管理人の日記 〜2002年5月〜先月日記トップ翌月
5月26日(日) 日本考古学協会総会
5月25日(土) 下宅部遺跡公園づくりワークショップ
5月12日(日) 横浜市歴史博物館「東へ西へ」

5月6日(月) 平塚市真田・北金目遺跡群水場遺構現地説明会

5月3日(土) さいたまの大山信仰 〜さいたま市立浦和博物館「雨あめ降れふれ」〜
 午後から、さいたま市立浦和博物館で開催中の特別展「雨あめ降れふれ −さいたまから大山へ」を見に行った。
 浦和博物館は初めて訪れた。市立病院の隣という立地である。明治の師範学校を復元したという小さな館であり設備も古めかしいが、展示は分かりやすいものであった。
 この特別展は、さいたま地域の雨乞いをテーマとした民俗学的な展示であり、相模大山への信仰がメインに取り上げられている。はじめに地域の神社での雨乞いについて絵馬や古文書などで紹介し、さらに他地域の事例を簡単に紹介、さらに大山とさいたま市域との関係が語られる。
 大山の麓に住む私は、考古学への興味を抱く前から大山信仰については関心を持ってきた。
 相模大山は雨乞いの神として関東一円で信仰されており、木太刀を奉納し別のものを頂いてくることや、御神酒を奉納し代わりに雨乞いのための水を頂いてくることなどが行われてきた。成人式の意味合いを持った若者の登拝も行われた。一方、彼らの宿を提供する御師(先導師)は、各地をまわり檀家にお札などを配る。夏の大山登拝期間中には各地に灯籠が建てられる。石灯籠として常設されたものものある。
 このような農村と大山との関係についてはある程度は知っていたが、伊勢原にいるとどうしても迎える側の資料ばかりが目に付く。その点、今回の特別展では、木太刀や御神酒枠、行衣、配れらたお札、灯籠や石碑の写真などのさいたま市側に残る資料と、檀家廻りの控帳、版木など大山の御師側の資料が並べられており、この地域における大山信仰の一面を伺うことができた。
 なお、最後に「現代の雨乞い」と題し、節水のステッカーや人工降雨について紹介されていた。現在はただ祈るだけではないという点で面白いのだが、神への雨乞いが過去のものになったわけではあるまい。雨乞い祈願の現状についてもう少し触れてもよいのでは?


5月2日(金) 教育実習の予約のため秦野高校へ行きました

5月1日(土) 奈良市内を歩く 〜大阪・奈良旅行(3)〜

 この日は一日中、奈良市内を歩いた。午前中は雨が降っており歩きづらかったが、それよりも三日間で増えたもの(主に図録たち)が重く肩と足を痛めてしまった。

春日大社
 遠く御蓋山への信仰に端を発し、藤原氏による新たな信仰を重層的に持つといわれる春日大社。参道の両脇の石灯籠の列が印象的であった。私の春日大社への関心は神体山としての御蓋山、依代としての磐座、そして本殿に懸けられているという鏡。しかし、御蓋山へは入山できそうもなく、本殿への特別参拝も祭礼の関係でかなわなかった。
 磐座については、南大門前の赤童子出現石、水谷神社社殿下の石(どんな石なのか遠目ではよく分からない)、紀伊神社前の石(これが磐座だとは言われて見なければ気付かない)の3箇所を確認できた。もう少しあるはずなのだが、不覚にも資料を持参しなかったため次回へまわさざるを得ない。岩と石どちらを使えばいいのか分からないが、いずれも1mに満たないものであり、そのものを神として崇める巨岩・大石(大場磐雄先生のいう「石神」)とは違った、依代としての標識(「磐座」)という性格のものであろう。
 これらが歴史上あるいは現在においてどのように扱われてきたかは未確認である。

執金剛神立像・二月堂
新薬師寺
奈良市写真美術館

元興寺
 歩きつかれてきたので元興寺では、まず本堂内でゆっくり休み、その後収蔵庫の見学へ。目的は、中世仏経民俗資料である。例えば、納骨習俗の遺品である蔵骨器。羽釜形、木製五輪塔形など各種あってり、ある。元興寺文化財研究所の事業紹介のコーナーもある。

奈良国立博物館特別展「東大寺のすべて」
 今回の旅の主目的の1つで、新館・本館まるまる使って開催されていた。規模が大きく、見るのに疲れてしまうこと、解説が個々の作品の説明ばかりで、そこに書かれた(こめられた)内容については初心者には分かりにくいという、この種の展覧会につきものの欠点はあったが、個々の資料自体は興味深い。
 まず、不空羂索観音像の宝冠。勾玉等の玉類が使われていることは知っていたが、2万数千という数を間近で見ると迫力がある。また今回、骨格は銀製であり、鏡も何面か取り付けられているのを知った。当時の輝きは相当なものだっただろうと想像される。さらにこの宝冠の上に掲げられた天蓋の海獣葡萄鏡・飛天十二支鏡の存在も興味深い。なお、この宝冠は明治10年に大破していたものが修理されたということで、その残欠も展示されていた。必ずしも天平当時の姿ではないことは留意しておきたい。
 東大寺山堺四至図として今回出展された資料は正倉院の原本ではなく近世の模本であった。しかし、創建直後の東大寺の姿が絵図として伝わっているのは非常に面白い。春日大社を語る上で重要な「神地」と書かれた場所も確認できた。その他にも、大仏殿以外に千手堂、羂索堂、新薬師寺などが描かれており、改めてそれらの堂の伝統の古さを実感することとなった。
 日光・月光菩薩立像は、目玉とされるだけのことはあった。ほとんど目にしたことがなかった塑像の質感を十分味わうことができたし、鮮やかに残っている衣の赤や緑にも感動した。
 
飛火野
 出発は21時半、まだまだ時間はある。とりあえず午前中雨雲で見えなかった御蓋山の姿をカメラに収めることにした。とはいえ、どこから撮ればいいのやら。いったん興福寺まで行ってみたがどうも木が邪魔する。もっと近づいた方がいいのかと思い直し、たどり着いたのが奈良公園南東隅の飛火野であった。今思えば、どこかで飛火野からの御蓋山を写した写真を見ていたのかもしれない。
 一枚撮ったあと、鹿の一群が駆け抜けていくのが見えた。言うまでもなく奈良公園の鹿は春日神の乗り物とされている。御蓋山をバックに鏡を乗せた鹿を描いた春日鹿曼荼羅が思い浮かんだ。あんな写真が撮れないだろうか。
 しかし、幸い鹿は戻ってきたが、彼らは止まってくれなかった。現像に出していないので結果は分からないが、おそらく駆け戻ってくる鹿をなんとか写しこんだ、せいぜいという感じの仕上がりであろう。

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