管理人の日記 〜2002年8月〜先月日記トップ翌月
8月25日(日) 縄文からアイヌへのまなざし 〜アイヌ文化振興・研究推進機構アイヌ工芸展「海を渡ったアイヌの工芸」〜

 (財)アイヌ文化振興・研究推進機構の主催で北海道開拓記念館と神奈川県立歴史博物館をまわるアイヌ工芸展「海を渡ったアイヌの工芸 −英国人意志マンローのコレクションから−」を横浜会場で見てきた。本展はスコットランド王立博物館、エジンバラ大学博物館、大英博物館、北海道開拓記念館が所蔵するN・G・マンローが収集したアイヌの民族資料コレクションを一堂に会したもので、「マンローの眼差し」をテーマにコレクションの形成過程に重点を置いた展示を行っている。

 マンローは医師であるが、学生時代に旧石器を採集し、来日後は横浜に住み、早川での「旧石器」の採集、三ツ沢貝塚の発掘、忍路環状列石の調査など考古学的な調査研究を行っており、考古学史上でも重要な人物である。
 今回の展覧会はあくまでアイヌへの眼差しをテーマとしたものであるが、三ツ沢貝塚出土の土器片などがはじめに並べられていた。これはマンローのアイヌへの興味が、石器時代人種論争が展開していた当時の学界の中で、縄文遺物とアイヌ民族資料との類似に注目したことから発生したことを示すものである。一緒に並べられた資料(=イギリスの各館所蔵資料=マンローが初期に収集した資料)はイクパスイ(捧酒箸)、矢筒、衣装、マキリ(小刀)などアイヌ文様が顕著に現れているものであった。前三者は儀礼に用いられる品であり、後者はそれ1本で全ての用を足すことのできる刃物としてその個人には重要な品である。そこに表現された文様は作りの丁寧さへの驚きとともに、確かに縄文土器文様を見た時と同じようなマジカルさを感じさせるものである。
 その後、軽井沢を経て、北海道二風谷に住んで以降はアイヌへの無料診療の傍ら、アイヌ文化の研究に励んだ。石器時代人からアイヌ民族文化そのものへ関心が移ったということである。主として現在北海道開拓記念館が所蔵する資料であるが、前述の横浜時代の収集品にはないものを集めている。しかし、図録によれば生活全般にわたる資料を集めている訳ではなく、信仰・儀礼に関する資料を中心に集めていたようである。今も二風谷の地に眠るように彼は二風谷での長期在住によってコタンの人との信頼関係を築き、マンロー以前の研究者は知りえなかった女性の守り紐も収集することができたという。
 さて、今回の見学は、アイヌ研究を例にした学問の眼差しと社会への影響をテーマとした単位レポートの取材の一環である。この夏、東大総合博物館でマンローの撮影した熊送りの映像を見、二風谷のマンローの墓に参ってきた私にとって、マンローという一人の外国人研究者の眼差しを彼の収集した資料から再構成するという今回の展覧会で得た情報は大きい。ただ今回は「アイヌ工芸展」であるためか収集品ばかりで若干著書が展示されていたものの、原稿やノート・写真類がなかったことは残念である。また一人の学者の眼差しを考える上では初期の考古資料を含めたコレクションの全貌の中でのアイヌ資料の位置付けを考える必要があろうと思われる。それは「人類学」として一括されていた時代から「形質人類学」「民族学」「考古学」などが分化していく過程と比較しても面白いだろう。

 なお、今回アイヌの工芸家がスコットランドのマンローコレクションを調査し、複製を作成した。本展の第3部では、現代の工芸家とマンローコレクションとの出会いをテーマに、複製品と彼らのインタビューを展示している。
 また本展は彼らアイヌの工芸家と共同で作りあげた、ということである。図録に述べられているとおりマンローコレクションがアイヌ文化を次代に伝えるための媒介となったこと、アイヌとともに展覧会を準備したことは注目される。最後に付け加えれば、先に述べた女性の守り紐は札幌では展示されたものの、アイヌの中にも展示について賛否両論あったということで横浜では展示されていない。こうした諸点も学問と社会の関係を考える上では重要な出来事であろう。(02.8.28)

(財)アイヌ文化振興・研究推進機構アイヌ工芸品展「海を渡ったアイヌの工芸 −英国人医師マンローのコレクションから−」


8月23日(金) Bunkamura ザ・ミュージアム「マグリット展」

8月17日(土)〜21日(水) 愛知県新城市を訪ねて 〜国学院大学民俗学研究会夏期採訪〜

8月16日(金) 「飛鳥・藤原京展」

8月13日(火) 新潟県立歴史博物館特別展「奥三面展」

8月10日(土)〜11日(日) アイヌ文化の保存と継承 〜北海道二風谷と知里幸恵展〜

8月1日〜10日 美利河1遺跡K地点第7次発掘調査

8月1日(木) 函館博物館の120年 〜函館博物館特別展「はこだて博物史」〜
 考古学演習へ向かう途中、時間があったので函館博物館を見学することにした。函館へは高校2年の修学旅行以来である。函館山の東麓の函館公園内に位置する函館市立函館博物館は1879年(明治12年)に開拓使函館仮博物場としてスタートした古い博物館であり、水産陳列場時代、図書館付設時代などを経て1948年(昭和23年)に函館博物館として再出発している。折りしもその歴史を紹介する特別展「はこだて博物史−街と歩んだ函館博物館の120年−」が開催されていた。
 視点をずらすと像がゆがむ古いガラスを使った開館当時の陳列棚や奇獣珍漁の剥製などの開館当初の展示品をはじめ、特徴的なコレクションや備品などを展示している。明治以来の展示室の様子や調査研究活動・教育普及活動の写真、特別展ポスター、博物館が取り上げられた新聞記事なども展示されており博物館史の資料として興味深く見学した。
 また、自然科学系や美術系の資料については省略するとして、考古学的・人類学的な資料としてはモース、ミルン、バチラーらの縁の品や能登川隆コレクション(続縄文期資料など)、馬場脩コレクション(アイヌ民族資料)、児玉作左衛門コレクション(アイヌ民族資料)、サイベ沢遺跡出土品、住吉町遺跡出土品、樽岸遺跡出土品など北海道の考古学史・人類学史上重要な多数の資料を見ることができたことも嬉しい。
 なお、屋外には県の文化財指定を受けている仮博物場、第二博物場(明治16年完成)の2つの建物も残されている。(02.8.28)

 函館市立函館博物館
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