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 修士論文の題目提出およびその直後の演習での発表に用いたもの。葬送儀礼に用いられた土器の形式に着目して、土器の社会的意義を考察しようと考えた。なお、「土器の製作・使用が社会的にも大きな関心事であった社会」については良く分からないという指摘を受けた。(05.10.2)


外国考古学研究05.05.20

葬送儀礼における縄文土器 −縄文時代後期前葉〜中葉における土器の社会的意義−


博士課程前期2年 中村 耕作

【要旨】

 縄文時代後期は、磨消縄文を始めとする土器情報が列島規模で行き来した時期である。堀之内・加曽利B式土器様式は、その中核であり、注口土器・椀・鉢の確立、精製/粗製の分化、舟形土器・壷・双口土器・異形台付土器の出現など、土器文化上の大きな画期となっている。また、その背景には他の文化事象を含めて社会の複雑化が指摘されている。
 本研究は、そうした多様な土器が生み出され、使用されていた社会のあり方を探るものである。まず、各遺跡の土器のあり方を、様式・形式の組成という観点から整理し、様式内の地域差とその統合過程を、深鉢・浅鉢・注口土器の変遷からたどる。次いで、副葬された土器、土器被り葬に用いられた土器、埋設土器など、葬送儀礼に関わる土器の様式・形式を検討し、儀礼と土器との関係性を明らかにする。また、主要な形式のうち、浅鉢・注口・舟形・壷について、その分布や出土状況を整理し、葬送で使用された土器の特徴と比較する。以上の検討により、土器の使用・儀礼への利用という点から西関東〜信越地域という特定地域が他地域と区別されることを明らかにする。
 同地域は、土器製作や様式変化の舞台としても注目される地域であり、土器の製作・使用が社会的にも大きな関心事であった社会であったことが推察される。

※土器が使用された場(集落・墓域・墓坑)の検討、土器(情報)の拡散状況の分析は次年度以降に行なうことを予定している。

【章立て】

はじめに

1.考古学における社会論
(1)土器−社会論
(2)儀礼−社会論
(3)生態−社会論
研究史と理論的前提の整理・課題の抽出

2.縄文時代後期社会における堀之内・加曽利B式土器様式

3.主要遺跡の様式組成・形式組成
 →全体的な土器地域圏の抽出(図1)

4.葬送儀礼における土器
(1)副葬土器 (図2)
(2)土器被り葬土器 (図3)
(3)埋設土器
・堀之内式期には西関東において東関東系様式が使用される場合がある。また、使用される器種は、副葬・埋設は深鉢・注口が主、土器被りは深鉢・浅鉢が多い。該期全体の器種組成は深鉢・注口は比較的多いが、浅鉢は少なく、浅鉢―土器被り葬の特殊性が窺われる。また、山梨に土器を用いた葬送儀礼が少ないことも指摘できる
・加曽利B1式期には、西関東において小形土器副葬が特徴的に認められる。器種は、鉢椀類が半数を占め、舟形・注口・深鉢・浅鉢と続く。この組成は土器全体のものとは異なり、選択の結果である。また、埋設は深鉢、土器被りは深鉢・浅鉢が多いが、事例数は堀之内式期よりも減る。
・加曽利B2式期以降は、西関東において明瞭な遺構検出が少なく、副葬・土器被りは殆ど見られなくなり、関東全体として僅かながら事例が散見されるようになる。

5.土器形式と葬送儀礼
(1)深鉢
(2)浅鉢・鉢
(3)舟形土器 (図4)
(4)注口土器 (図5)
・時期設定:後期前葉〜中葉を4大別8〜10細別
・各形式について、系統・分布・出土状況を確認
・いずれも、細かい地域性はあるが、大局的に見て茨城・千葉圏/東京・神奈川・埼玉・群馬・長野圏とに大別される傾向があり、堀之内2式〜加曽利B1式期にかけては舟形・注口・小型壷が後者に集中する。
・前半期の舟形は墓坑出土例が卓越し、儀礼具としての性格が強い。注口の屋内祭祀事例・副葬事例・埋設事例は必ずしも多数を占めるわけではないが、その分布範囲は西関東である。

6.考 察
(1)縄文時代後期前葉〜中葉の地域間関係
・以上の成果および、居住遺構・生業遺構・土偶その他の遺物・石材等をもとにした地域間関係の復元を行なう。堀之内1式期〜加曽利B1式期の、副葬・埋設・土器被り分布圏は配石墓分布圏・信州産黒曜石の流通圏などとも一致する。中部山地と西南関東との繋がりは、山梨を経ず東信〜群馬経由で行なわれたことが推察される。
(2)西関東における土器の社会的意義
・同地域は、これまでの検討で指摘した使用状況のみならず、土器製作、様式変化の舞台としても注目される地域であり、土器の製作・使用が社会的にも大きな関心事であった社会であったことが推察される。

