出雲の祭祀遺跡 −磐座と神奈備山−縄文学研究室トップ研究ノートトップ
『2001年考古学会夏合宿』 國學院大學考古学会 2001.7に加茂の大石・命主神社の説明を加えたもの

 本稿は、サークルの2001年度の夏季合宿のしおり用にまとめたものである。B5版1枚に収めたため、かなり粗いものになってしまった。
 見学地の紹介文は例年1年生が担当するが、本件に関しては、荒神谷などに比べ知名度が低くアピールをする必要があることと、同種の遺跡を簡単にまとめる必要があったため私が書いたものである。
 また、当初に取り上げなかった加茂の大石と命主神社については現地を見学することができたのでWeb版で補うことにした。出雲地方には、これ以外にも同種の遺跡が数多く存在するであろうが、詳しくは調べていない。ご教示をいただければ幸いである。(01/8/8)


出雲の祭祀遺跡

1.信仰の対象としての山と石

 古代人は集落内での祭りのほか、立派な山・岩・峠・樹・島・池などに神が宿ると考え、祭祀を行ってきた。こうした日本の信仰のあゆみを考古学的に検証する分野として神道考古学・祭祀考古学がある。

【山岳への信仰】
 浅間型と神奈備型に分けられる。
 浅間型は高く険しい山であり富士山・赤城山などが該当する。仏教の修行場となるまでは麓から遥拝する対象であった。これらの山を望む場所からの祭祀遺物の出土例がある。
 神奈備(かんなび)型は比較的低く山容の美しい山である。大和の三輪山や福島の建鉾山などであり、山中からの祭祀遺物の出土が知られる。

【岩石への信仰】
 石神と磐座・磐境に分けられる。
 石神は石そのものを神とするもので屹立する大岩が多い。銅鐸等が発見された広島県木ノ宗山の立石や相模大山の神体石など。
 磐座(いわくら)・磐境(いわさか)は神の依代であり、前者は石単体、後者は石による区画をさす。磐座は大小さまざまで各地の神社に見られるが、三輪山麓の山の神遺跡が有名である。

2.出雲の神奈備山と磐座

 信仰の対象となった山・石は出雲にも数多く残されているが、見学希望地を中心に主な遺跡を紹介する。

【神奈備山】
 『出雲国風土記』には4つのカンナビ山が登場する。出雲国庁・国分寺等の北側に望める松江市の茶臼山(意宇郡・神名樋山)。佐太大神の社があったという朝日山(秋鹿郡・神名火山)の北方の志谷奥遺跡からは銅鐸2個・銅剣6本が出土している。平田市大船山(楯縫郡・神名樋山)の西側斜面の岩陰などからも古墳時代の土器などが出土している。神庭荒神谷遺跡は斐川町の仏経山(出雲郡・甘南備山)を望む位置にあり、加茂岩倉遺跡もこの山に近い。

【女夫岩遺跡】
 宍道町白石の小丘陵斜面に位置する磐座。高さ5mほどの2つの岩が寄り添うように配置され、手前に二重の石垣が構築されている。風土記の「猪像」に比定する説がある。
 中国横断自動車道の建設予定地となり、96年周囲のトレンチ調査が行われた。須恵器・土師器といった古墳時代中期〜後期を中心とした遺物が出土したが、近世の神酒徳利なども見られ、信仰の連続性を物語る。
 保存運動の結果道路は地下に通されることになり遺跡は保存されることとなった。明確な遺構・遺物の伴わないこの種の遺跡だが、その景観自体が文化財と呼べるものであり、現状保存されたことは注目される。県史跡。

【石宮神社】
 女夫石遺跡の山をはさんだ東方に鎮座。境内に神体石(磐座)、入り口に巨石がある。巨石は「猪像」のもう1つの候補地。

【飯石神社】
 三刀屋町に鎮座。社殿裏に磐座が残されているが、明治の遷宮の際に傍らから須恵器が発見されている。

【加茂の大石】
 矢櫃神社跡地で、信仰の対象とされてきた。この他にも付近には大石が多く、加茂岩倉遺跡の「岩倉」の語源となっている。

【命主神社】
 出雲大社の境外摂社。社殿裏に大岩があったが、寛文5年に大社造営のため切り出された。その際、重文となっているヒスイ製勾玉と銅戈が見つかっている。

《参考文献》
 大場磐雄 1970 『祭祀遺蹟』角川書店
 椙山林継 1991 「岩石と神まつり」『古墳時代の研究』3 雄山閣出版
 島根県古代文化センター 1996 『いにしえの島根ガイドブック』5 島根県教育委員会
 島根県教育委員会ほか 1999 『島根県指定史跡 宍道・女夫岩遺跡 第1次発掘調査報告書』
 山内利秋 2000 「景観」『用語解説 現代考古学の方法と理論』U 同成社
(2001.6.18稿了)
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