管理人の日記 〜2001年2月〜先月日記トップ翌月

2月27日(火) 中伊豆町の環状?配石遺構
 2月25日(日)、私は友人を誘って静岡県中伊豆町へ出かけた。町役場新築工事に先立って行われている原畑遺跡の調査で縄文後期の「環状列石」が出土し、その見学会が開かれるという情報を「おやつ」で入手したためだ。
 2人とも免許を取ったばかり(「ばかり」でもないのだが…)で遠出は難しいということで電車で修善寺へ行き、そこからバスでむかった。遺跡は大きな石がゴロゴロした状態で、同じ中伊豆町の上白岩遺跡の「環状積石遺構」のようなものを想像していた私は驚いてしまった。ただ、配石を伴う大きな遺跡では石がゴロゴロというのは話を思い出し、細かく見ていくことにした。
 なお、新聞では「環状列石遺構」と書かれていたが、当日配布された資料にはそのようには書いていなかったため担当の方に直接聞くことを忘れてしまった。実は昨年の学園祭に「環状列石」という用語を問題にした文章を書いていたので、この点はきちんと確認すべきであった。新聞によれば、石組遺構などが全体として径60mという規模になるということのようだ。
 小雨(一時雪?)の中、敷石住居やら石組遺構やらを見てまわった。それぞれの遺構は把握できるが、それが全体的にどうかというのはきちんと整理したり、上空から見てみたりしないと分からないのかもしれない。中央に立石を持つ通称日時計状の石組もいくつかあったが、これはこの地域では珍しいものではない。ただ、文献上でしか知らないものだったので、実際に見てその大きさを実感した。ただ、まだ調査中でもあり、この遺跡の詳細がわからないのでこの辺で止めておこう。
 その後、20〜30分歩いて上白岩遺跡を見学した。ここは1976年から調査が行われた遺跡だが、国史跡に指定され現在は公園となっている。中期後半の環状集落の中央部分に、中期後半〜後期初頭にかけて環状積石遺構が営まれた。ここの配石も原畑と同じくらいの大きな石を用いているようであった。遺跡公園は、復元住居が1棟(井戸尻をモデルにしたらしいが、内部に道具が置かれている復元住居は珍しい)あるのと、環状積石遺構が出ているだけで、残りの遺構は植物で表示されている。道をはさんで町立歴史民俗資料館があり、出土品が展示されている。帰りはなかなかバスがなく、修善寺まで歩いてしまった。やはり車が欲しい…。
 以上、なかなか書けなかった原稿だが、一応アップしておく。静岡地域の配石遺構についてはもうすこし調べてみたいと思う。(01/3/11掲載)
 静岡新聞:中伊豆町の原畑遺跡、見学会 熱心な考古学ファン110人


2月26日(月) 第14回考古資料展 地中に眠っていた伊勢原の遺跡
 市制30周年を記念して「史跡と文化財のまち」のガイドブックを改訂発行する伊勢原市だが、専用の文化財公開・活用施設はなく、毎年この時期、公民館まつりにあわせ、会議室で職員の手作りの展示がミニ展示会を実施している。一昨年昨年とこのトピックスでも紹介してきた伊勢原市の考古資料展である。今回(23日〜25日)は最近報告書が刊行され、調査団より市に資料が返却された3つの遺跡の出土品、および昨年立ち会い調査で出土した古墳出土品が展示された。既に終了してしまったが、簡単に紹介しておく。

 県道建設に先立ち調査された沼目坂戸遺跡第2地点からは、縄文後期の資料が多数出土した。2重にめぐる環礫方形配石遺構とその下部の3号住居から出土した土器が中心となるようだ。中でも内部に符号のようなものが刻まれた注口土器は注目される。何らかの意味があるのかないのか。この遺跡では加曽利B1・2式の資料も豊富に出土した。土器片ばかり並べたコーナーを設け、実際に1と2をわける作業をやらせてもらった。報告書を見ながらの作業だったが、その時はそれなりに区別できるようになった。このほか、注口土器の注口部(いまとめて検出されたという)や土偶の足、石器類などが展示された。
 区画整理事業に先立つ調査が行われた沼目原之宿遺跡では8世紀前半の県内最大級となる大形掘建柱建物2棟が検出された。展示では古墳〜古代の土師器・須恵器を中心に鉄製品や、中近世の陶磁器が並べられた。
 池端地区遺跡群も区画整理事業に先立ち調査されたが、方形周溝墓9基や平安期の住居からの馬具、掘建柱建物出土の石帯などが注目される。土師器・須恵器・陶磁器などが展示された。
 幼稚園改築工事の立会中に発見された三ノ宮上御領原古墳では横穴式石室から直刀3、平瓶、横瓶、人骨、玉類、鉄鏃などの鉄製品が出土したが、これらが今回初めて公表された。

 寒さや雨・雪などの影響もあったが、公民館まつりの会期中ということもあって3日間で1000人くらいは見てくれたようである。中に毎年こられている方もいて、連れの人に説明したり、職員に質問したり、自説を披露されたりするのだが、多くの方はすーっと見て帰ってしまう。中央には触れるコーナーが設けられており、縄文石器や土器が置かれているが、なかなか触れようとしない。ところが、担当職員の解説がはじまると熱心に聞き、石皿のすべすべ感に感動し、いろいろ質問してゆく。質問を待つよりもこちらから解説していったほうが一般の方にはよいらしい。と、書いてみて昨年・一昨年の文章を見直してみた。毎年同じような事を考えているようなので重複する部分は削っておくが、これだけは書いておきたい。
 「伊勢原にこんな古いものがあったんだ」という感動の声は毎回多い。このような普段あまり興味のない一般の人でもついでに足を運んでくれるようなミニ展示会は残すとして、これをきっかけにして、さらにじっくり遺物に触れることのできる常設の展示施設を強く望む。


