管理人の日記 〜1999年11月〜先月日記トップ翌月
11月20日(土) 妻木晩田・キトラ国史跡に
 信濃毎日新聞社のホームページによると妻木晩田遺跡、キトラ古墳などの国史跡指定が決まったという。
 全ての新聞社をチェックした訳ではないのだが、完全なリストが公開されていないのは残念。明日の朝刊を待つことになる。


11月19日(金) しし座流星群の夜
 33年周期で地球に接近するしし座流星群。過去には流星雨と呼ばれるほど大量の流星を見ることができたとあって昨年は全国的に盛り上がった。わが秦野高校天文気象部は昨年に引き続き観測合宿を行うことに成り、今年こそはということで校外へ出ることにした。天文気象部といってもメンバーの大半は生徒会本部と合唱部およびその友人。星を見るとの一緒に泊るのと、どちらが目的なのか?といった状況である。とはいえ、「しし座流星群高校生国際観測会」に参加し、1時間毎のデータをとることにした。
 ところが、観測場所についた時には既に空一面に雲が。9時頃には雨まで振り出す始末。他の学校の人も来ていたようだが、早々に帰ったらしい。私たちはいろいろ語り明かすことになった。
 3時頃にようやく雨が上がったという知らせが入り、観測がはじまった。雲が断続的に空を覆ったので正確なところは分からないが、2時間10分の観測で散在流星も含め約36個でした。
 結局、寒さだけが予想通りだった今回の観測会。しばらくは眠くて大変です。


11月11日(木) Yahoo! Japanの登録変更
 平成11年11月11日。
 ニュースによると11時11分には大騒ぎだったようですが、私のまわりでは、そんなことは無関係でした。11月に入って初めての更新となります。その間も毎日来て下さったみなさんありがとうございます。
 本日ようやくYahoo! Japanの登録変更が行われました。移転後すぐ代表的なサーチエンジンに登録・登録変更を行いましたが、変更の場合、一番先に対応してくれたのがNTT DIRECTORYでした。しかし、他のロボット系はいつになるか分かりません。しかもInfoseekはこのURLを受け付けてくれません。今でも来て下さる方が直前にいたサイト=リンク元のトップは旧サイトなのです。

 私の方は、いろいろ忙しくネタの仕入れもできません。ですから掲示板に何か書き込んで、せめて来ていただいた皆さんで楽しんでいただけたらと思います。感想でも情報の交換でも構いません。よろしくお願い致します。


11月11日(木) 丸石−縄文から道祖神へ
 11月3日に久しぶりに展示会を見てきた。1つは平塚市博物館の「相模の道祖神(さいのかみ)」、もう1つは南足柄市郷土資料館の「南足柄の縄文時代〜塚田遺跡を中心に」の2本だてである。原稿は翌日にはできていたのだが時間の関係で今日まで伸びてしまった。

 まず午前中は平塚である。相模の道祖神は例えば大磯の左義長、或いはNHKの「ふるさとの伝承」で紹介された秦野の道祖神などによって有名である。私も毎日道端の双体道祖神や文字塔を見て生活している。
 今回の特別展は県内の道祖神信仰を総合的に紹介したものである。山北の山車・大磯のオンベ・御仮屋を中心に配置し、石仏としての道祖神だけでなく、飾り立てられた、動きのある小正月の道祖神祭りの姿を見ることができた。
 私は道祖神について興味はあるもののまとまった勉強はしていなかったが、今回の展示でいろいろ面白い部分を見つけることができた。1つは、道祖神塔だけでなく五輪塔やその他の石仏が一緒になって道祖神としてまつられているということである。縄文の遺物と全く同じような石棒・丸石が現在も使われているのも驚きであった。そして、それらを含め、道祖神と一口に言っても本当に様々な要素によって成り立っているということを改めて実感した。
 また解説図録は県内の道祖神調査報告書を元に、県内の道祖神信仰の全体像を細かく分析して分かりやすく紹介して非常にありがたい1冊である。

 午後は父に車を出してもらい、南足柄へ。途中、大井町で自由民権運動で活躍した山口佐七郎の名の刻まれた筆子塚の見学につきあい、その後大雄山最乗寺の麓のキャンプ場入口にある資料館へと向かった。
 南足柄市は縄文遺跡の調査例は少ないものの配石関係の興味深い遺跡が多く発見されている。今回の 塚田遺跡を中心に馬場遺跡の注口土器等これまでに発見された市内の縄文の資料が展示されている。
 塚田遺跡は五領ヶ台期〜堀ノ内1期の環状?集落で、敷石住居を含む23棟の住居、配石群、埋甕、屋外炉、土坑(墓)、列石、帯状小礫群などからなる。全国的にも最大級の敷石住居や柄部から炉までの部分だけびっしりと石の敷かれた敷石住居、立石を伴う住居など興味深い遺構が多い。
 また、この遺跡は石棒の製作遺跡としても知られ、今回の展示でも製作途中の未製品が順番に並べられていた。3年前に訪れた飛騨の塩屋金精神社遺跡と同じようなものを遠く離れたこの地で見るとは思わなかった。
 また、今回の展示では塚田遺跡のほか、五段畑遺跡の資料も展示されている。この遺跡からは中期の住居のほか、後期〜晩期の配石・立石・複雑な石棺墓などが検出され、また土偶、注口土器、異形台付土器、石刀、勾玉、大型耳飾、人面付中空土版、有孔球状土製品、硬玉製大珠などの第2の道具の集中は県内でも極めて珍しい例である。これらはガラスケースの中におさまっていたが、実は私は昨年の終わり頃に遺跡を見学させていただき、遺構についたままの石刀・石棒を見たり、異形台付土器や土版、土偶などを直接触らせていただいた。現地で見る資料とガラスケースの中の資料とは雲泥の差があることを改めて思い知らされた。

 さて、この展示での一番の感動は、先程平塚で見た丸石と全く同じといっていいような丸石が塚田遺跡の住居出土ということで展示されていたことである。残念ながらどちらも図録には載っていないのだが、数千年の時を超えて同じものが使われていると言うことにひどく感動した。

 なお、帰りがけ塚田遺跡の最大級かつ最も保存の敷石住居が移築保存されていると言うことで見に行った。なるほど、この辺りで見る敷石住居と比べかなり大きい。わが伊勢原市の三ノ宮下谷戸遺跡の敷石住居も大きいとされてきたが、それ以上であろうか。
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