考古学の強みと弱み〜資料の特性から〜縄文学研究室トップ研究ノートトップ
「考古学の強みと弱み〜資料の特性から〜」(史学基礎演習課題レポート 00.7.21)より

 本稿は、谷口康浩先生に提出した、考古学に関する初めての課題レポートである。利用した文献の性格から考古学資料の特性を述べるにとどまっている。読み返してみると、いろいろ不十分な点(特に民俗資料との比較において)は目に付くものの、私の考古学資料の特性についての基本認識という点でそのまま掲載した。いずれ、改めて整理する時が来るであろう。
 現在は、方法論や現代社会との関係などに関する問題も「考古学の強み・弱み」というテーマの俎上に上げることが必要と認識している。(03.4.28)


考古学の強みと弱み〜資料の特性から〜


【はじめに】
 身近なことから書かせていただきたい。
 私は縄文の祭祀に興味を持っているが、もともとは郷土史への関心から出発した。小学生の頃「地域に残る古いもの」という授業で学校周辺に残る史跡をいくつか回ったことがあった。それに刺激されて少し調べてみるとわが伊勢原市には大山・日向薬師といった大きな社寺があり、源頼朝や太田道灌、徳川家康、春日局といった歴史上有名な人物とかかわりが深い。自分の住む場所が日本史と結びついていることに感動し、以来市内の史跡を回り、市の歴史と文化財を調べた。
 テーマとしてはいくつかあったのだが、その1つに相模の国府はどこにあったか、という明治以来の論争があった。文献によると、少なくとも一時期大住郡にあったようであるが、具体的な場所はわからなかったのである。明治以来、地名や社寺の位置をもとにした歴史地理学的な研究が盛んに行われ、わが伊勢原市三ノ宮周辺もその有力な候補地の1つとして挙げられた。
 結論を言うと、現在では平塚市四ノ宮付近にあったことがほぼ確実になっている。開発に伴う調査が何度も行われ、大形掘建柱建物跡群や「国厨」「郡厨」などの墨書土器が集中して発見されていたのである。(明石 1998)
 考古学は文献史学や従来の歴史地理学では推定することしかできなかった事柄をほぼ確定することが可能なのだ、考古学資料という当時の私の感覚としては全く新しい資料によって問題が解決しまったことを知った私は、初めて考古学という学問に興味を持った。
 
 「考古学はモノを研究対象にする学問である」、これは文献を対象とする文献史学や民間伝承を対象とする民俗学と並べられてよく使われる表現である。しかし、差は対象資料だけではない。歴史系学問の中で考古学は貪欲である(岡本 1994)。日本考古学・アメリカ考古学・中国考古学という地域別の考古学、先史考古学・原史考古学・歴史考古学といった時代別の考古学、産業考古学・戦争考古学・祭祀考古学というテーマ別の考古学など様々な名でもって、人類の過去に関わるほとんど全ての分野に進出している。
 そして、目的の共通性の高い文献史学・民俗学・民族学にとどまらず、文学・心理学・言語学・人口学・人類学・生物学・物理学・天文学・火山学などなど多数の学問の成果を応用しようとする。
 以下、考古学の強みと弱みを他分野との関わりを含めて述べ、考古学の特質を考えてみたい。

【考古学資料の有効性】
 日本考古学においては、従来旧石器〜古墳時代、寺院や宮跡などの研究に重点が置かれてきた。しかし、近年大規模開発の影響や文献史学の影響もあって中世考古学、近世考古学、さらに近代の戦争考古学・産業考古学など時間的にも内容的にも幅広い分野を対象とするようになり、さまざまな事実を明らかにしている。以下、考古学・考古学資料の強みを幾つか挙げてみる。

《資料の理化学的分析が有効である》
 現在の考古学を支える大きな力は文化財科学と総称されるさまざまな理化学的分析法である。考古学資料は理化学的分析によって、よりさまざまな事実を明らかにすることが可能である。年代測定、環境復元、産地同定、組成分析などなど。こうした分析はモノだからこそ有効で、情報を主体とする文献や民俗資料では意味を持たない。

《文献に無い歴史を明らかにする》
 考古学は古くから対象とする時代の文献資料の多少から先史考古学、原史考古学、歴史考古学とに分けられてきた。しかし、共通するのは文献に記載の無い事実を明らかにしていく学問であるということである。
 文献には書き手が必要と思ったことが書かれる。普段の生活の様子はなかなかわからない。この点、考古学資料は人間の居た地域ならどこにでも残されているという空間的普遍性がある。地域に密着した資料であるという強みがある。文書・記録など残っていない地域でも考古学資料によって歴史が書ける可能性がある。

《文献の誤りや文献では曖昧な部分を明らかにする》
 たとえば、『日本書紀』には垂仁天皇の皇后が死んだ際、殉葬を廃し、代わりに土で人や馬の形を作り葬ったとある。有名な埴輪起源伝承であるが、考古学はそれ以前に円筒埴輪が作られていることを明らかにしている。
 また逆に、文献の記載を考古学資料で裏付けることもできる。

