管理人の日記 〜2005年9月〜先月日記トップ翌月
9月24日(土) 日本情報考古学会

9月10日(土) 江戸東京たてもの園特別展「東京前史」
 旧武蔵野郷土館の資料を受け継いだ江戸東京たてもの園で、その考古資料を展示した特別展「東京前史」が開催されている。武蔵野郷土館による調査としては、喜代沢遺跡、下布田遺跡、称名寺貝塚などが頭にあり、後・晩期の資料を目当てに出かけて行った。会場の関係もあって思ったほどの資料数ではなかったが、旧石器時代から近世まで幅広い資料が展示されていた。ただ、「武蔵野郷土館」の活動紹介や、その学史的位置づけなども欲しいところであった。
 江戸東京たてもの園

9月6日・7日 茅野・諏訪・岡谷
 再び修論モードに戻り、1泊2日で、諏訪湖周辺の資料見学に行ってきた。早朝の鈍行で茅野へ向かい、尖石縄文考古館へ。以前は中期の資料ばかりに目がいっていたが、後期という目で見るとかなりの資料が出ている。棚畑遺跡、中ッ原遺跡、駒形遺跡、一ノ瀬遺跡・・・。後期前葉期の甕被葬の事例数は茅野がトップである。特に堀之内2式新段階の資料が多い。「仮面の女神」の傍らからも伏せた浅鉢が出土している。なお、ここで前日発表された谷口康浩先生の尖石縄文文化賞の受賞を知った。教えを受けている者として誇らしい限りである。
 午後は、諏訪市博物館へ。ここでは十二ノ后遺跡、千鹿頭社遺跡の資料を観察した。茅野の資料より一段階古いようである。翌日の岡谷の資料と共に、関東系の深鉢と中部高地系の鉢との融合過程を考えさせる資料である。
 翌7日、午前中は上諏訪の間欠泉を見たり、足湯に使ったりしてゆったり過ごし、午後から岡谷美術考古館へ。ここでは梨久保遺跡・花上寺遺跡の資料を観察させていただいた。諏訪のものよりさらに古いものがある。なお、この時間差は歴史的には有意なものではなく、今回見学できなかった資料を含めると各地で各時期の資料が出ているのだが、私が資料を見ながら考える上では有効であった。
 これらの資料見学の結果、葬送儀礼−土器形式−地域の関係という修論の主題を浅鉢の展開に代表させて書くことに決した。今後は、北信〜群馬、南関東の様相を把握していくことが必要である。最後に、見学にあたってご配慮いただいた各館の皆様に感謝したい。
 茅野市尖石縄文考古館諏訪市博物館

8月31日(水)〜9月3日(日) 北海道へ
 3泊4日で北海道へ行ってきた。北方の動物意匠をテーマとする同期生の資料見学に後輩とともに付いて行ったもので、久しぶりに修論や実習から抜け出しての観光気分であった。但し、主催者は所用で途中で帰ってしまうし、結局半分は遺跡や博物館を見たのだが。

初日:北方民族博物館・常呂いせきの森
 まず、女満別空港から北海道立北方民族博物館へ。展示図録やシンポジウム記録集など研究活動については前から興味ある博物館であったが、ようやく訪れることができた。北方民族の文化についてテーマ別に展示が行われている。民博など多数の民族を扱う博物館と違って、同じような環境条件の下での諸文化の展示は、共通性や差異性などが分かりやすい。竪穴住居の実大模型や動物製の衣装などは写真や図で見てきたイメージと異なったものであった。

 次いで、常呂へ。まず、東京大学大学院人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設へ。オホーツク文化期の資料ばかりかと思っていたが、縄文土器、続縄文土器もかなりある。縄文土器では、まずは後期中葉期の資料が気になるところである。ホッケマ式などは文様の細部を見ると違っているのだが、全体としては確かに加曽利B式にそっくりである。次いで、続縄文期の副葬品。小形土器数点と石器が一括される。北海道では縄文時代後期以降にそうしたセットが認めれらるようであるが、関東の目から見ると多いという印象を受ける。土器にはコゲ・煤が認められるようであり、明瞭な痕跡が認められない関東の縄文後期の土器とは異なる。さらに、続縄文期(北大式)の注口土器はまとまった数を見ることができた。これもコゲ・煤が認められるようであるが、土器群の中での位置づけなどの研究はなされているのであろうか。次いで、常呂町文化財センターへ。ここも同様の展示品であるが、特に続縄文期の墓坑一括資料が多数展示されており、副葬品のセット関係と内容の比較が出来る。常呂遺跡の館は一般向けの施設であるが、ここも内容はほぼ同様。最後に屋外の史跡常呂遺跡へ。「埋まりきっていない竪穴」を見たかったのだが、整備された場所でいくつか見られたのみで、しかも大量の蚊が付いてくるので立ち止まらず早足で一周してくるのが精一杯であった。この日は網走泊
 北海道立北方民族博物館ところ遺跡の森

