管理人の日記 〜2002年6月〜先月日記トップ翌月
6月22日(水) 石器文化研究会
 神奈川県社会福祉会館にて行なわれた石器文化研究会の例会に参加した。
 今回は、大工原豊氏(安中市教育委員会)の「縄文石器の型式について」。主として氏が「打製系列」と呼んでいる打製の石器の製作工程を追いながら、技法・形態の差を集団差とみなしてその動きをみてゆくという方法論を主張された。時間に強い土器に対し石器は空間に強い、という興味深い指摘をされ、石器独自の編年作業の必要性を説かれた。
 縄文時代に限らず石器研究の現状についてはまだまだ認識不足な私であるが、こうした手法の重要性は理解したつもりである。問題は、私が何をやっていくか、という点だろうが、未だにいろいろ悩むところがあって決していない。(02.7.11)

6月19日(水) 東京都写真美術館「風景論」
 bunkamuraザ・ミュージアム、松濤美術館と並んで、大学の行き・帰り・授業間に歩いて行ける美術館として東京都写真美術館がある。今回は「風景論」と題し、中野正貴・鈴木理策・平野正樹という3人の写真家の作品を展示していた。私にとっては特に前二者の作品が興味深いものであった。
 中野正貴氏の「TOKYO NOBODY」は、その名の通り誰もいない東京を撮った作品である。渋谷、代々木、新宿など見なれたポイントで、誰もいない風景が写されている。だが、正直なところこの作品群を見た時にはそれほど感心したわけではない。なぜなら、そこに写された風景は、地方都市の駅前とあまり変わらないように見えたからである。東京と地方都市との風景差、それは人の多寡によるところが大きい。これは私にとってはちょっとした発見であった。あの作品の凄さについては、その後渋谷や新宿を歩ことで、この大都会で人がいなくなる瞬間があるとは信じられないという思いを実感することになった。
 鈴木理策氏の「KUMANO」は一般参賀から熊野に至る一連の旅程において撮影された写真群である。私の熊野へのあこがれもあるだろうが、思わず撮影された写真と写真との間にあった風景を想像してしまう。鈴木氏はこれを文章になぞらえて「行間を読む」と呼ばれていたが、まんまと写真家の意図に嵌ってしまったようである。(02.7.11)

 東京都写真美術館日本の新進作家展「風景論」


6月12日(水) 国立西洋美術館「プラド美術館展」

6月9日(日) 墓標研究会例会
 慶応義塾大学において開催された、墓標研究会の例会に参加した。発表者と演題は以下のとおりである。
  

6月8日(土) 祭祀考古学会平成14年度総会記念講演会「装飾古墳の思想」
 國學院大学において、小林三郎先生(明治大学教授)の講演会が行われた。「装飾古墳の思想」と題し、虎塚古墳(茨城県ひたちなか市)の壁画を中心にお話いただいた。

6月7日(金) 琉球の考古学 〜池田教授講演会〜
 國學院大學考古学研究室講演会として、琉球大学教授の池田榮史先生の講演会が行なわれた。「考古学による中世琉球文化圏復原の試み」と題し、沖縄考古学−特に中世考古学の現状と課題についてお話をいただいた。
 はじめに貝塚時代・グスク時代あるいは北部圏・中部圏・南部圏といった琉球考古学の時間的・地域的枠組みについて概観された。グスク時代は農耕社会であり、また琉球列島全域が同じような文化圏にまとまっていく時代だという。問題はその開始時期で、現在のところ10世紀〜12世紀頃と考えられているという。
 そうした時代を考える上で今回取り上げられたのが、グスクと類須恵器である。軍事施設としてのグスク研究は沖縄本島で発展し、それを他の島々に適用させていった経緯があるが、南部圏や北部圏では本島とは異なったあり方を示す場合があるという。グスクの形成には中山王の琉球諸島統一とそれに関わる各島・周辺諸国の動きが関連するが、文献記録と考古資料とはその動きが一致しない場合もあるという。こうした状況は興味深いところだが、物質文化の動きも現状では必ずしも細かく捉えられている訳ではなく、基礎研究の必要性が感じられる。
 その基礎と成り得るのが類須恵器である。高麗の影響が見られるというこの土器は技術的には琉球列島全域に分布する。しかし、窯跡も十分に調査されておらず、また琉球の遺跡の性格上消費地の遺跡も十分な層序が確認できないという。今後は改めて集成と型式学的検討を進められるということである。
 最後に、池田先生は1000km以上にわたる琉球列島の研究者人口の少なさ、基礎研究の未確立という現状の問題点を指摘され、琉球考古学にも関心をもつよう訴えられた。
 池田先生のお話は、琉球の中世にほとんど関心の無い私にとっても非常に面白いものであった。それは、本土の各時代の細分化した研究とは違い、考古学研究の基本的な部分について述べられたからであろう。特に層序が明確でないことや、調査自体の少なさは、関東地方ではほとんど意識しない問題である。考古学の方法は何処でも同じ、とは言いながら地域の格差は確実に存在するということだ。とはいえ、その分、今後の発展には多いに期待できるとも言える。

 その後の懇親会では琉球大学の学生とお話する機会が得られた。1年生から院生まで、じっくりとお話はできなかったが様々なお話を聞いた。琉球大の考古学専攻生は十数人。来ていない人もいるだろうが、一学年80人近い國學院とは大きな違いである。琉球の縄文時代を研究している方もいたが、琉球はおろか西日本のことはほとんど知らない私にとっては、いろいろ興味深いお話を聞くことができた。とはいえ、やはり知らないのでは深い話はできない。まずは、近いうちに沖縄に行ってみよう。

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