管理人の日記 〜2001年8月〜先月日記トップ翌月

8月24日(金) 森本和男『遺跡と発掘の社会史』を読んで
 森本和男氏の『遺跡と発掘の社会史』を読んだ。副題に「発掘捏造はなぜ起きたか」とあるが、捏造発覚をうけて執筆されたものではない。だが、本書を通して指摘された文化財行政に関するいくつかの問題点こそ、捏造の社会的背景に重なってくる。1ヶ月ほど前から店頭に並んでいたが、ようやく読む機会を得た。最近あちこちへ出かけてなかなか本を読んだりする時間が取れないのだが、私の関心とも一致し、一気に読んだ。以下簡単な紹介と、若干の感想を述べたい。
 本書では、はじめに文化財保護法の誕生の背景、続いて明日香村、さらに吉野ヶ里・三内丸山の保存問題を取り上げる。続いて、著者の地元である千葉県の事例を交えながら全国の統計資料に基づいて都市部における文化財行政の問題点を指摘している。細かい点は同書を読んでいただくとして、私なりにまとめれば都市部における発掘調査の多さ・関心人口の多さと、それとは正反対の周知・公開の機会の少なさという指摘である。
 それぞれの問題については既に類書があるが、本書を通読して、改めて文化(財)行政の無力さを感じた。考えてみれば、保存運動においても文化財行政はあまり力になっていないように思う上に、これらの遺跡の整備事業すら建設行政を主体に行われている。ここには、文化財行政が、特定の学問だけではない広い視野にたった保存・活用行政という段階に至らず、それ以前の業務に終始している(せざるを得ない)現状があるのだろう。
 こうした事態の打開には、まず住民に文化財の存在を知らせなければならない。都市部にはそのための施設すらないというのが本書の指摘であるが、だからといって悪循環を繰り返していては始まらない。積極的な普及事業が展開されれることを期待したい。

 森本和男 『遺跡と発掘の社会史−発掘捏造はなぜ起きたか』 2001.6.15 彩流社 \1800 ISBN4-88202-696-1


8月22日(水) 南郷村の民俗採訪と是川中居遺跡の見学

8月17日(金) 「天神さまの美術」展
 東京国立博物館で開催中の展覧会「天神さまの美術」を見てきた。来年、菅原道真没後1100年を迎えることを記念して全国の関連寺社や美術館が所蔵する道真・天神信仰ゆかりの品を一堂に集めたものである。なかなか時間が取れず、夕方の3時間ほどしか見られなかったが、興味深く観覧した。
 はじめに、天神縁起絵が展示されていた。絵巻とは違い、屏風などにいくつかの場面を配したものであるが、何分天神縁起のストーリーを知らないので何を表しているのか今ひとつ分からないのが残念であった。本館で子供向けの「天神様ってどんな人」というミニ展示が行われており、そこで絵巻を用いて道真の一生を簡単に説明しているのを先に見ていたのが救いであった。その後、各地の天満宮所蔵の絵巻が並べられ、場面の説明等もあり、さらに帰りに図録を読んで大体の流れを理解した次第である。それでも、各天満宮独自の縁起についてはわからないままである。勉強して来いということか。絵巻も当然ながら全部が見られるわけではなく数巻のうちの1巻で、さらにその一部のみしか見られないというものである。歴博の異界万華鏡ではデジタル技術を用いてあらすじと絵巻の全部が見られるようになっていたがそのような工夫が欲しいところである。ただ、ユーモラスな鬼神たちや各絵巻の細部の違いなど多数集められた縁起絵や絵巻物は見ているだけでも面白いものであった。
 続いて、天神の姿ということで、道真の画像や木像、天神の名号、さらに本地仏という十一面観音や、関連する牛頭天王像などが展示されていた。これらの諸像は、天神信仰がさまざまに展開したしたことを物語る。中でも渡唐天神という一群は、なぜそのような像が発生したのかという点で興味をそそられるものである。
 会場はさらに、各地の天満宮に奉納された品々を展示するコーナーへ続く。ここは狛犬や「天満宮」の額を入り口とし、絵馬や算額を壁に掲げるという粋な空間が演出されており、好感をもった。鏡・鰐口・硯箱・写経・武具などそれ自体は天神と直接関わるものではないが、天満宮がそうした当時の芸術作品が集まる空間であったことを示すものであろう。それは、芸能にもいえることであり、最後のコーナーは天神信仰に関わる和歌・連歌、歌舞伎・能・文楽、さらにはだんじりなどが展示されている。
 この展覧会は「天神さまの美術」とあるように、菅原道真というよりも天神信仰に関わる美術を集めたものであった。「信仰」というテーマで括れるという点で、単に美術品を集めるということ以上の意味を持っているのだろう。人々が天神をどのように考えてそれらの美術品を作ってきたのか、興味深いところである。

