管理人の日記 〜1998年11月・12月〜日記トップ翌月

12月16日(水)「1998古代史発掘総まくり」
 今年も残り僅か。今年の考古学上の新発見を振り返る時期がやってきた。今日、アサヒグラフの「1998古代史発掘総まくり」を買ってきた。元屋敷の岩偶がかわいらしい表紙である。
 ここでは48遺跡が取り上げられていたが、私の知らなかった遺跡もかなり多くあった。すべてが朝日新聞(全国版)で報道されたわけでもないのだろう。重要な遺跡が発見されていたという事実を改めて知らせてくれるし、それらが大き目のカラー写真で掲載されている。この特集はいろいろな面でうれしい。
 遺跡1つ1つについてはコメントできないので、気になったものについて。
【奥三面遺跡群】以前から気になっていた遺跡であるが、今回の特集では巻頭の特集1として詳しく取り上げられており、空撮や配石遺構・敷石住居など見たかった写真がたくさん掲載されている。敷石住居を囲む石など神奈川県内の例とはかなり異なり、地域的バリエーションの豊富さを思い知らされたし、環状列石の立石復元なども興味深い。また、民俗資料をバックに使っているのもうれしくなる。これらを見ていると、どうにかして現地を見てみたくなってしまうが、はたして行けるかどうか。
【御所野遺跡の土屋根住居】これについては、多少の情報を持っていたのだが、ここに掲載されている。屋根に青々と草が生えている写真を見て驚いた。復元図や復元当時の写真は知っていたが、わずかの期間にこれだけ草が生えるとは。これを見ていてふと穴居という言葉がぴったりなのではという気がしてきた。隣の栄浜1遺跡の家形石製品とはだいぶ違った印象を受ける。結局縄文時代の家は不明だが、きっとさまざまな家があったのだろう。
【柊原貝塚】前後の4つの遺跡とともに、こういう発見があったのは初めて知った。ここでは岩偶が大量に出土したという。一見すると顔が無いので岩版ではないかと思われるのだが、良く見ると確かに東北地方の岩偶にいているようにも見えてきた。いずれにしろ、こういうものは東北地方に分布するものだと思っていたので、鹿児島から出てくるというのに一番驚いた。東北とは別系統なのか、同系統なのか、冬休みにでも調べてみようと思う。
【浅田遺跡3号墳】はじめに写真だけをみてきれいに並べ直したものだと思っていたが、解説を読んでびっくり。こんなにきれいに状態が保たれているというのは大変貴重な例だろう。ここも今まで知らなかった。


12月11日(金)坂戸遺跡見学メモ
 現在伊勢原市沼目の坂戸遺跡が県道工事に伴い調査されていると聞いて帰り道少し寄って見学してきた。後期の遺跡だが、まだ実態はまだ分らないようだ。住居と配石らしい石と埋甕があったが詳しいことは不明。来月あたりもう一度見てみることにした。


12月10日(木)国指定史跡・川尻石器時代遺跡の破壊
 夕刊(朝日)を見て驚いた。神奈川県藤野町で道路建設にともない調査された遺跡が実は国指定史跡だったという。この遺跡は川尻石器時代遺跡という敷石住居を中心とした遺跡で、かなり以前に指定を受けていた。問題の場所は指定地の飛び地だったようで、県教委の依頼でかながわ考古学財団が指定地の一部を含む一帯を川尻中村遺跡という名称で調査を行い、縄文後期の大きな遺跡だったことが明らかになっている。
 国史跡と気づかずに調査を行うというのは信じられない。指定を受けたのが古く、狭い区域が何個所か指定されていたのだろう。しかし、地番はちゃんと出ているはずだ。県も地元も気づかないというのはどういうわけだろうか。現在の感覚では、必ずしも超一級の区域ではないとはいえ、指定地が侵されるようでは、県教委の姿勢を疑わざるを得ない。いずれ、きちんと調べたい。


11月30日(月)中里遺跡
 昨日は、小田原市の中里遺跡(弥生)の現地説明会があったようだ。私はあまり興味がなかったので行かなかったが、NHKの報道によると約1万人が駆けつけたという。結構多いのではないだろうか?
 ここは海路を使って西日本の文化が直接小田原に伝わったことを明らかにした遺跡で、病院建設に先立って(株)玉川文化財研究所によって調査された。この成果が公表されたときも新聞などで割と大きく扱っていたし、見ておいた方がよかったのかな・・・

縄文学研究室日記トップCopyright (c) 2000 Nakamura Kousaku
E-mail:info@jomongaku.net