主要参考文献

【考古学における社会論】
上野佳也 1980 「情報の流れとしての縄文土器型式の伝播」『民族学研究』44-4 日本民族学会
大塚達朗 2004 「「の」の字単位紋考−加曽利B1式の理解として−」『縄文時代』15 縄文時代文化研究会
小林達雄 1977 「型式・様式・形式」『日本原始美術大系』1 講談社
小林行雄 1959 「けいしき」『図解考古学辞典』 創元社
杉原荘介 1946 『原史学序論−考古学的方法による歴史学確立への試論ー』 葦牙書房
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山内清男 1932 「日本遠古之文化(1)」『ドルメン』1-4 岡書院
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春成秀爾 2002 『縄文社会論究』 塙書房
水野正好 1985 「縄文集落の構造と他界観」『村構造と他界観』雄山閣出版
溝口孝司 1993 「「記憶」と「時間」−その葬送儀礼と社会構造の再生産において果たす役割−(ポスト=プロセス考古学的墓制研究の一つの試みとして)」『九州文化史研究所紀要』38 九州大学文学部九州文化史研究施設
山田康弘 2001 「縄文人骨の装身具・副葬品の保有状況と土坑長」『物質文化』70 物質文化研究会

【縄紋時代後期における堀之内・加曽利B式土器様式】
(省略)

【主要遺跡における土器様相】
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植田文雄 1991 「拡張、あるいは展開する縄文文化」『滋賀考古』5 滋賀考古学研究会
鈴木徳雄 1990 「称名寺・堀之内1式の諸問題」『第4回縄文セミナー 縄文後期の諸問題』 縄文セミナーの会
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田中良之・松永幸男 1984 「広域土器分布圏の諸相」『古文化談叢』14 九州古文化研究会
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【葬送儀礼における土器】
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加藤元康 2003 「縄文時代墓制研究への視点−土器の出土状況から−」『史紋』1 史紋編集委員会
鈴木保彦 1980 「関東・中部地方を中心とする配石墓の研究」『神奈川考古』9 神奈川考古同人会
鈴木保彦 1986 「続・配石墓の研究」『神奈川考古』22 神奈川考古同人会
中村 大 2000 「土器の出土状態からみた土壙墓の認定について」『國學院大學考古学資料館紀要』16 國學院大學考古学資料館
西田泰民 1996 「死と縄文土器」『歴史発掘』2 縄文土器出現 講談社
林克彦・細野千穂子 1997 「墓制から見た地域性」『史友』29 青山学院大学史学会
山本暉久 2003 「墓壙内に倒置された土器」『神奈川考古』39 神奈川考古同人会

【土器形式と葬送儀礼】
秋田かな子 1994 「加曽利B1式注口土器の成立(予察)−王子ノ台遺跡出土の注口土器から−」『東海大学校地内遺跡調査団報告』4 東海大学校地内遺跡調査団
秋田かな子 1999 「注口土器の系統変化」『季刊考古学』69 雄山閣出版
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鈴木徳雄 2000 「縄紋後期浅鉢形土器の意義−器種と土器行為の変化−」『縄文時代』11 縄文時代文化研究会
須原 拓 2003 「住居址内出土の注口土器」『史叢』68 日本大学史学会
関口 満 2000 「部室貝塚出土の「舟形土器」」『玉里村立史料館報』5 玉里村立史料館
田中英世 1985 「野呂山田貝塚出土の舟形土器」『貝塚博物館紀要』12 千葉市立加曽利貝塚博物館

【考 察】
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小杉 康 1995 「縄文時代後半期における大規模配石記念物の成立」『駿台史学』93 駿台史学会
佐々木由香 2000 「縄文時代の「水場遺構」に関する基礎的研究」『古代』108 早稲田大学考古学会
谷口康浩 2002 「環状集落と部族社会−前・中期の列島中央部−」『縄文社会論』上 同成社
高橋龍三郎 2002 「縄文後・晩期社会の複合化と階層化過程をどう捉えるか」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』47-4 早稲田大学大学院文学研究科
山田康弘 1995 「多数合葬例の意義 −縄文時代の関東地方を中心に−」『考古学研究』42-2 考古学研究会
山本暉久 1987 「敷石住居終焉のもつ意味 (1〜4)」『古代文化』39-1〜29-4 古代学協会
渡辺 仁 1990 「縄文式階層化社会と土器の社会的機能」『縄文式階層化社会』 六興出版

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