管理人の日記 〜2002年4月〜先月日記トップ翌月

4月30日(火) 大和盆地を周る〜大阪・奈良旅行(2)〜
 一昨年の野迫川を除くと、奈良に来たのは、神体山や磐座に興味を持ち始めた中学2年の時、奈良・京都旅行で三輪山や飛鳥、奈良の奈良公園周辺、平城京、西ノ京、石清水、宇治、伏見、京都、比叡山などをまわった時、それから翌年の修学旅行で東大寺周辺をまわって以来である。その後、考古学・民俗学を学びはじめ、ぜひとも見ておかなければならない場所も増えてきた。今回の民博・奈博の特別展の中日は、そうした所を少しでも見られればと思っていた。

耳成山
 泊まったユースホステルから歩いてすぐの所に大和三山の一つ、耳成山がある。田畑に囲まれた一角にぽっこり浮かんでいるようである。神体山として数えられるこの山に登ることができるとは思ってもいなかった。
 山の周囲をまわりながら登っていくと、途中に、やはり平地の中に浮かぶ畝傍山が見える。少し下がったところに社殿が設けられているが、朝食時間の関係もあってあまりゆっくりとはできなかった。帰りはまっすぐ降りる。あっという間である。本当に小さな山であるが、その立地の状況から古代人に称えられたのだろう。

唐古・鍵遺跡
 その内容について詳しいことは知らないが弥生土器編年の基本となったという、唐古・鍵遺跡。大和を代表する環濠集落として、あるいは木製品や線刻土器などが多く出土している遺跡として有名である。

長谷寺
大和高原の年齢階梯制墓地


4月29日(月) 民博へ行く 〜大阪・奈良旅行(1)〜
 ゴールデンウィーク前半を利用して、大阪・奈良へ行ってきた。主な目的は民博と奈良博の特別展である。夜行バスで奈良に着いたが、時間があったので、まずは京都府木津町へ向かった。

木津惣墓五輪塔
 坪井良平による木津惣墓の調査は、中世墓標の悉皆調査の先駆けとして知られる。「山城木津惣墓墓標の研究」(『考古学』10-5)によると、昭和5年に3305基の墓標が確認され、墓地整理事業と時間的に併行しながら約2284基の墓標が調査された。昨年の考古学演習では、この結果をもとに型式(形式)変化の特徴を学んだ。
 とはいえ、現在は重要文化財に指定されている大五輪塔のみが残され、他の墓標は移されてしまっている。移転先については調べておかなかったので、今回は大五輪塔のみの見学となった。
 その、大五輪塔であるが、さすがに大きい。水輪部分までで私の身長を越えている。中小の墓標の中で一際大きな五輪塔が立っている当時の景観を想像すると興味深い。
 近くに和泉式部の墓と伝えられる五輪塔があった。

国立民族学博物館常設展
 木津から大阪へ向かう。千里中央からモノレールに乗っていくとあの太陽の塔が見えてきた。近くで見るとこれも大きい。この塔を仰ぎ見ながら公園をぬけると民博である。
 梅棹忠夫氏の博物館についての幾つかの本を読んで以来ずっと行ってみたかった民博にようやく行くことができた。
 全体的な印象としては、各地の民族文化について体系的な知識を得る、というよりもその民族文化のイメージを得るということを目的としているように感じた。つまり食器類、衣類、神像や装身具などは豊富に展示されているが、住生活、葬送儀礼などの資料の不足や各道具の使い方・生業の具体的方法などについては必ずしも分からない。ただ、アジアなど最近展示替えが行われた部分ではこうした点もしっかり展示されているので、今後の展開が楽しみである。
 例えば、日本の展示室では各地の御幣や正月飾り、盆飾りなどが1つのコーナーにまとめられている。花笠は花笠で、注連飾りは注連飾りで、ツクリモノはツクリモノで、と物質文化的な特徴でまとめる視点というのは面白い。
 ともかく、見ていて飽きない資料が盛りだくさんである。次回行くときが楽しみである。

