は山梨県の勝沼町と一宮町の境、甲府盆地に向かって南から開く扇状地の扇央部に立地する縄文中期を中心とした大集落遺跡である。中央道建設に先立ち1980年から調査が行われ、1116体もの土偶が出土して注目を浴びた(らしい)。土偶は一括して国重文に指定され、出土品は釈迦堂PAに隣接して建てられた両町の組合立の博物館に展示されている。
 とまあ、ここまでは4年前には知っていた。縄文遺跡専門博物館として有名なところでもあり、中央道で釈迦堂を通過するたびに博物館が気になっていた。しかし、これまでそのパーキングエリアで停まってもらって見学するという機会はなかったのだ。わざわざ釈迦堂だけに行くというのは勿体無いような気もしたが、そうでもしないと来れないような気もして有難く連れて行っていただいた。

 一面ブドウ畑の一角に(前面は中央道だが)博物館は建っている。現在「土偶〜森の女神に秘められた縄文の願い〜」という特別展が開催されていたので、まずはそれを見学した。中期を中心に前期から晩期まで、甲信地方の土偶が並べられている。レプリカもあるが、縄文のビーナス、鋳物師屋遺跡の中空土偶、黒駒土偶、後田遺跡の仮面土偶、金生遺跡の中空土偶など有名なものも多い。今回「みさかっぱ」「ヤッホー」「曽利の女神」の愛称を持つ土偶たちを知った。御坂町桂野遺跡のかっぱ形土偶、バンザイ土偶、富士見町坂上遺跡の曽利期の土偶である。かっぱ形土偶のコーナーには縄文のビーナスにそっくりな顔があり、その系統を知ることができた。また、ポーズ土偶でも同じようなポーズをとる土偶がかなりあり、土偶の形態の普遍性を考えさせられた。

 ついで、常設展示室。解説シートとクイズのシートが置かれている。入ると現代の子供たちの写真と土偶の顔の写真のパネルがある。決して似ているとはいえないが、なかなかおもしろい。続いてたくさんの土偶が並んでいるコーナー。見ごたえがある。この当時の顔はだいたい同じようなものだと思っていた。しかし、どうもそうではないらしい。個性的な顔が並んでいる。足だけのものもある。これらの分類、系統の分析はどこまで可能なのだろうか。顔面把手や人体文付土器が続くが、土偶とこれらの土器との関係も興味深い。妊娠土偶もいくつか並んでいる。これらの土偶は1つ1つ、いろいろな願いを込めて縄文人がつくったのだという印象をうける。生活遺物の紹介があり、最後に土器のコーナーである。夏の長野旅行では大きな土器に驚いたが、ここにはそれ以上の大きな土器がいくつも展示されている。どのようにして作ったのだろうか。運ぶのも大変そうだ。土器の文様に興味を持ち始めたのは夏の旅行で土器をいろいろ見てからのことで、まだまだほとんど何も分からない。それでも中期の土器は大きな区分はなんとなく分かるようになってきたので、以前に比べて土器を見るのが楽しくなってきた。今日は開館記念日ということで収蔵庫を特別公開していたが、そこに並んでいるのも土器ばかり。もっと勉強していれば別の見方が出来たのにと思うと少し悔しい気もする。

 今日は抹茶のサービスもあった。お茶はもちろんだが、土偶の顔をイメージしたきんつばはなかなか美味しい。いろいろ買い物もして、博物館の周辺を歩いて立地を確認、博物館を後にした。その後しばらく一面のブドウ畑の中をドライブし、ワインを試飲したり、丸いし道祖神をみつけて写真に収めたりしたりして帰途についた。先輩、運転ご苦労様。
 小さな博物館だが、土偶などなかなか見ごたえがあり楽しい一日だった。しかし、しばらくは今日の復習はきちんとやれねばなるまい。
 釈迦堂遺跡博物館
縄文学研究室日記トップCopyright (c) 2001 Nakamura Kousaku
E-mail:info@jomongaku.net