管理人の日記 〜2004年8月〜先月日記トップ翌月
8月20日(金)〜24日(火) 韓国調査行
 國學院大學21世紀COEプログラムの一環として、昨年の九州調査に引き続き杉山林継教授を中心として韓国の國立扶餘博物館所蔵鏡およびその出土地の調査を主目的とした韓国調査が行われた。
 20日に成田で前泊し、21日は8時55分に成田発、仁川国際空港を経て16時頃にソウル市内着。ホテルにチェックインし、すぐに國立中央博物館へ。私はやはり櫛目文土器に目が奪われる。器形・厚さ・施文方法とその変異には非常に興味をそそられた。しかし続く青銅器時代、原三国時代、三国時代、統一新羅時代の展示もまた面白いものであった。細かい違いはよくわからないが、日本の弥生時代〜古代の遺物に良く似ているものが少なくない。また、金冠につけられた多数の勾玉はその起源に関心が赴く。時間の都合で陶磁器類や絵画類は省略したが、金銅半跏思惟像は見ることができた。
 翌日はソウル南部にあるバスターミナルに移動し、8時50分発の長距離バスで首都移転先に決まった公州へ。運転手さんの好意でバスターミナルでなく、市内まで乗せてもらい、さらにジャンボタクシーの手配までして頂いた。このタクシーでまずは丹芝里遺跡へ。帰国後確認した所では4月23日に忠清文化財研究院が「日本特有の様式とされる5世紀(百済期)ごろの15基の横穴墓群を発見した」と発表したという遺跡である。丘陵上に多数の墓が展開しているが、多くはシートが被せられており横穴の状態を確認するには至らなかった。次いで國立公州博物館へ。ここは武寧王陵出土品を中心に大田・忠南地域の考古資料が展示されている。武寧王陵といえば現在福岡市立博物館で特別展「秘められた黄金の世紀展−百済武寧王と倭の王たち−」が開催されているが、武寧王は日本で生まれ、棺材は日本産ともされており(博物館ではそのような日本語解説はなかったが)、百済と日本との関係の深さを窺わせる。昼食後、武寧王陵を含む宋山里古墳群および、公山城を見学し、公州に次いで百済の都が置かれた扶餘へ向かった。
 扶餘でホテルにチェックインした後、タクシーで松菊里遺跡へ。青銅器時代の有名な遺跡であるが、銅剣出土地点は藪の中、集落跡も畑地や墓地になっている。戻る途中、6世紀前葉〜7世紀中葉の百済王陵である陵山里古墳群に寄る。宋山里古墳群でもそうであったがここにも模型館があり石室に入って壁画をみる体験を味わえる。続いて、扶餘を挟んで西側の九鳳里遺跡へ。ここも多鈕鏡出土遺跡であるが、地元の人に聞いても(韓国出身の方に交渉は全てやっていただいた)、日本人に教えないという人と教えてあげればいいという人の間で言い争いがはじまってしまうなど地点の確定が難航した。結局丘陵全体の地形を見て帰ることにした。帰り道で合松里遺跡の場所を探したのだがこれも分からず仕舞いであった。ところで、扶餘の周りは農村であるが、その裏山には土饅頭がたくさん並んでいる。1基あたりの面積が広いため、一山ほとんど墓地というところもいくつか目にした。韓国人の祖先観念を窺わせるとともに、一昔前の日本と同様、用地問題から納骨式に変化しつつあるという話も聞いており気になるところである。
 3日目が、いよいよ國立扶餘博物館での多鈕鏡調査である。休館日に展示品を出してもらい、その場で調査・撮影を行う。やはり神経を使う作業である。夕方、改めて場所を確認した合松里遺跡の遠景を撮影し、草むらと化した軍守里廃寺に立ち寄って、17時過ぎのバスでソウルへ。
 最終日は、午前中に建設中の國立中央博物館に挨拶へ。驚くほどの大規模な建物に圧倒されたが、「この規模に合う充実した中身を」という館長の言葉通りになることを期待したい。午後はソウル最大規模の書店である教保文庫・光化門店へ(現在最大は江南店らしい)。中央博・公州博でも支石墓関係の本をいくつか買ったが(扶餘博は休館日のため購入できず)、ここでようやく新石器時代の本を購入。読めない本でも何冊も買うと多少は読みたくなるものだ。
 16時時ごろソウル発。強行スケジュールの中いろいろとハプニングが起きたが、なんとかこなして、無事帰国。23時半頃大学に荷物を置き、帰宅した。
 國立中央博物館日本語版)・國立公州博物館國立扶餘博物館
 忠清文化財研究院文化財庁韓国考古学会
 東亜日報:公州で横穴式墓地が大量発掘…百済−古代日本交流の解明にカギ
 ※●はエキサイト翻訳:韓国語Webページ翻訳での翻訳結果