特別展「2002ソウルスタイル −李さん一家のくらし−」
 私の博物館展示のイメージとは大きく異なった特別展である。

おはなし村ワークショップ

国立民族学博物館特別展「2002ソウルスタイル −李さん一家のくらし−」
国立民族学博物館西アジアおはなし村プロジェクト


4月21日(日) 墓の無い葬法 〜都市民−その死をめぐって〜
 考古学では、古くから葬墓制の研究に力を入れてきた。その多くは葬送儀礼の復元を通して他界観を探るような方向性、あるいは社会組織の復元を目指す方向性などがあるがいずれも「墓」を対象とするものであった。
 しかし、墓が設けられない人間も数多くいたことは忘れてはならない。4月20日・21日の両日、鎌倉考古学研究所・鎌倉遺跡調査会主催で、帝京大学山梨文化財研究所で開かれた中世を対象としたシンポジウム「都市民−その死をめぐって」は、改めてそのことを考えさせるものであった。
 「鎌倉・由比ヶ浜南遺跡の調査成果を中心に」という副題があり、初日は由比ヶ浜南遺跡と鎌倉についての発表があったようである。私は二日目のみの参加であったが、平泉・京都・博多の事例や文献からの報告は、決して縄文時代墓制研究では見ることができないような当時の死の前後をリアルに復元するもので興味深いものであった。
 ここでは「葬地」という言葉が頻繁に使われた。「墓地」ではなく「葬地」である。一定の施設としての墓を設けられない庶民の葬法として遺体を埋めずに葬る方法があったのである。さらには遺棄と表現されるような事例もあったようだ。文献資料では既に指摘されていたことだが、考古資料でもそうした実態が捉えられている。
 では、墓の無い葬法を縄文時代でも考えていくことが可能だろうか。ここ最近の私の興味はそこにあるのだが、このシンポを聞いて具体的なイメージを得ることができた。今後はそれをどのように考古資料から見ていくかを考えていきたい。


4月20日(土) 遺跡の活用にむけて 〜東村山市下宅部遺跡現地説明会〜
 後・晩期の水場遺構などの調査が行われている東京都東村山市の下宅部遺跡で第6回の現地説明会があった。以前から見学したいと思っていたのだが、なかなか行けずこの日ようやく現地を見ることができた。見学にきていた地元のおばあさんによれば、小さい頃から湿地で畑にもならない所だったという。このため、周知の遺跡として確認されておらず、都営住宅建設に先立つものとして*年から調査が行われている。既に埋め戻された東区を含め、水場遺構やそこからのトチ塚・クルミ塚、あるいは獣骨と飾り弓、その他多種・多量の有機物の発見は縄文後・晩期の生活を具体的にイメージする上で重要な要素を提供してくれる。
 縄文時代以外では、古代の完全な形をした一木作りの又鋤や火鑚杵、かつて近くの遺跡から出土していた瓦塔の一部分、中世の板碑なども興味深い。調査は今年度で終わりだということだが、引き続きその成果に注目したい。

 さて、こうした遺跡自体も面白いのだが、私はむしろこの遺跡の活用に興味を持っている。
 昨年10月に東村山ふるさと歴史館の見学について書いた際、ワークショップの話題に触れた。都営住宅敷地内の3000平方メートルをどのように遺跡公園として活かしていくかについて、2年間、市民の参加を得て構想を練ってきたという。今回の現説会場でも、その成果としての湧水を利用した川があり、土器焼きなどもできる、縄文の植生を復元した遺跡公園の構想図、付近の文化財や自然、学校・トイレなどのマップなどが展示されていた。今後は、具体的な公園作りに入っていくということである。
 遺跡公園の活用という目で見ると、まず周囲の歴史的・自然的な環境に目が行く。ここはトトロのふるさと狭山丘陵に接し、遺跡公園からは八国山を望むことができる。西武園駅から歩いて直ぐの場所にあり立地条件もよい。付近は住宅地とはいえ緑は多い。帰りにふるさと歴史館まで歩いていったのだが、幸い道に迷ったおかげで都内唯一の国宝建造物である正福寺千体地蔵堂を見ることができた。これらの文化財は「歴史のさんぽみち」としていくつかのコースが設定されているようだが、下宅部遺跡で想定されている各種の市民参加型の構想はこうした周囲の文化財も積極的に取り込んでいくことを期待したい。
 また、今回の説明会−午前の部しかいなかったのだが、子どもたちの姿が目立った。既に何回か来ている子もいていろいろ友達に説明したりしていたのも嬉しい光景であった。