 東京国立博物館特別展 天神さまの美術平成13年度こどもミュージアム 「天神さまってどんな人?」


8月12日(日) 長門町原始・古代ロマン体験館・長野県立歴史館企画展「阿久遺跡と縄文人の世界」とけつ状耳飾づくり

8月9日(木) 「相武国の古墳」展

8月5日(日) 出雲合宿日記抄(4) 東寺/まとめ

8月4日(土) 出雲合宿日記抄(3) 出雲大社〜松江市内

8月3日(金) 出雲合宿日記抄(2) 松江〜出雲

八重垣神社(松江市)
 八重垣神社はスサノオとイナダヒメを祀り、縁結びの神として信仰を集めている。本殿にはスサノオとイナダヒメ、イナダヒメの両親のテナヅチとアシナヅチ、アマテラスとスサノオの子イチキシマヒメの壁画が残されていたが、現在は収蔵庫に保管されている。体の部分の多くは残っていないが、顔などは色鮮やかに残っており、平安期における神話のイメージがしのばれる。
 また、神社の奥ある鏡の池は、縁結びの占いの場となっていた。紙に硬貨を乗せ、早く沈むと早く結婚できるという。女の子たちがやっていたがあっという間に沈んだ子もいれば、なかなか沈まない子もいて面白い。

玉造遺跡(玉湯町)
 古代においては朝廷の儀式に使われる玉はみな出雲で作られたという。1つはメノウの産地であるということ、もう1つは記紀の出雲神話に基づく国神の象徴としての出雲という2つの理由が考えられる。
 玉造資料館では隣接する出雲玉造遺跡の出土品を中心に、出雲の玉造遺跡や縄文以来の玉製作のあゆみを簡単に紹介されている。また2階には近代の玉造り関係の資料や付近の焼き物に関する展示がある。
 玉造遺跡は現在公園化されているが、思った以上には整備されていない。気になったのは傾斜のある場所であるということ。平な場所もあり、工房跡はそこに建てられていたようだが、公園の多くの部分は斜面である。
 残念ながら、あまり資料などもなく期待して行ったわりには得るものは少なかったという印象である。

女夫岩遺跡(宍道町)
 大森神社のご神体として信仰をあつめてきた場所で大岩2つが寄り添う格好になっており、その下に数段の石垣が積まれてい。近年、中国横断自動車道尾道松江線の建設によって破壊されかけた。周囲のトレンチ調査が行われ、須恵器・土師器から近世の神酒徳利にいたる遺物が出土し、信仰の歴史を物語った。保存運動の結果、自動車道はトンネル化され保存されることになった。現在県史跡に指定され、見学路が設けられている。
 私としては今回出雲大社とともに、最も行きたかった場所である。信仰の対象である岩の考古学的研究こそ、私が初めて出会った考古学であり、当時の新聞で危機が報じられていてずっと気になっていた遺跡であった。
 実際に行ってみると、想像よりも大きく、険しい印象を受けた。振り返ると自動車道が見えるのは気分を害す。だが、旧来の木の生い茂る山の斜面に厳かに立つ2つの岩は立派である。岩陰の発掘は行われていないようだが、何か埋まっているだろうか。
 人の手のあまり加わらない自然の景観といえども、人間の文化に大きく影響を与えてきたわけであり、そうした対象も文化財としてきちんと守っていかなければならない。その点で、報告書でも指摘されていたように、明確に人工の遺構・遺物が捉えにくい磐座が文化財として認識され、保存されたことは大きな意味をもつ。

加茂岩倉遺跡(加茂町)
 つづく見学地は加茂岩倉遺跡である。有名な遺跡であるが、現地は整備途上である。現在、発見時の状態を表したレプリカが現地に作られているほか、反対側の斜面に展望台が作られている。
 しかし、37℃を越える炎天下でじっくり見ている余裕は無かった。友人による解説中も、記念写真をとるときも、少しでもじっとしていると汗がどっと出てくる。木を植えるなどの配慮が必要であろう。
 なお、加茂岩倉遺跡への入り口、駐車場の傍に「大岩」が存在する。これまた地面に剥き出しの状態で大きな看板がたっているという、あまり美しくない景観を呈しているのであるが、これも磐座の1つであり、「岩倉」という地名の起源となったものである。もっともこの付近にはそうした石が多いということであり、必ずしもこの岩だけが語源ではないらしい。時間があれば見て廻りたいところだが次回にまわそう。

神庭荒神谷遺跡(斐川町)
 本日最後の見学地である。ここは遺跡を中心とした大規模な荒神谷史跡公園として整備されている。出土状況をレプリカで表示するという加茂岩倉の方法を最初に行ったのが荒神谷である。
 遊歩道やハス池などが整備されており、また出雲の原郷館というガイダンス施設もある。展示品はレプリカだが、様子を知ることは可能である。また関連書籍の販売や休憩場もあり、本日まわった遺跡の中では最も快適である。

