管理人の日記 〜1999年7月〜先月日記トップ翌月
7月31日(土) ビール
 暑っちいですね。やっぱり夏だ。
 夏休みに入る直前からごたごたしたり、友達のことで悩んだりしてしばらく更新できませんでした。頭の中にはいくつか構想があるのですが、暑い中でそれらを実現していくのはなかなか困難です。
 それでも何もいじらないのは、と思って昨日背景を変えてみました。海とか風鈴とか涼しい柄にしようと思っていたのですが、素材集のサイトはかなりたくさんあります。そこで、適当に選んだサイトにビール柄があったのです。
 意味は大してありません。でも、何も変っていない当サイトをみて、ただそのまま帰っていただくのは申し訳ない。こうしておけば「そういえば飲みたいな」という気持ちになってもらえるのではないか、なんて考えてみたのです。決して私が飲みたいからではありません。


7月21日(水) 大山史前学研究所跡発掘へ
 昨日の朝日新聞に「研究所焼失、眠る「お宝」 考古遺物、発掘へ」という見出しで、大山史前学研究所跡の調査の記事が掲載された。
 目的や方法など具体的なことは分からない今の段階では大したことが言えないが、「戦災で失われた」とされていた遺物に再び日の目を浴びさせようとする試みは素晴らしいことだと思う。


7月21日(水) 二部のほうがいいのか? 考古学は技術屋か?
 先日、考古学では有名な首都圏のある大学のオープンキャンパスに行ってきました。そこでは学科毎の相談コーナーがあって、教員から大学のことをいろいろ聞くことができるのです。
 当然史学科のところへ行きましたが、残念ながら考古学の先生はいません。それでも中世史の教授からいろいろ聞くことができました。その先生は次のようなことをおっしゃったのです。
 「最近、考古の先生の話を聞くと二部の学生の方がおもしろいらしい。昼間にアルバイトで発掘して夜に理論をやる。考古学はやはり実践が一番だから。他の専攻だったら奨められないけど考古なら奨められる。君が1部に堂々と入れるなら失礼だけど、浪人するなら2部の方が良い。」
 こういう話は、お世話になっている市の教育委員会の方にもいわれたことがありますが、その時は冗談だと思っていました。しかし、行きたい大学の先生にそういうことを言われたら悩んでしまいます。
 実践が大切−確かにそれはそのとおりだと思います。より多くの実例を知っていることが研究を進める上で優位になるのは間違いありません。

 しかし、そもそも大学とは何をしに行くところなのでしょうか。大学を出て考古学の道に進むということは、ほとんどの場合「調査担当者」になることを意味する現代において、わざわざ学生時代から現場の数を競うことはないと思います。
 実際にどうなのかは知りませんが、『講義概要』を見ると、一部と二部の差は歴然としています。二部の考古学担当教員は3人ですが、一部では10人以上の講師が様々なテーマの講座をもっています。学生の間は、そうのような幅広い理論を学ぶことが大切なのではないでしょうか。

 さて、私の興味は精神文化史にあります。これは伊勢原の郷土史を調べていた頃から変わりません。そもそもはじめて興味を持った考古学の分野は「神道考古学」だったのです。ということは、考古だけやっている訳には行きません。当然民俗学や宗教学、古代史学、国文学にもそれなりの興味があります。特に民俗学には未だに強く惹かれるものがあります。
 そこで、民俗学の先生に聞いてみました。すると「両方やりたいなら考古へ行け」と言われました。結局考古学をやる場合、発掘・測量・分析・保管などでさまざまな技術を習得する必要があるという訳です。
 もちろんこの作業ができない人間の言うことなど考古学者は相手にしないということは分かります。しかし、それは最近できた「文化財学科」の役割ではないでしょうか。
 考古学の特徴は資料がモノであるということで、目的は他の歴史学と変わるところはないはずです。調査はあくまで資料収集の手段にすぎません。その資料を元に何をどのように考えるかが大事なのであって、大学ではまさにその部分を学ぶことが第一ではないでしょうか。