2月8日(木) 縄文人の「環境問題」−廃棄・開発・リサイクル−
 ここ数日風邪をひいてしまって、ものを書くことができなかった。困ったことである。

 さて、表題は相模原市立博物館で開催中の企画展である。6日の午前中に見に行ってきた。
 土器・石器・骨角器・植物遺物・人骨・祭祀遺物など展示品はこれといって特徴的な遺物が並んでいるわけではない。もちろん埋納遺物を除けば、ほとんどの考古資料は廃棄品なので、「特別な遺物」が必要なわけではないのだが、面白いテーマの割には内容が薄かったかなという印象であった。
 この企画展のポスターは現代のごみ収集場に縄文土器が置かれているという、なかなかいいデザインだが、実際の展示では、ただ遺物が羅列されているだけで、またさまざまな問題が取り上げられているため、焦点がボケてしまっているように思う。
 もしも、縄文時代も現在と同じようにごみ問題があったこと、開発を行っていたことなどを伝えたいのならば、廃棄パターン研究や、花粉分析などによる植生改変研究などを積極的に利用して、もう少しそれぞれの問題について深く掘り下げていった方がいいかもしれない。そうなるとモノだけの展示では済まされなくなるだろう。まあ実際問題として難しいのだとは思う。しかし、テーマは面白いし、1つ1つの資料も良いのでもうすこし統一性があればと思う。
 ただ、個別の資料は面白い。例えば、入り口に置かれた山王平遺跡(相模原市・中期の環状集落)出土のほぼ総てという土器・土器片は、露出展示で、多量の土器をじっくりと眺めることができた。博物館の展示ではなかなかない方法であろう。また、御所野遺跡・伊勢堂岱遺跡といった祭祀遺構関連の資料も私にとっては興味深い。また、都立大が行った御所野遺跡での石斧による伐採実験結果もいくつか並んでいて、人によってずいぶん切り口が異なることがわかる。
 相模原市立博物館冬季企画展 縄文人の「環境問題」〜廃棄・開発・リサイクル〜

 追記:この話題については掲示板で展示を企画された木村氏にコメントを寄せて頂いた。また夢鳥氏によって「ゴミという概念」の問題が提起されている。なお、Arch.LABOでも感想が公表されている(2/21)


2月4日(日) 最近思うこと 〜未確定思考公開の是非〜
 昨年末に捏造事件関連リンク集を取り上げていただいたご縁で、昨日、ある研究会へ参加させていただきました。第一線の研究者の方も、このサイトを見ていただいているということを知りました。嬉しく思う一方で、緊張しました。

 さて、研究会の後の懇親会や帰路で、捏造事件のこと、Webサイトのこと、そして私自身の今後の研究のことなどについて、いろいろお話を伺ったり、自分の考えを述べたりしましたが、ふと思ったのは、このサイトの意味です。
 主に考古学関係のニュースについて思うことを書いてきましたが、中身よりもむしろ、その存在自体に重点をおいて運営してきたわけです。その結果、今のアルバイト先が見つかったり、今回の研究会に呼んでいただいたりして、そういう意味では目的は果たされているのです。

 一方、例えば、今は、来年度の新入生用入門講座への準備も兼ねて、古典的な様式論・型式論を調べたり、秋の学園祭の時に書いた加工食品炭化物関係の追加資料を調べたり、理論考古学への下準備として文化人類学やら社会学の入門書を読んだりしていますが、そういう現在の私の関心事項はWeb上にはほとんど書いていません。資料集として、ある程度まとまった段階で「ノート」として出せるかもしれませんが、そこまで行かないものがほとんどです。いわば、ネット上世界と現実世界の乖離ですね。
 しかし、せっかく専門の方に見ていただいているならば、現在の関心事を載せていったほうがいいのではなかろうか?(具体的なアドバイスがいただけるのではないか?)という思いもあります。
 いくつかのサイトで「卒論日記」が公開されています。これは見ていておもしろいし、参考になります。未だ卒論テーマは決まっていませんが、こうした方法もあるのかなあ、と思います。

 ところが、Webサイトを全世界に公開している以上、ある程度の責任も出てくるわけです。今回・前回の懇親会で、「責任」という言葉が何人かの方から出ましたが、これは誤りの情報を流さないというような責任ではなく、(的確な表現はできませんが)、自分の発言への研究者としての責任という意味でしょう。そうした場合、未確定の思考を発表することは非常に危険な行為になるでしょう。
 関連して言えば、現在、いくつかの掲示板を利用したWeb上の議論が盛んに行われていますが、私がほとんどそこに参加しないのは、できない(まだ知らないことが多すぎる)という理由もありますが、基本的にはこの理由によるものです。第一線の研究者がなかなか参加しない(※)のも同様の理由によると思われます。

 この問題は「単純日記」公開の是非として、個人名の取り扱い、未発表資料の匿名化などとともに、以前から考えてきた問題ですが、今回、話題になったとなったため、現時点での考えを述べておきます。結論は出ていません。他分野のサイトなども見ながら結論を出したいと思っています。皆様のご意見をいただければと思います。

 ※追記:このような中で、積極的に発言されている数少ない研究者がいるという指摘を忘れていた。南河内のチャットで指摘されていたのに昨日気づいた。こうした方々の存在は大変心強い。しかし、ネット接続者に占める割合が極少ないのは事実である。
  本筋から離れるが、ネット上の議論が完全公開である必要はないと思われる。メールのやり取りは頻繁に行われているのだろうし、参加者限定の掲示板等は考えうるのでは? いや既にあるのかもしれないが。(2/21)


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