(8/15記)

8月2日(木) 出雲合宿日記抄(1) 淀江〜松江

旅立ち
 8月1日夜から5日まで、大学のサークルの仲間とともに、夏季合宿として出雲地方を廻ってきた。一行は3年生1人、2年生は私を含め9人、1年生3人の13人である。弥生〜古代の遺跡・神社を中心に、簡単にまとめておく。
 夜8時15分品川発の夜行バスにのり、7時前に米子駅前に到着。頼んであったマイクロバスも来ていたので、妻木晩田遺跡へ向かう。ところが、予想外に近いらしい。20分もせずに淀江町の伯耆風土記の丘についてしまった。資料館や柵の中に復原住居・復原物見櫓などもあるが、もちろん入れない。既に陽射しは強く、バスの疲れもあり、淀江廃寺を見に行く気力もなさそうだった。丘の上の古墳群を見ながら1時間ほど休憩した後、妻木晩田へむかう。

妻木晩田遺跡(鳥取県淀江町・大山町)
 事前にボランティアガイドをお願いしてあった。朝早くからありがたいことである。遺跡は整備の途中だが、妻木山地区と洞ノ原地区が公開されている。妻木山地区は居住域ということで、竪穴住居の位置を砂で表示してある。クローバーを植えてみるなど、いろいろな方法が試されているそうだ。以前まで公開されていた発掘時の住居は霜のために現在見られない状態となっていた。遺跡整備の進行状況についても知らせてもらうと、再び訪れた時の印象もかなり異なるものになるだろう。
 洞ノ原地区は、四隅突出墓群を中心とした墓域が大半を占めるが、ここからの眺めは絶景である。写真や絵葉書など比べ物にならない。眼下に広がる平野、その先の島根半島。しばらく斜面を下ると烽火や物見があったという環濠がめぐらされた部分がある。ここには前方後円墳も存在したという。この景色の美しさは遺跡を理解する上で重要なポイントになるだろう。こうした景色をも遺跡の一部として大事に守っていって欲しいと思う。
 インターネット上でも保存運動が繰り広げられ、保存されることとなった妻木晩田遺跡。私も保存を訴える文章をこのサイトに載せたが、ようやく現地を見ることができた。「広い」ということと洞ノ原地区の景色に感動した。遺跡全体のほんの一部しか見られなかったが、すばらしい遺跡であることは実感した。

島根県立博物館(松江市)
 妻木晩田から境港へ行き、水木しげるロードなどを散策した後、松江に向かう。途中、中海の跳ね橋には感動した。
 島根県博は松江城に県庁などとともに隣接している。最近歴史を主とする博物館にリニューアルしたということであるが、現在、出雲大社の近くに新たな館をつくる準備がすすめられているという。お忙しい中、OBの先輩に解説をしていただくことができた。
 常設展示は1室のみで、あまり大きな博物館とは言えないが、荒神谷の国宝銅剣・銅鐸・銅矛といった青銅器、神原神社古墳の景初3年銘鏡、玉造り関係資料、西谷3号墳の祭儀復原、出雲大社の境内変遷模型群など、「古代出雲」を凝縮したような展示である。
 考古資料、文献資料、神社資料、民俗資料など古代出雲の資料は十分あるはずである。新しい館が楽しみである。

八雲立つ風土記の丘(松江市)
 県博を出て、風土記の丘に向かう。古墳群、神魂神社・八重垣神社、カンナビ山、出雲国庁・国分寺などの古墳時代〜古代の文化財が密集している地域だが、今回は時間の都合で一部のみ見学することができた。
 島根県立八雲風土記の丘資料館はこの地のガイダンス施設であるが、旧石器時代からの島根県の考古資料も展示されている。なかでも有名な平所遺跡の見返り鹿や馬などの埴輪は面白い。

 敷地内には岡田山1号墳などの古墳をはじめ復原家屋などもあるが、岡田山1号墳の鍵をお借りすることができたので、石室を見学した。ここはかなり狭い。何人も入れるというイメージをもっていたが、ここは1人ずつ順番に入った。家形石棺がしっかり残っていたが、狭いと感じたのはそのためかもしれない。
 資料館からこの古墳を見ると、その上方には風土記に神名樋山と出てくる茶臼山が望める。カンナビ山は古代人にとって身近な信仰の山とされている。現地まで行くことはできなかったが、美しい山容を仰ぎ見ただけで満足である。

 つづいて神魂神社へ。大社造としては最古の社殿が残されている。社殿を見る以外には特に何もないが、静かで気持ちのいい空間であった。ここからの茶臼山の眺めも美しい。
(8/7記)


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