 最近よく聞かれる「大学行って何すんの?」という問いに対する現時点の回答を用意してみました。
 結論としては、大学における考古学=技術の習得だけではないはずだ、ということですが、そうかといって技術習得を軽視する訳ではありません。
 しかし、そういう技術は基礎中の基礎であり、それだけでは満足してはいけないと思います。その先が大事なのです。
 ※この話は、現在の考古学講座を批判するものでありません。ここで述べたのは、あくまで私が聞いた「考古は技術だ」という声に対する感想です。


7月17日(土) 最後まで聞きたかった議論〜桜町遺跡・縄文シンポジウム〜
 7月に入って以来、連続して桜町遺跡関係の話題である。  7月13日夜、有楽町のよみうりホールで、「桜町遺跡・縄文シンポジウム」が行われた。当初この日は体育祭前日だったので参加できないと思っていたのだが、雨で延期されたので少し遅れたが行ってみた。
 お陰で井沢元彦氏の基調講演はほとんど聞けなかったが、結論としては縄文の見直しが必要だということらしい。

 続いて「定住と祈り」をテーマとしたディスカッションが行われた。岡村道雄氏をコーディネーターとし、赤坂憲雄、泉拓良、西田正規、伊藤隆三の諸氏がパネリストを努めた。
 岡村さん・伊藤さんは、先日のシンポの際ある程度イメージが出来上がっていたが他の方のお話を実際に聞くのは初めてである。赤坂さんは私の大好きな民俗学者の一人である。私のイメージ通りで、当日も独自の視点で縄文社会についてコメントされた。泉・西田の両氏については本は読んだことがあるものの、詳しいことは知らなかったがとても楽しいお話であった。

 結局もう1つのテーマである「祈り」のほうはほとんど議論されずに終わってしまったのが、非常に残念である。これだけのメンバーで議論するのに1時間半という時間は短すぎるだろう。「時間を短く取ったのは、これを機に桜町を訪れて欲しいという陰謀です」などと主催者が言っていたが、それとこれとは別問題。話を聞きに来た者としては非常に苛立ちすら覚えた。これほど白熱した議論は聞いたことがなかったので残念でならない。
 内容については7月17日付『読売新聞』に掲載されているので詳しくは述べないが、実際に参加するのと、紙面を見るのとでは大違いであることが良く分かった。会場では岡村さんのつっこみや白熱した議論で、これまでで一番楽しませてもらった。しかし紙面ではそういう雰囲気は伝わってこない。


7月7日(水) 桜町遺跡
 いま、一番元気な縄文遺跡といえば桜町遺跡であろう。三内丸山や上野原なども衰えた訳ではないが、今はもう落ち着き始めている。
 これに対し、桜町遺跡については、フォーラムの開催、その成果をまとめたグラフの発行、絵葉書の発行などが行われ、今月下旬には「とやま縄文フェスティバル」が開催される。先日のシンポジウムでもかなり宣伝をしていた。
 遺跡公開、資料展示、建物復元、映画、コンサートなど様々な催しが行われるが、私が注目するのは「縄文サミット」や「全国遺跡ネットワーク会議」など全国の遺跡との連携である。遺跡が研究者だけではなく自治体・市民の手で活用されるようになってきたいま、このようなネットワークは重要なものになるに違いない。

 桜町遺跡といえば、その有機遺物は三内丸山に勝とも劣らない資料が出土している。加工のある建築部材は有名だが、その他にも貴重な資料が多い。
 しかし、中には「Y字材」など意味不明な遺物もある。これについて小矢部市ではホームページを使って意見を集めた。三内丸山をはじめインターネットで情報公開されている遺跡は少なくないが、パンフにもURLが記載されている桜町遺跡ほど積極的な所はないだろう。
 今回の縄文フェスティバルでも県のサイト内に詳しい案内ページが設けられており、私がこのイベントを知ったのもこのページのお陰である。

