発掘捏造事件について縄文学研究室トップ研究ノートトップ

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 上高森遺跡・総進不動坂遺跡での石器の発見の多くが藤村新一氏によって捏造されたものであることが明らかにされてから1週間たとうとしています。その間、各新聞では大量の関連記事を出し、各考古学サイトの掲示板ではさまざまな議論が展開されています。
 先ほど、MSNの「石器発掘ねつ造事件、どうして起こった? 」という掲示板を見てきました。おそらく一般の方だと思います。40ページ(12日2:40現在)にわたって、ほとんどの方が真剣な書き込みをされていました。
 今回の事件が明るみに出た5日以来、当サイトのアクセスは激増しました。多くの方が、この事件についての情報を得ようとされたのだと思います。しかし、私は下のようなリンクを張ることしかできませんでした。私に何ができるのかずっと考えてきましたが、拙くても、既に指摘されていることでも、まずは自分の考えを書くことから始めなければならないでしょう。

 《発掘と考古学》
 今回の件は、発覚後、いろいろなところで、いろいろな指摘が出ています。チェック体制を、などという意見もあるようです。しかし、発掘は年間一万件以上。小さな市町村では担当者1人でがんばっています。それらがいちいち疑われてしまうのでしょうか。
 考古学と発掘は同義ではありません。しかし、発掘は考古学の第1歩です。考古学が科学と呼べるならば、他の科学と同様再検証が可能でなければなりません。しかし、発掘は一度しかできないものです。
 つまり、発掘は信頼で成り立っているようなものです。それを裏切ったという点で非常に残念に思います。
 また、マスコミと考古学の関係も問題視されています。もっと適切に言えば、考古学報道がほとんどの場合「発見」報道であることを許してきた考古学界の問題だといえるでしょう。
 しかし、考古学においては、1つの発見を全面的に信頼して使うことしかできないのでしょうか。
 そうではないと思います。類例を探すのです。別の遺跡でも見つかればその発見の妥当性は増していきます。今回の事件は、類例がほとんどない状況で、教科書まで取り上げられる事態になってしまったというところに問題があると思います。従って、前期旧石器文化研究に関して言えば、類例の蓄積によって自然と問題は解決するでしょう。
 問題は、同じような傾向が考古学全般について言えるのではないか、ということです。たとえば「三内丸山は単独で価値があるのではなく、これまで出土した遺構・遺物がまとまって出てきたところに意義がある」ということは当時再三言われていたことでした。
 もう1つは、一般の方の信頼です。これは実際に聞いてはいないので、どこまで揺らぐかわかりません。しかし、遺跡は考古学研究者だけのものではありません。先人の遺産は一般の方に還元されてしかるべきですが、彼らの支持が得られなければ何にもならないでしょう。地道な研究と華々しい発見では一般の方に訴える力は大きく差があります。確かに最近の「発見」で出るものは誰にでも分かりやすいものです。しかし、考古学の面白さはただの土器片1つでいろんなことがわかる、ということでしょう。それは研究の集積に基づくものです。この点をもっと前面に出していくべきだと思います。

 《今回の事件が投げかけたもの》
 今回の事件は多くのことを指摘しました。大きなことから小さなことまでありますが、私にとっては当サイトでリンクを張る以外何もできないという事態、つまり私が、あまりにも他分野について知らないということを認識することになりました。
 これは「旧石器だから」で済まない問題です。考古学という学問を学び、このようなサイトを開設している以上、もっと時代・地域を越えた知識が必要だと思い知らされました。このサイトの運営は様々な刺激をうけます。その刺激を無駄にせず、このサイトをよりよいものにしていくために、もっともっといろいろなことを勉強していくつもりです。

 最後にもう1つ、各サイトでは掲示板を中心に建設的な議論が行われる一方で、度を越えた個人攻撃が見受けられます。当サイトを含め、考古学サイトのあり方を考えされられます。

※12日の初稿分は大事な部分が抜けており、教科書を塗り替えた「発見」まで嘘と断定したような書き方をしてしまいました。教科書問題の議論は捏造があったかどうかを究明してからでも遅くないと思います。

(2000.11.13)


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