8月14日(土) 「サツキとメイの家」を狭山丘陵に
 下宅部遺跡はっけんのもりを育てる会の若手メンバーの懇親会で話が「サツキとメイの家」に及んだ。昨年12月20日の日記にも若干触れたように、愛知万博で再現される「サツキとメイの家」を万博終了後に東村山に誘致しようという話である。トトロは小学校の体育館ではじめて見た映画で、学級委員だった中学3年の時は文化祭で自然と冒険をテーマにしてこれを取り上げた思い出がある。考古学者のお父さんの書斎も気になるところである。
 市民の会が立ち上がったことは知っていたが、ホームページが開設されているのを知ったのでここで紹介する次第である。東村山、、狭山丘陵を隔てた所沢市やジブリ美術館のある三鷹市のほかは詳しいことは知らないが、報道によれば既に百以上の自治体が名乗りを上げているとのこと。私としては所沢でも東村山でも、ともかく狭山丘陵の一角に誘致されればそれで良いと考えるところである。
 東村山では市民の会が、所沢では青年会議所がWeb上での署名を行っている。当サイトとしては今のところ東村山を応援するが、いずれ一本化されることを望む。
 “トトロの家を東村山へ”市民の会
 所沢青年会議所:となりのトトロ「サツキとメイの家」を所沢へ!!

 朝日新聞:「となりのトトロ」主人公の家、愛知万博会場に再現へ
 読売新聞:サツキとメイの家建築中
 職人がつくる木の家:現場レポート あの「サツキとメイの家」を建てる


8月10日(火)〜13日(金) 新潟県山下遺跡の発掘調査
 4日間のみであったが、新潟県長岡市山下遺跡の発掘調査に参加することができた。本遺跡は1960年代の調査によって火炎土器が層位的に出土したことで知られる遺跡で、昨年よりNPO法人ジョーモネスクジャパン機構を主体として数年間の発掘調査が計画されている。既に『考古学研究』50-3に宮尾亨氏により紹介されているが、層位的発掘により火炎土器の成立期の様相(成立過程)を明らかにすることを主目的としている。火炎土器の成立期は層位的事例に恵まれておらず、これまで型式学的な研究が主流であった。また、考古学的に試料汚染の少ない状態での年代測定も行い、型式学・層位学・理化学年代の関係性を明らかにすることを目指している。
 今年は8月4日から12日まで調査が行われ、13日は片付けと県立歴史博物館の見学であった。私は10日早朝出発し、鈍行で昼ごろに長岡に到着。調査に合流した。なお帰りは新幹線である。
 成果については今後の公表に譲るとして、後半の4日のみであっても遺跡調査の楽しさ・厳しさを味わうことができたことにまずは感謝したい。宮尾氏、栃木短大の小林青樹氏を中心に、昨年から引き続き参加した同期の2人、栃木短大から編入した3年生、年代測定を担当する東大の院生、天理大の2回生、今年から参加した國學院4年生、実習の一環として参加した栃木短大の1年生、県博の西田泰民氏、イギリスのサイモンケイナー氏といった面々との昼夜にわたる交流もまた得難いものであった。また宿舎となったエコファーム新潟でのそこでとれた食材を使った食事も忘れてはいけない。また、今回の調査では考古学的に汚染の最も少ないと考えられる遺物に挟まれた閉鎖的空間から試料年代測定試料の採集する方針が立てられていたが、その方法を間近で見ることができたことも印象深い。いずれにしろ、この短い期間で感じたのは、来年は最初から最後まで参加し、調査の役に立ちたいということである。

8月7日(土) 若木考古会

8月6日(金) 東博「万国博覧会の美術」 附:吉祥天画像・広開土王碑拓本
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