 この後、ふるさと歴史館まで歩いてゆき、特別展「考古学って何」を再び見学した。土器に大きな字で注記されていたり、土偶ランキングのグラフが大きく変わっていたり(ちなみに現時点での一位は遮光器土偶)、縄文人への質問とその返答が壁一面に張られていたりと、この4ヶ月で多くの人が参加した痕跡が見受けられた。入門者が帰って読むにはちょうどいい図録や解説シートも発行されている。住宅地の一角に作られており、サッカーボールを持った子らが入ってきてスタッフで身長を計ったりしていた。ロビーでは、歴史関係のマンガやゲームに興じる子の姿も多い。このまま歴史に興味を持ってくれれば嬉しいことである。

 東村山ふるさと歴史館しもやけべだより下宅部遺跡ワークショップ考古学って何?−土の中の昔の暮らし−

4月17日(水) 動きのある水墨画 〜渋谷区立松濤美術館「雪村展−戦国時代のスーパー・エキセントリック−」〜
 松濤美術館で開かれている「雪村展」を見に行った。雪村という画家さえ知らない私だが、龍の上で風になびく人物のポスターを見てこれは面白そうだと思った。幸い歩いていける場所であり、授業と健康診断の合間をぬって出かけてみた。例によって美術史の知識はないので絵を見て考えたことを。
 今回、実際に展示を見る意義は作品の大きさを感じることなのかな、思った。色合いや筆遣いなど細かい点はぬきにして、大きな絵と小さな絵では伝わってくるものも大部違う。雪村の絵は(いや、雪村に限ったことなのかは私はわからないのだが)、動きを感じさせるものが多い。それは見ている私の眼を動かすものである。大きな絵であれば首を、さらには体を動かして見なければならないものもある。画中の人物が上を向いたり、何かを放出していれば自然にその先に目が行く。遠くから全体を見て、近くで細かい描写を見る。
 風景画で、目鼻も省略された小さな人物が描かれているものも多い。それは絵全体の中ではごく僅かなものである。大自然と人間の営みとを考えさせる。
 いずれにしろ、見ていて飽きない作品ばかりであった。会場の都合で、前期・後期と展示替えが行われるようなので、また時間があれば見に行きたい。
   松濤美術館特別展「雪村展」

4月12日(金) 授業開始
 2002年度の授業が始まった。たまプラーザキャンパスから渋谷キャンパスに変わる。2年間もたまに通った割にはたまプラの周りはあまり知らないし、文学・美術史・神道学・法学・経済学などの余計な、しかし興味深い授業は聞くことができなかった。考えてみると、あっという間の2年間という気がする。
 今年度も、相変わらず週6回渋谷に通うことになる。科目としては考古学専門科目、教職関係科目、博物館学関係科目がそれぞれ1/3ずつ入る。昨年のように居眠りのできるような授業はない。ただし、授業の前後で比較的時間ができそうである。そこで何をしていくのかが課題である。
 サークル・研究会の今年度の活動計画と新入生の勧誘、履修とアルバイトの時間調整など年度当初は頭を悩ませる事柄が盛りだくさんである。無事おさまることを願う。

4月10日(水) Web上で履修
 國學院大學では、一昨年度からWeb上でシラバス(講義要綱)が閲覧できるようになっている。今年度からは、履修登録もWeb上でできるようになった。早速使ってみたが、どうも怪しい。稼動早々システムが停まってしまったし、私も登録解除したはずなのに二重に登録されているというようなトラブルにも見舞われた。しかし、どうやら無事登録できたようである。正式には来週直接教務課で確認しなければならないが、昨年マークミスで4単位を無駄にした私としては何度も変更できるこのシステムはありがたい。正常に動いていってくれることを期待したい。

4月1日(月) 新年度です
 2002年度のスタートです。
 リニューアル作業は結局終わりませんでした。リニューアルのご挨拶は何とか、4月中に行いたいと思います。
 今後ともよろしくお願いいたします。

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