【考古学資料の限界性】
 藤森栄一はかつて「指名権を持つ古代史研究と、決定権を持つ考古学」という言葉を残している(藤森 1967)。推定でなく事実として証明できるということが考古学の最大の強みである。
 一方で、考古学の資料には限界があることも認めなければなるまい。

《偶然残った資料を用いなければならない》
 考古学はモノを資料とする。幽霊船のような、モノだけが全て残っている遺跡があれば、それは考古学にとって理想的な遺跡であろう。だが、過去に使われたモノ全てが残っているわけではないのである。
 過去の人々が意図的に残そうとしたものもある。墓への副葬品や経塚遺物、祭祀遺跡の奉斎品などである。しかし、それを神でなく子孫に残す文化もあったはずである。そうした文化の違いとモノがあったかなかったかは密接な関係をもっている。
 だが、それ以外の日常品に関していえば、残ったものは殆どの場合ゴミである。そこで、ポンペイや黒井峯のような火山灰でパックされた遺跡や火災に遭った住居が重要視される。
 一般的に土器や石器は大部分が残っていると考えられるが、木器・骨角器・建築材・文書・食物・衣服などの有機物は貝塚や低湿地遺跡といった限られた遺跡、或いは漆紙文書という形の僅かな例外の以外はまず残らない。金属製品は鋳潰して再利用されたら残らない。
 また、遺構の場合、「足し算型」の遺構は残りにくく、「引き算型」の遺構は残りやすい(佐原 1995)。

《調査されないと出てこない》
 これも当たり前のことだが、考古学資料というものは表面採集なり、発掘なりの調査をして初めて出てくるものである。大規模開発に先立つ調査が行われる都市部や、道路・鉄道に沿った地域では集中して遺跡の報告がなされる。だが、そうでない地域に有るのか無いのかは不明である。(佐原 1985)
 また、調査の規模が遺跡の規模ひいてはある時期における力の強さ、或いは遺跡の重要性などと同一視されるという危険性がある。野球場部分をまるまる調査し国史跡となった三内丸山遺跡と、小規模な調査が行われそのまま破壊された遺跡とを比較することは非常に難しい。調査されずに破壊される場合も多い。

《原資料に戻って再検討することは難しい》
 発掘調査は遺跡の破壊である。少なくとも縄文の調査をするためにはそれ以降の時代の文化層は破壊しなくてはならない。現在は開発に伴う調査が次から次へと行われ、大量の遺物と情報が蓄積されている。その成果は一応報告書の形で公表される。だが報告書に書かれていない情報を知ろうとする場合、遺物ならよほどきれいな遺物でなければ収蔵庫のテンバコに詰め込まれている中から探し出さなければならないし、遺構の場合にはたとえ保存されていても再調査は非常に難しいし、多くの場合、既に破壊され、あるいは上に建造物が立ち再検討は不可能である。

《調査の技術や、報告者の認識によって報告資料の質に差が出てきてしまう》
 考古学は100年以上の伝統をもつ。古い伝統をもつ学問は多いが、100年前の報告が今でも1次資料として役立つ学問は珍しい。しかし、調査の技術の差は大きいし、資料の見方も時がたつにつれて多様になってくる。学問の発展には新たな角度からのアプローチが必要だからである。
 私の興味のある敷石住居を例にしてみたい。建物としての構造や、築造から廃棄に至るプロセスを研究する場合など、敷石の周囲や下部の遺構にも注意しなければならない。だが、かつては敷石部分のみの調査しか行われない場合や配石遺構(例えば環礫方形配石遺構)とみなされ下部まで調査されない場合も多かった。今となっては配石墓か敷石住居かその他の配石遺構かわからない遺構も多い。特に遺構や位置関係などについては調査時に注意しなければ永久に分からないのである。

《過程はわからない》
 例えば、儀礼を明らかにしようとしても出土状態というものは最終的なものであり、作られてから最終的にその場に置かれるまでに何があったのかは殆ど分からない。何らかの事情で途中で廃棄されたりしたものを注意深く用いるほかない。

【おわりに】
 これまで書いてきたように、考古学資料には文献資料や民俗資料などと比べ多くの利点がある反面、弱点もいろいろある。
 しかし、文字でかかれた記録や話者の語る民間伝承には間違いがある可能性があるが、考古学資料は絶対に嘘はつかない(佐原 1995)。既に明らかなように考古学の弱点は、資料をどう解釈するかという次元の弱点である。資料の特性をしっかり理解すれば、考古学独自の視点から歴史を復元することが可能であろう。



参考資料(本稿作成時に参照した資料のみ)
 明石新編 1998 『相模国府とその世界』平塚市博物館
 岡本孝之 1994 「考古科学としての考古学」『異貌』14
 小野正敏 1995 「中世の考古資料」『岩波講座日本通史』別巻3
 近藤義郎 1976 「原始史料論」『岩波講座日本歴史』別巻2
 佐原 真 1985 「分布論」『岩波講座日本考古学』1
 佐原 真 1995 「原始・古代の考古資料」『岩波講座日本通史』別巻3
 藤森栄一 1967 「脚のない古代史」『かもしかみち』

(03.4.28 補稿)
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