 それにしても、この遺跡が他の遺跡と違うのは、保存の可能性について何も議論されていないことではないだろうか。私はこれほど大騒ぎをするのだから、遺跡は保存されるのだろうと思っていたが、現在の調査が終わった後は、道路を組み替えて隣接部分を掘るというではないか。これほど騒がれた遺跡であるのに保存の声が上がらないのはどうしてだろうか? そのあたりの事情についてはよく分からないので素朴な疑問として付け加えておく。
 【桜町遺跡関係のサイト】
   小矢部市のサイト内:最新情報をはじめ、多くの写真と詳しい解説がある
   富山県文化課のサイト内:県と市で作ったパンフレットの内容を掲載
    とやま縄文フェスティバルのページ
   縄文からのメッセージ:読売新聞に3部にわたって連載された記事を収録。

7月7日(水) 縄文時代の階層と祭祀 〜シンポジウム「21世紀と縄文文化」〜
 大分遅れてしまったが、7月4日(日)、有楽町朝日ホールにおいて「21世紀と縄文文化」と題したシンポジウムが行われた。主催は苅谷俊介さん率いる土舞台である。
 10時の開会には間に合わず少し遅れての参加となってしまったが、とても充実した一日となった。
 岡村道雄さん(文化財調査官)の基調講演は「縄文時代の階層と祭祀」というものだったが、これが当日の一貫としたテーマであった。これは私の最も関心のあるテーマでもある。階層については、階層と階級との違い、その意義などについて分かりやすく解説された。祭祀については、より細かい分類の必要性を指摘され、その視点として場・道具・色・絵画を挙げられたのが印象的であった。
 岡村さんに続き、南茅部町教委の阿部千春さん(大船C遺跡)、青森県教育庁の岡田康博さん(三内丸山遺跡)、小矢部市教委の伊藤隆三さん(桜町遺跡)、安中市教委の大工原豊さん(関東甲信地方の環状遺構)、邪馬台国からやってきた高島忠平さん(吉野ケ里遺跡)の報告があり、各地の祭祀・階層関係の遺構・遺物が紹介された。
 いずれも大きな話題となった遺跡であるが、中でも大船C遺跡の報告が印象に残った。スライドのトラブルに見舞われたものの、その分長くお話を伺うことができた。屋内祭祀に2パターンあるということ、アイヌの「送り」を連想させるということなどである。屋内の祭壇としては甲信地方を中心とした石檀くらいしか頭に無かったので、奥壁をマウンドで囲って木柱や木幣を立てた祭壇があったというのはとても興味深く感じた。この2つの祭祀形態が双分制に関わるのかという点も気になる。また、南茅部で大量に生産された青竜刀形石製品について、大量の出土=生産遺跡=輸出と単純に考えていた私にとっては、自家用であるという報告にも驚いた。
 三内丸山については最近調査された配石墓の性格と、道の両側に延々と続く墓地の意味が問題になった。この遺跡について墓地の問題ばかりこれほど議論されたのは珍しいのではないだろうか。
 桜町については、集落の様子がはっきりしないため、報告は、特殊遺物と建物復元の話であった。この遺跡については改めて述べる。
 阿久遺跡や牛石遺跡、野村遺跡、天神原遺跡などわりと身近な 環状列石や配石墓を取り上げた大工原さんの報告は現象自体は既に知っていたものが多かったものの、その意味や社会背景、解釈については今まで知らなかったもので興味深い。
 また、吉野ヶ里を中心に縄文と弥生の違いについて述べた高島さんのお話もおもしろかった。
 
 午後は、苅谷さんを加え、NHKの毛利アナウンサーの司会でディスカッションが行われた。三内丸山遺跡の6本柱をどう捉えるかという問題から始まり、祭祀の問題から階層、そして葬送の問題へ話題が発展していった。
 慎重にことばを選ぶ若手に対し、岡村・高島両氏はまるで見てきたように話していたのがおもしろかった。従来から指摘されていた階層の問題が近年の調査により明らかになりつつあり、縄文は平等社会というかつての常識はもはや通用しないということが実感できた。
 話の結論としては、環状列石や「送り」から想定される再生観念など、「環」の思想こそ、21世紀に伝えるべきが縄文の思想であるということになったようだ。
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