管理人の日記 〜2004年5月〜先月日記トップ翌月
5月31日(月) 『若木考古』第97号の発行  國學院大學考古學會の会報である『若木考古』の97号を発行した。内容は次の通りである。
 「縄文時代の加工食品炭化物−研究史および事例の集成−」中村耕作(博士課程前期1年)
 「「黄門様の考古学」聴講記」小池利春(学部2年)
 「下宅部遺跡はっけんのもりお誕生日会」岡田真弓・若田部奈奈(学部1年)
 「新刊紹介 『國學院大學21世紀COEプログラム2002・2003年度考古学調査報告 東アジアにおける新石器文化と日本1』」新原佑典(学部4年)
 「動向」
 97号は既刊の96号・続刊の98号と共に8月7日に行われる若木考古会において先輩方にお配りする予定である。また、希望される方には郵送いたしますので御連絡お待ちしています。
 なお、今回の私の小文は本サイト掲載の文章をもとに、研究史の部分を加えたものである。


5月29日(土) 古代中世の神道・神社研究会「古代の神社=島根県青木遺跡研究集会」
 國學院大學21世紀COEプログラムの一環として、神道史部門主催の表記の研究会が開催された。島根県青木遺跡で発見された、奈良後期から平安初期の神社ではないかとされる建物遺構をめぐって、考古学・神道史・古代史の各分野の研究者により議論が交わされた。
 「神社」をいかに捉えるか、この点に関して各研究者の捉え方は様々であり、また『出雲国風土記』その他の分析からも古代の神社の実態は一定のものではなかったらしい。
 まず、調査担当者の松尾充晶氏(島根県埋蔵文化財調査センター)が「出雲・青木遺跡の祭祀について」として青木遺跡の事例報告を行った。1月に行われた祭祀考古学会研究会においてもお話いただいたのだが、今回は特に建物遺構と井戸状遺構について詳しく述べられた。
 次に、錦田剛志氏(島根県立博物館)による「出雲地方における祭祀空間〜奈良・平安時代を中心に〜」であるが、まず『出雲国風土記』の分析で多様な祭祀空間のあり方を想定し、その中で律令祭祀を担ったものを「社」とする見解を提示、また建物を持った「宮」の少数性を指摘された。次いで7〜9世紀の出雲地方における祭祀関連遺跡を紹介され、仏教系要素の出現や玉作の変化のある8世紀中頃の画期性を指摘された。
 笹生衛氏(千葉県立安房博物館)は「房総地方における祭祀空間〜奈良・平安時代を中心に〜」と題し、千葉県内の大規模調査の結果を踏まえた祭祀空間の変化について話された。まず、君津市小糸川流域において、5世紀末〜15世紀という比較的長い時間の中で、集落の盛衰に伴って祭祀空間が3〜4回程度移動していることを紹介、祭祀空間のみならず周囲の集落との関係を捉えて考察する必要を指摘された。また印西市鳴神山遺跡の分析をもとに、集落内でも8世紀後半を境に手捏土器を用いた集落祭祀から供献用墨書土器を用いた単位集団・個人単位の祭祀へ変化したという、祭祀空間・祭祀単位の変化についても述べられた。
 最後に、文献史の立場から、早川万年氏(岐阜大学)が「出土文字資料・関連文献史料からの考察」と題し、主として青木遺跡出土の買田券木簡をとりあげ、地域住民と神社の関係を考察された。
 その後、コメンテーターや一般参加者を含めたディスカッションが行われた。単体の遺構だけではその性格をつかむのは難しいこと、その周りの地域との関わりを押さえる必要性が改めて指摘された。

5月23日(日) 日本考古学協会第70回総会
 今年も待ちに待った総会が千葉大学で開催された。待に待ったとは図書交換会についてであるが、1・2年の頃に比べると新たな本との出合いよりも、予定していたものを買うことが多くなったように思う。また、六一書房さんが毎月のように学校に出張販売に来てくれるので、3・4年の頃と違って2割引の出版社発行の本に重点を置くようになったように思う。会場が混雑していたこと、関東以外の地域の出店が少なかったこと、『祭祀考古』の売り子が2〜3人だったことなどであまり席を立てなかったことなどの理由で目次をじっくりと読むことをしなかったためかもしれない。結局、期待していたほどの成果はなかった、というのが正直な感想である。
 その一方で、声をかけてくださったり、こちらから声をかけるような方が増えたことは嬉しい。東海大と大阪大に行った友人との再会もあった。何人かの方に『若木考古』をお渡ししたし、また抜刷をいただいたりもした。今後はこちらの方に重点が移っていくのだろう。自分の抜刷を渡せるよう頑張らなければなるまい。
 その点で、2001年に書き、その後当サイトに掲載した「石棒類の形態分類史覚書」が婆良岐考古26号の鈴木素行氏「節のある石棒−石棒研究史を学ぶ(前編)−」に引用されていたと聞いた時は嬉しく、早速に買いに走った。
 なお、國學院大學学術フロンティアの成果の一端を「考古学に関する記録写真資料の保存と研究への活用について−大場磐雄資料を中心に−」として山内利秋氏が発表した。プロジェクトとしては、民俗学・神道学等を含めた各学会での発表も今後は積極的に行っていくことが必要であろう。


