管理人の日記 〜1999年10月〜先月日記トップ翌月
10月29日(金) カリンバ3遺跡の腰帯
 10月26日の朝日新聞夕刊トップは「縄文後期の墓穴から腰帯」と題する記事で、北海道恵庭市のカリンバ3遺跡から赤漆に染み込んだ腰帯が発見されたことを、赤漆の鮮やかな写真とともに報じている。この帯は、縄文時代初の完形の布製装飾品で、帯の出土例としても従来よりも1500年早いものだという。そして「動物の毛皮をまとった縄文人のイメージは根本的な変更を迫られるだろう」という考古学関係社のコメントや、「国宝級 この遺跡の破壊は、人類の損失です。」という服飾史の武田佐知子教授のコメントを掲載している。
 ところが、28日の夕刊で、腰帯は、布製ではなく茎を束ねたものであると訂正する記事が掲載された。そして、本日(29日)の朝刊では、腰帯・櫛・腕輪など80点近い漆製品が出土した、優れた漆加工技術と高い美的センスを物語る遺跡として捉える記事が掲載された。

 縄文人が服を着ていたこと、布を持っていたことは、既に分かっていたことで、数年前の縄文ブームの時は、まず服装観の転換が言われたのに、この発見が大発見として取り扱われることには正直言って驚いた。だが、一方では、腰帯の貴重性だけでなく、出土状況や遺跡の概要についても比較的詳しく説明されていた点は評価できると感じた。
 ところが、腰帯は布ではなかった。もしも最初から茎だと分かっていたら、あそこまで大きな扱いではなかっただろう。本日の記事は、優れた漆製品の出土したカリンバ遺跡は重要な遺跡であることを改めて伝えているが、最古の布であったとしても、最初からこのように扱うべきだったと思う。

 この腰帯の出土した墓穴は3人の女性が埋葬され、遺体の上にベンガラがまかれ、櫛7点・腕輪4点・髪飾り5点・勾玉ほかの装飾品が出土したという。加工技術史の資料にとどまらず、社会制度・葬制の資料としてもかなり重要な資料となるのは間違いないだろう。記事では文化庁も遺跡の価値に関心を寄せているというが、折角全国紙トップに取り上げられたのだから、破壊されることなく保存されることを期待したい。



10月9日(土) 役行者と修験道の世界
 昨日の朝日新聞夕刊で、東武美術館で開催中の特別展「役行者と修験道の世界〜山岳信仰の秘宝〜」の案内記事を見て、早速見学してきた。来年が役行者没後1300年となるのを記念して、修験道の本山である醍醐寺・聖護院・金峯山寺が主催者となり、この3寺のほか、大峰・羽黒・日光・富士・熊野・英彦など全国の修験関係の資料が集められた。海外から里帰りした資料もある。
 市内には石尊大権現として知られた大山不動や日本三大薬師の1つである日向薬師という修験道の行場があり、また私のテーマの1つである山岳信仰の一形態として、修験道には興味を持っていた。この特別展にも大山からは鉄不動の脇童子の1体が出展されており、また大山不動をつくるためにまず作られたという「試みの不動」(鎌倉・覚園寺)も展示されていた。
 まず、各時代・各地域の役行者像、続いて蔵王権現像、懸仏、不動や観音・地蔵・孔雀明王など各地の本尊の展示が続く。この辺りは、知識もないのでここでは紹介しない。ただ、片足で飛び上がった蔵王権現像のユニークな形とバランスの良さには感動した。
 今回、私が見たかったのは、祭祀(神道・仏教)考古学が対象とする経塚遺物などの山中の出土品である。それらは思ったよりも多く展示されており、藤原道長が金峯山に埋めた経筒や、熊野の金銅仏、羽黒山の羽黒鏡、二荒山や求菩提山の経筒丸々、などなど興味深いものばかりであった。
 今まで修験道に関しては興味は持っていたものの、実際にこのような資料を見たのは初めてである。貴族から民衆まで多くの人の信仰を物語る遺物は決して品質の高いものではないかもしれないが、その分、とても面白い資料であった。
 この特別展は10月17日までで、その後11月2日〜12月5日に大阪市立美術館でも開催される。

