管理人の日記 〜2003年7月〜先月日記トップ翌月
7月25日(金) 歴博特別講演会 「弥生時代の開始年代 −AMS年代測定法の現状と可能性−」
 東京千駄ケ谷の津田ホールで開催された表記の講演会を聞いてきた。駅前のホールという場所設定、18:00〜20:30という時間設定は嬉しい。
 当サイトの掲示板でも議論になっていた。《弥生時代の開始年代が500年遡る》という歴博発表を一般に分かりやすく提示するという目的のもと、第1部で藤尾慎一郎氏・今村峯雄氏・坂本稔氏・春成秀爾氏の4名が研究の概要、測定法の紹介、従来説との関係・展望について講演された。第2部は予め集めてあった「質問」の中から多かったものを取り上げ、答えるという形式であった。第2部は、初歩的な疑問を中心に構成されていたが、私も聞きたいことばかりであり好都合な企画であった。
 AMSで測定した結果、従来よりも高精度の年代が提示されることは理解できるが、それ以前の体系との整合性については、その体系自体を知らなければならない。新年代によって体系のどの部分が影響を受けるのか、逆に整合する部分があるのか。今回の講演会は、こうした初歩的な問題について簡単にまとまっており非常に有りがたいものであった。(03.08.05)

 歴博歴博特別講演会 「弥生時代の開始年代 −AMS年代測定法の現状と可能性−」


7月25日(金) ハイウェイプラザ東京「高速道路の建設と埋蔵文化財」
 「我々JHは、高速道路の建設を通じて、埋蔵文化財の保存や研究に対し、大きく貢献しております。」
 これは現在ハイウェイプラザ東京で行われている「高速道路の建設と埋蔵文化財」という展示会の説明文である。ハイウェイプラザ東京は高速道路に関する情報提供などのサービスを提供するスポットで、田町駅から歩いて6分の日本道路公団東京建設局の入っているビルの1階にある。建設局のサイトによると「高速道路の建設と埋蔵文化財との関わりを広く理解していただくため、千葉県教育委員会の後援、財団法人千葉県文化財センターの協力により、高速道路建設に伴い発掘された埋蔵文化財の展示会、埋蔵文化財発掘体験ツアー(東京湾アクアラインの見学を含む。)及び古代の人々の生活を学ぶとともに勾玉作りにチャレンジしていただく体験会を開催します」ということだ。

 展示されていたのは館山自動車道建設に先立って調査された8箇所の遺跡で遺物と写真パネルで紹介している。調査・整理の流れを示したパネルや、土器や貝などの触れるコーナーもあった。この中で特に、三直貝塚(縄文後・晩期の環状盛土遺構など)や鹿島台遺跡(弥生時代の集落・方形周溝墓など)などの資料は、一昨年現地で見学した遺跡ということもあって個人的には興味深いものであった。
 ただし、今回の目的はそうした考古学的な見地というより、「開発と文化財」というテーマを開発側がどう展示しているのかをみることにあった。その意味では、大規模開発の事前調査完了時に埋文センター主催で行われる速報展示とあまり変わるところがなく、違うのは、最初のパネルで、道路建設や料金収受、パトロールと並んでJHの事業として埋蔵文化財の仕事が挙げられ、冒頭に紹介したような趣旨が述べられている程度であった。展示方法に期待していった私としては少々拍子抜けであった。

 さて、開発側でこのような試みが行われるというのは、埋蔵文化財に対する理解と受け取れるのか。受益者負担が確立し、考古学情報が豊富になったことは確かである。こうした立場は開発側としては当然であり、本展はこの理論を強化するものとして評価できる。
 ただし、一方で多くの遺跡が消滅していったことも事実である。今回とは別の立場からの「高速道路と埋蔵文化財」点もまた必要であろうということを言い添えておく。(03.08.05)

 高速道路建設に伴い発掘された埋蔵文化財の展示会、発掘体験ツアー及び勾玉(まがたま)作り体験会について


7月13日(日) 美術展の最終日 〜東博「鎌倉−禅の源流」・Bunkamura「ミレー3大名画展」〜
 東京国立博物館鎌倉−禅の源流
 東京国立博物館こどもミュージアム 博物館ってどんなところ?―はたらく人たち編―
 Bunkamura ザ・ミュージアムミレー3大名画展 〜ヨーロッパ自然主義の画家たち〜


7月2日(水) 新発見考古速報展「発掘された日本列島2003」
 今年も速報展の時期がやってきた。なかなか時間が取れなかったが、2日、友人とともに授業を放り出して江戸東京博物館会場へ行って来た。今回は41遺跡が紹介されていたが、その中で興味深かったものを紹介していく。
 まず、会場に入ると今城塚古墳出土の形象埴輪たちが並んでいる。大きな家形、人物、鶏などなど。先月の歴博の「はにわ」展同様、細部の表現が面白い。
 縄文時代では、北海道垣ノ島A遺跡の足形付土版が興味深い。17点が「早期の土坑墓から出土」したということだが、足形付土版といえば後期頃と考えていた私は早期からあったこと、しかも両足を押した大きなものがあることを初めて知った。ただ、時期については青森の前期に並行する可能性があるとも聞いた。また、出土土坑が墓である点については、類例から推察したとのことだったが、後期の副葬土器を研究しようという私としては、広く縄文時代全体の副葬事例を改めて見直しておくことが必要だと感じた。また、後期の小さな漆塗りの注口土器や香炉形土器、土笛形土製品も器種の機能を考える上で興味深い。さらに、これらの資料を注目させるのは、被災資料であるということである。昨年末の南茅部町埋蔵文化財調査団事務所の火災にあった資料であるが、土版は黒く焼けたまま、注口土器は黒くなった現物と赤漆のレプリカが展示されていた。実際の被害状況を見ることで少しでも防災意識を高めてほしいと思う。
 栃木県の長者ヶ平遺跡の資料も、土坑出土の資料である。火焔形土器、浄法寺タイプ、土着土器の3種に大別できる16個体の深鉢が一括して土坑から出土した。これらは地域性、あるいは土器編年の貴重な資料であるが、そもそも土坑から大量の土器が出土すること自体興味深い。
 この他、縄文時代の資料として大鹿窪遺跡(静岡)、向田(18)遺跡(青森)、嘉倉貝塚(宮城)、石神貝塚(埼玉)、本野原遺跡(宮崎)、宇宿小学校構内遺跡(鹿児島)など。(03.08.05)

 インターネットミュージアム:発掘された日本列島2003


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