管理人の日記 〜2005年7月〜先月日記トップ翌月
7月31日(日) 科博「縄文vs弥生」
 ネット上でも、前日の懇親会でもポスターが話題になっていた「縄文vs弥生」展へ。
 展示物は縄文・弥生の各文化を代表する遺物・人骨である。遺物については両文化を代表するだけあって多くは既に見たことのあるもの。従って、私の興味を引いたのは人骨の方である。しかし、縄文人と弥生人の骨の大きさや形の違いについてはよく分からない。一方、病変や治癒痕あるいは殺傷痕のある骨はリアリティを持っており、目を奪われた。
 さて、今回の展示は人類学の弥生人大量渡来説と考古学の縄文人主体説との対立が、歴博の弥生開始期遡上説で整合性をとれるようになったことをうけて、縄文・弥生の新しいイメージとその融合の姿を提示する、というのが趣旨のようである。しかし展示においてはこうした部分は最後のコーナーで触れられるのみで、縄文と弥生の融合、考古学と人類学の融合というテーマは伝わりにくいものであった。むしろ、タイトルにあるように縄文と弥生の対比がメインであったように受け取れる。これだけの遺物と人骨が一堂に会するというのは珍しいが両者の連関性はイマイチだったように思う。科博で、遺物と人骨で構成された2001年の「日本人はるかな旅」展が1つのストーリーの中に両者を配したのに比べると、本展のストーリー性の無さが目についてしまう。折角、斬新なポスターで話題を振りまき、代表的な資料を用意し、大勢の観覧者が来ているのに、何を伝えたいかという点が不十分だったのは残念である。
 国立科学博物館縄文vs弥生


7月30日(土) 土曜考古学研究会
 土曜考古学研究会の例会で、「縄文時代後期における土器副葬とその背景」と題して発表させていただいた。
 前半は、卒論で扱った土器副葬の事例を挙げ、地域的・時期的な展開、そこで用いられる土器形式の特徴などについてまとめた。後半は、現在検討し、修論で扱うつもりでいる甕被葬・浅鉢・注口土器・舟形土器などの時期別・出土状況別の分布を提示し、土器副葬とともにこれらが密接な関係を持っていること、その展開から地域間関係の動きが把握できることなどの可能性を指摘した、つもりであった。 
 しかし、(儀礼的な)土器の分布状況の評価という私の意図とは違って、質疑で問われたのは、土器副葬墓の墓坑群・遺跡内での位置づけ、「複雑化」等の用語の意味あい、先行研究の評価といった点であった。これらは基本的な部分であるが時間のかかる部分でもある。今回は敢えて外したのだが、それでは許してもらえなかったようだ。結局歯切れのよい返答をすることができず終わってしまった。
 敗因は前半と後半の両方をうまく結び付けられなかったことにある。つまり、冒頭で示すべき現状の問題点と発表の目的・目標を明確に提示できなかったこと、まとめで示すべき各事象の関連性に言及できなかったことである。検討中の後半部分に時間を費やすより、卒論である程度の結論を出した前半に絞った方がよかったのかもしれない。これらの点を踏まえて、改めて文章化しながら論点を明確にしていきたい。


7月30日(土) 埼玉県博「あの遺跡 この遺跡 埼玉発掘50年史」
 土曜考古での発表の前に時間があったので埼玉県立博物館を訪れた。ちょうど特別展「あの遺跡 この遺跡 埼玉発掘50年史」を開催していた。
 特別展では県内の代表的な考古資料が紹介されており、縄文時代の資料としては宮林遺跡・ハヶ上遺跡、神庭洞窟・妙音寺洞窟、将監塚遺跡・打越遺跡、寿能遺跡・石神貝塚、赤城遺跡の9遺跡と、稲荷原式、東山式、打越式、花積下層式、関山式、黒浜式、安行式(石神貝塚・真福寺貝塚・奈良瀬戸遺跡)の各標識遺跡の資料が展示されている。
埼玉県立博物館あの遺跡 この遺物 埼玉発掘50年史


7月23日(土) シンポジウム 「東アジアにおける鏡祭祀の源流とその展開」
 國學院大學21世紀COEプログラムの一環として表記のシンポジウムが開催された。
 鄭同修氏による、古代斉国の都の調査に関する基調講演の後、まず村松洋介氏より昨年度の調査・研究の成果の発表があり、次いで、柳田康雄氏「弥生時代の鏡祭祀」、辻田淳一郎氏「破鏡と完形鏡」、岩本崇氏「三角縁神獣鏡と古墳祭祀」、上野祥史氏「古代東アジアの中国鏡」、杉山林継氏「破壊する儀礼」と、各視点からの発表が続いた。
 特に、辻田氏、岩本氏、上野氏ら若手研究者の発表は、鏡という宗教的・社会的に大きな意味のあったモノがいかに扱われたか、それをどのように読み解くのか、という点で参考となる部分も多く、興味深く拝聴した。
 國學院大學21世紀COEプログラムシンポジウム 「東アジアにおける鏡祭祀の源流とその展開」


7月16日(土) 発掘された日本列島2005


7月10日(日) 歴博企画展「水辺と森と縄文人」
 歴博の企画展「水辺と森と縄文人−低湿地遺跡の考古学−」を見に行った。青田遺跡・下宅部遺跡・是川中居遺跡出土品をはじめとする木製品約160件を一同に会したもので、工芸、水辺の生活、低湿地遺跡から見た縄文文化の3部構成である。
 少々専門家向けすぎるような印象も受けたが、最近土器ばかり見ている私には刺激的な内容であった。水辺のムラの復元イラストに殆ど土器・石器が登場していない。狩猟具・漁撈具や樹皮製・木製容器など生活道具の大部分が植物質のものであった可能性を改めて感じさせた。土器・石器との関係で言えば、舟形を呈していたり、脚が付いている木製の皿や容器などには、形態的特徴から浅鉢や石皿などとの関連を考えさせられた。墓制との関わりでは、そのものの展示ではないが正楽寺遺跡のアンギン状製品や内野第1遺跡の朱塗り編組製品など遺体を覆ったものが確認されているという情報は興味深いものである。
国立歴史民俗博物館水辺と森と縄文人


7月9日(土) 中屋敷遺跡

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