 東武美術館のページ


10月8日(金) 縄文の盾出土?
 日が前後してしまったが、5日の朝日新聞に「縄文の板に石のやじり」という記事が載った。是川遺跡の再調査で石鏃の刺さった40cmほどの板が出土したという。  この遺跡からはいろいろな有機物が出土しているので、この出土自体は「あって当然のものが見つかった」という程度にしか思わなかったが、これを盾と見て縄文の戦いの証拠とする国学院の小林教授のコメントが載せられていた。縄文の戦いについてはこれまでいろいろ議論されているが、盾という専門の道具の存在は聞いたことが無い。これが証拠として採用できるのかという疑問に思った。
 他紙がどのように扱っているかがなかなか調べられなかったのだが、今日、河北新報の記事に都立大の山田助教授の「盾ではない」する見解が載せられていたのに気付いた。


10月7日(木) 金沢市で旧町名復活へ
 今朝、電車内で隣の人の産経新聞の中で「失われた都市の顔取り戻したい 金沢市が旧町名復活の動き 全国初」という記事が目に留まった。住居表示に関する法律で「尾張町」となった地域が、近世以来の「主計町」に戻されるという。記事によれば一旦変更された地名の復活の運動はこれまでもあったらしいが、書類等の書き直しが面倒で実現されたことはなかったらしい。金沢市では続いてもう2つの地名を復活させ、今後も市民の要請次第で実施するという。
 地名は土地と人間との深いつながりを示すもので、重要な歴史資料であることは今更言うまでもない。例えば私の街「伊勢原」は江戸時代のはじめに伊勢国の商人が開いたという事実を反映している。また、「市ノ坪」という小字名は条里制度の名残だが、数百年の時がたった今も使われている。このように、その場所にいつ何が起きたかが推察できるような例は枚挙に暇がない。
 しかし、最近になって宅地造成が行われ、○○台・□□ヶ丘などといった全く新しい地名が付けられたりする。自然環境や遺跡や民俗とともに地名も失われていったのである。将来、「20世紀後半に開発されたのだろう」などと歴史的価値が出てくるという考え方もあるかもしれない。しかし、地名は自然・遺跡・民俗などとは違い、使いさえすれば生き残るのである。いかにも新興住宅地という名称よりも、時代を超えて生き残った地名を引継ぐ方がはるかに文化的ではないだろうか。
 金沢市の試みは、近年になって作られた適当な地名を、由緒ある歴史的な地名に改めるということを実践した素晴らしい試みであろう。


10月4日(月) 新サーバーへの移転
 本日をもって、縄文学研究室は Geocities から Virtual Avenue へと移転した。
 Geocitiesは日本の代表的な無料ホームページサービスだが、URLが長い、FTPソフトが使えない、広告がページ内に入ってしまう等の欠点があった。
 9月になりGeocitiesのシステムの変更に伴い、コミュニティー名も変更( Berkerey → CollegeLife )されることになった。(同時にFTPソフトも使えるようになったが遅い対応である)
 一方ほぼ同じころ、フリーチケットを利用している友人からアメリカの無料サービスへ移転するという話を聞いただ。ここはCGI・SSIの使用OK、FTPソフトOK、そしてURLが非常に短いということであった。広告はページ内に入る代わりにポップアップ式になっている。

 どのみちコミュニティー名の変更をお知らせしなければならない。ならばこの機にサーバーを移転してしまおうと決めた。CGIもさることながら、http://www.geocities.co.jp/CallegeLife/2678/ という大文字・小文字混じった長いURLが http://jomongaku.virtualave.net という、サイト名がサブドメインに組み込まれたシンプルなURLになることが最大の理由である。
 この機に、構造・レイアウトのリニューアルも考えたのだが、プログラムの記述変更などで移転は思ったよりも面倒だったのでできなかった。やはり、このシンプルなレイアウトは私の好きなスタイルなので、これ以外のものを考えるのはなかなか難しいのだ。

 そろそろ、受験モードに入らざるを得ないので、更新頻度は落ちると思いますが、今後とも縄文学研究室をどうぞよろしくお願いいたします。
 なお、同時にメールアドレスも変更いたしました。
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