管理人の日記 〜2006年3月〜先月日記トップ翌月
3月26日(日) 神社とは何か?
 国立歴史民俗博物館で開催中の企画展「日本の神々と祭り−神社とは何か?−」を見に行った。神社について、宗教性・精神性のみではなく、公園機能、伝承機能などさまざまな側面から多角的に検討しようとするという趣旨のもと、出雲大社、伊勢神宮、厳島神社、八坂神社の4つの神社に注目し、古代から現代までの神社の姿を展示するものであった。丁度、研究代表者の新谷尚紀教授の展示解説があったので、それを聞きながら展示を見ることができた。

 出雲大社のコーナーでは、荒神谷・加茂岩倉の銅剣・銅鐸や田和山遺跡の出土品のほか、発見当初より話題となっていた青木遺跡の神像、あるいは大社境内出土のヒスイ製勾玉など注目すべき資料が目白押し。境内図とそれに基づく復元模型など大社の境内の変遷過程も興味深い。
 厳島神社については何といっても平家納経であるが、その美しさを見せることが展示の趣旨ではなく、災害に見舞われながらもそうした文化財を現在に伝えてきた維持・伝承機能が重要であり、自然とのぎりぎりの境を維持しながら神社が建築されていることが示されている。また、絵馬殿を例に、神社の博物館的・美術館的機能を紹介している。
 伊勢神宮については神宝を紹介するのみであるが、これは遷宮のたびに作り変えることで技術を継承して伝承機能に注目したものであった。
 最後に、八坂神社であるが町民のパワーを凝縮した祇園祭など都市の神社としての姿を紹介している。

 神社の諸機能という視点自体興味深いものであるが、それを日本を代表する各社の第一級の資料を用いて紹介するという、なんとも贅沢な展示である。一方で、最も身近な神社であるはずのムラの神社については触れられるところがなかった。本展で紹介された神社はいずれも広範囲の崇敬を集めるものであって、八坂神社を除くと地域に根ざした神社とは言えないであろう。そうした性格を持つ神社の諸機能と、ムラムラの神社の機能とは自ずから異なるものではあるはずである。また、上記の諸機能が果たして神社に固有に認められるものかも問題である。つまり、寺院との関係である。遷宮に代表される作り変えの文化や、庶民のパワーの受け皿となる祭礼は寺院にないものの、それ以外の機能はどうか。それらは神仏習合の世にあってはいかにあったのか。などなど様々な課題が思い浮かんでくる。なかなか考えさせる企画ではないか。


3月25日 (土) 柴川敏之“PLANET PIECE”
 「もし2000年後に現在の社会が発掘されたとしたら?」をテーマとした美術作家で福山市立女子短期大学助教授の柴川敏之氏の個展が銀座のギャラリーで開催されており、最終日の今日、ようやく訪れることができた。 
 柴川氏は、2003年に福山市の広島県立歴史博物館で、草戸千軒遺跡とのコラボレーション企画である特別展「2000年後の冒険ミュージアム」を開催し、ワークショップを含めた詳細な記録集を刊行している。そこでは、拓本などの「考古学的手法」を取り入れたり、現在のモノに古色を帯びさせ、数千年後に発見されたらどうなるか?ということを考えさせたりしている。私としては〈博物館・美術館と考古学〉という文脈から注目していたのであった。

 しかし、そうした目で、今回初めて作品の実物を拝見すると、どうも違和感が残る。そもそも我々は数千年前を原色で再現しようとしているし、実際の出土品もカラフルで多様である。柴川氏の作品のように、何もかも茶色の(錆びがかった)古色を帯びたものではない。
 会場では、キューピーがそうした古色を帯びて階段下の(何か狭い洞窟を思わせるような)空間に祀られていた(会期途中から賽銭が置かれるようになったという)。それはそれで、我々が「祭祀遺物」と呼ぶものの不安定さを示唆していて興味深いのだが、キューピーがそのような、意味ありげな状況で出土することはまず無いであろう。
 今回の展示作品に限らず、茶色を基調としたモノトーンで「未来」における「過去」が提示されている。私の感想では、これらは未来における過去ではなく、「遠くなった少し前の過去」であろう。作品に、ウルトラマン、プルタブ、洗濯バサミなど「懐かしい」モノを多く取り入れていることや、昭和初年にアパートとして建てられた建物を会場とする(その前は地方都市の旧日銀の建物で行ったらしい)ことからもそうした印象を強くした。
 結局、柴川氏の作品は「考古学」の手法を逆手に取ったもの、という単純なものではなく、やはり柴川氏自身のオリジナルな世界であろう。「考古学」を意識せず、柴川氏の作品世界に浸るの方が楽しい。


3月12日 (日) 考古学研究会東京例会
 考古学研究会東京例会第11回例会として、シンポジウム「韓国からの留学若手研究者による研究報告交流会」が國學院大學で開催されたので、会場の手伝いを兼ねてこれに参加した。発表は以下の4本である。

 金恩榮(東京大学)「韓半島中南部地域における新石器時代平底土器についての検討」
 鄭仁盛(東京大学)「楽浪瓦当の「一本作り技法」とその周辺」
 朱洪圭(東京大学)「安鶴宮出土瓦の年代」
 鄭昌煕(東京大学)「韓国の星州礼山里木木棺墓群の調査と出土遺物の編年」

 このうち、特に私の関心の高かった、金さんの発表は隆起線文系と刺突押捺文に代表される平底土器の編年と、製作技法の検討を含めて沿海州や韓国南海岸との関係を論じたものであった。個人的にはそうした方法と共に、日本海を挟んだ対岸の地域関係は、ここで扱われた縄文時代前期併行期のみならず前後の時期を含めても概ね共通するものであろうこと、あるいはこの一群に、壷らしき器形の土器や、耳をもった深鉢が伴うことに興味をそそられた。これらは少し調べれば分かることなのだろうが、昨年の韓国旅行で新石器時代の土器を見て気になってはいるもののその枠組みすら良く分かっていなかった私にとって良い刺激となった。


3月4日 (土) 国史学会卒業論文発表会
 国史学会の卒業論文発表会が行なわれた。毎年恒例なのだが、実は参加は初めてである。國學院大學の史学科の各専攻分野から1人ずつ発表を行なうもので、今回の考古学の発表である「縄文時代の弓の研究」の司会を任されたのであった。弓は狩猟という実用性と精神性の両面に関わり、かつ場合によっては集団よりも個人に帰属するであろうと思われる遺物であろうという点で以前から興味を持っていたので、これを引き受けることとした。高校時代には少々弓道をやっていたので懐かしい思いもある。

 内容については『国史学』に要旨が載るので立ち入らない。必ずしも目新しい成果が出たわけではないが、卒論としては平均的な出来だったように思う。ただ、会自体が、主として系列高校・短大からの編入者向けのようで、細かいことよりも大学で最終的に卒論としてこのようなものをまとめるんだよ、ということを分かってもらえれば良いということだったのであまり細かいことにはつっこんでいない。来聴者がいかなる感想を持ったかは分からないが、メモをとっている様子も見られたので、ある程度は理解してもらえたのだろうと思っている。

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