2日目:旭山動物園と音江環状列石
 網走から旭川へ大移動。途中白滝村を通るが、今回はパス。いずれ原産地〜消費地までの遺跡群をめぐることもあろう。最初の目的地は旭山動物園である。入場者数日本一を誇るという人気の動物園ということであったが、展示されている動物の種類は驚くほどではないが、動物学的な説明に留まらない担当者や子どもたちの手書きの解説は見ていて面白いし、覗いたり、見上げたりといった各種の展示方法など見せる工夫が面白い。ちなみに、私の好きな動物は猿である。日本ザルやチンパンジーはずっと見ていても飽きない。
 その後、音江環状列石へ。音江とキウスの2ヶ所は寄ってくれというのが私のリクエストで、後のコースはお任せである。音江の配石群は小高い山の頂上部分に、尾根上に帯状に分布している。小樽周辺の環状列石よりやや高い位置にあること、各配石の規模もやや大きいという印象を受けた。今後、神居古潭や、道東部の環状列石を比較したい。また、土手状の囲みが残っており、周堤墓との関連が頭をよぎった。
 その後、神居古潭に寄った。どこが見所か今ひとつ分からなかったのだが、河を渡った先にある旧神居古潭駅の周辺案内に「ストーンサークル」と書かれていたので是非行って見たかったのだが、地元の人に聞くと今は道が無いとのこと。だいぶ日が傾いていたこともあり今回は断念し、富良野へ向かった。
 旭川市旭山動物園

3日目:富良野〜キウス周堤墓
 3日目、午前中は富良野の観光。まずは、富良野プリンスホテル内の「森の時計」へ。と言っても「優しい時間」は全く見ていなかったので感慨はなく、雰囲気の良い喫茶店という程度であった。その後、麓郷で、丸木の家、石の家を見る。こちらは全て見ていたので会話も弾む。しかし、ドラマスタートからかなりの年月がたっており、ロケ地も少なからず無くなっているようであった。
 その後は千歳へ向けて再び大移動である。途中の道沿いに野花南周堤墓があり寄ってもらった。周堤墓の北端ということであるが、比較的小柄で、周堤よりも配石が目に付いた。夕方、キウス周堤墓群へ到着。千歳東インター(キウス4遺跡)から伸びる国道沿いにあるはずなのだが標識も駐車場もない。国史跡の扱いとしては不十分であろう。中に入ると大きな凹みがある。野花南とは比べものにならない規模である。東北北部〜道南部の大規模環状列石と同規模である。国道が真ん中を貫通しているが、その両脇を見ると周堤部の盛り上がりと凹み部の深さがよく分かる。周堤部を共有しているものもあり、凹み部の形成が重要なのであろうと思われた。北海道の環状列石が丘陵上に位置するのに対し、周堤墓は平地に作られる。他にも現存している遺跡があるのだろうか。ぜひ他の事例も見てみたい。この夜は札幌泊。

4日目:道埋文・開拓記念館
 4日目は札幌大学へ行く予定であったが、行ってみると休みだったので、北海道埋蔵文化財センターと北海道立開拓記念館を見ることにした。道埋文は昨年5月以来であるが、今回は常呂で注目した土器群や、幣舞式の舟形土器を中心に見てきた。開拓記念館は高校2年の修学旅行以来である。全体的には旧石器で学史的に著名な資料が展示されているほかは、縄文時代の資料に関して言えば道埋文の方が充実しているといえようが、音江環状列石出土の玉類(一部レプリカ)は目を引く。なお、ここの売店でなかなか手に入らない古い本を数冊得られたことは幸いであった。
 夕方、新千歳空港より羽田へ。
北海道埋蔵文化財センター北海道開拓記念館
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