5月22日(土) 下宅部遺跡はっけんのもりお誕生日会
 この日記でも度々取り上げてきた東京都東村山市下宅部遺跡の保存地区に設けられた「下宅部遺跡はっけんのもり」がオープンした。市民参加のワークショップの開始から3年半、私が育てる会に関わってから2年の準備期間を経てのオープンである。
 隣接する集会所での10時からの式典の最中から多くの方々が集まって下さり、11時のテープカットを迎えた。近くの第4中学校のブラスバンドによる演奏の後、「縄文服」に着替えた市長・教育長・調査団長以下黒曜石ナイフによるテープならぬロープカットで、開園した。その後、育てる会のボランティアによる遺跡各ポイントの解説、下宅部遺跡から取り上げた石を体験河原に自由に置くイベント、縄文スープの試食などが行われた。特に、古墳時代の河道を復元した復元河道(小川程度のもの)では、近所の子どもたちが楽しそうに遊んでいた。最初は石を伝わりながらだったが、午後には雨も少々降るような肌寒いのにもかかわらず、水の中に入っていた。また、この間体験学習広場では、模造石皿・磨石を使って昨秋採集したドングリをつぶしたり、テープカットで使った黒曜石製ナイフを使って紙を切ってみたりする体験が行われた。サークルの新入生なども来てくれたのだが、子どもたちに混じって楽しんでやってくれた。
 午後からは、縄文ファッションショー。これまでの歴史館でのイベントの際に各自がデザインしたものを着てもらうものである。続いて、縄文音楽隊。これも作っておいた有孔鍔付土器太鼓や土笛、土鈴などを使ったもので、土笛は飛び入り参加も多かった。いずれの楽器も音階が出る訳ではないのだが、リズミカルで楽しい音楽となっていた。最後に、「縄文笛毅」氏による土笛コンサート。私も孔の開いたものを笛にしてを鳴らすのは得意な方だと思っていたが、1つの孔しかない土笛でも、いくつかの違った音を出すところはさすが名人である。海獣形土製品(ビビ)がブオ〜と鳴ったのは驚きであった。下宅部遺跡出土の土笛の音色もきれいに響いていた。
 ようやくオープンしたが、やはりこれからの活動が一層大切になってくるだろう。近隣の方が公園として、我々が体験の場として、いかに使いあっていくのか。始まったばかりである。

5月19日(水) 文学部講演会「赤峰市における最近の考古学調査−祭祀を中心として−」
5月16日(日) 東京大学21世紀COEプログラム《「死生学」の構築》シンポジウム「墓に映された生者の世界」
5月15日(土) 日本文化研究所春季学術講演会「黄門様の考古学」
5月7日〜9日(金〜日) 北海道 環状列石の旅  5月8日の北海道考古学会主催の鷲の木5遺跡見学会にあわせ、北海道へ行ってきた。

 7日は、余市・小樽へ。新千歳空港から小樽へ行き、バスで余市方面へ向かう。まずフゴッペ洞窟(国史跡)の展示館へ。リニューアルされたばかりの展示館は、出土資料の展示、アジア各国にみられる線刻画の紹介などを経て洞窟へ。ライトがうまく調節してあり線刻が見やすい。不思議な絵である。弥生土器の絵画とは全然違う。小樽の手宮洞窟と見比べたかったが、今回は断念。このフゴッペからすぐ近くに西崎山のストーンサークル群が存在する(道史跡)。分布調査の報告書を片手に適当に上ったが、あった。多くは既に草叢に隠れてしまっているが、尾根上に小規模な配石が点在している。一ヶ所整備されている箇所がある。ここで言う「ストーンサークル」とは日時計状組石の意。大湯のようにそれが環状に配置されているわけではない。
 山を降りて、しばらく歩いたが次の目的地までは少々かかると気づき、再びバスに乗って忍路中央小学校前で下車。次の目的地は地鎮山環状列石(道史跡)と忍路環状列石(国史跡)である。両者はほとんど隣同士の尾根に立地する。まず、地鎮山環状列石であるが、ここは立石が環状にめぐっており、その内側に土坑を伴うもの。分布地図を見ると、その前後の尾根上にも配石遺構が存在するようである。次に忍路環状列石へ。西崎山・地鎮山が尾根上の高い位置に立地していたのに対し、こちらは尾根の麓と行ってよい地点に立地する。そのすぐ下には水場遺構が検出された忍路土場遺跡が存在し、現在でも水が湧いていた。忍路環状列石は近世以降、石の移動が行われているとされ、縄文時代とは若干様子が異なる。しかし、先の2者とも違って、基本的には日時計状組石らしい配石遺構を中心に立石が環状にめぐる構造をなしている。立石以外にも大きな自然石が各所に見られる。また、立石の周囲に小さな石が敷かれている部分もあり、大湯の例を思い起こさせるが簡単には比較できない。
 この日は最後に小樽の市立博物館へ行き、忍路土場遺跡出土のクッキー状炭化物や土器類を見て札幌へ戻った。

 8日は、札幌駅集合でバスで森町の鷲の木5遺跡へ。北海道縦貫自動車道の建設に先立ち調査されたもので、人頭大の石が列をなして配置されている。二列にめぐる外帯は直径35m前後で、中央部に長軸4.0・短軸2.5mの内帯を持つ。列石下には墓は無く、隣接して「竪穴墓域」が見つかっているほか、沢を隔てた地点からは墓坑と推定される遺構も検出されている。このような遺構は先の3遺跡の「環状列石」とは異なるものである。2003年11月に発表されて以来、北海道考古学会を中心に保存運動が展開されているが、是非とも残して欲しいと思う。
 帰りは、国道沿いに立つ八雲町栄浜1遺跡の家形石製品を模したオブジェで記念撮影し、八雲町郷土資料館では、その家形石製品や骨角器などを見学した。

 最終日となる9日は、周堤墓を見たいと考えていたのだが、どうも遠いようで断念。北海道立埋蔵文化財センター、恵庭市の恵庭RBパークで開催中の「カリンバ3遺跡展」、恵庭市郷土博物館へ。カリンバの朱で赤く染まった墓坑には眼が奪われたが、この周囲の墓については勉強不足であり、コメントは省略したい。(05/2/6記)


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