トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
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3月11日(日) 土器の造形−縄文の動・弥生の静−
 東博の今世紀最初の特別展を見に行ってきた。既に1月末に見に行った友人や先輩の話を聞いたり、当サイトや情報広場などの掲示板への書き込みを見たりして楽しみにしていたのだが、とうとう最終日になってしまった。鑑真さんの方は知らないが、こちらにもそれなりに人が入っていたように思う。
 考古学的、歴史的にはキャプションが少ない等の問題があるだろうが、美術展として「見せる」展示という観点では、さすが東博と思える展示だったと思う。東博の特別展としては最も時間をかけて見てまわった気がする。
 それでも気になったのは縄文の圧倒的多数が東日本の出土品で、西日本のものは古い時期のものが若干展示されていただけ、北海道・沖縄の土器は無し、中期関東甲信越地域の重視という地域的・時間的な偏りである。縄文土器の美しさはそんなに局部的なものではないと思うのだが。むしろ個人的にはこの展示で、草創期〜前期、後期の土器の美しさに気づかされた。
 もう1つは、弥生の方。縄文の展示品は確かに縄文を代表するといえる(よく取り上げられる)ものだったが、弥生のほうもそういった資料だったのだろうか。弥生のことはよく知らないが、あの程度なのだろうか。土製品だって、縄文ほどではないにしろあるのではなかろうか。
 まあ、それはそれとして、縄文の方は「知ってる」土器が多かったが、実物を見てみるとやはりいろいろ気づくことがある。草創期のD期は数年前に横浜で行われた特別展で見ていたが、改めてみてその完成度に驚いた。かなり早い段階から器形が整えられ、紋様が施されてきたのだ。また、早期の土偶や後期の韮久保遺跡出土の狩猟文土器、寺改戸遺跡出土の注口土器の意外な小ささ。土器の横面に施された文様、紋様パターンや波状口縁の数、複雑な把手部の構造など当然ながら写真からでは分からない情報が多い。つまり買った図録はあまり意味がないかも。
 多くの人が言うように一度では見きれない展示であった。もう終わってしまうので一堂に会した状態では見られないが、またそれぞれの土地で見る機会があろう。その際は、その地の多数の土器と比較しながらその土器の特殊性などについても考えてみたい。
 東京国立博物館:特別展「土器の造形」


3月10日(土) 南郷村立歴史民俗資料館見学記
 5日〜6日にかけて、民俗学の方サークルの採訪の下見として青森へいってきた。目的地は南郷村だが、バスの関係で、初日は八戸市内をぶらぶらして、6日に南郷村へ入った。役場に挨拶に行く班などにわかれ、私たちは資料館を見学することとなった。
 南郷村でも最近になって発掘調査が行われるようになってきたが、ここに納められている資料はほとんど、同館研究員の方が50年以上前から収集されてきたものであるという。残念ながら出土地や元所有者などの記載はなかったが、考古資料、民俗資料、近代資料(教科書、蓄音機、玩具…)などが並べられていた。収蔵庫や屋根裏の展示場まで見せていただき、収集時のお話などを伺うことができた。考古資料では晩期の皿形土器、注口土器、遮光器土偶、ミニチュア土器、土製品など見事な亀ヶ岡様式の遺物が多い。「見事」というのは「特別な」という意味ではないが、ゆっくり土器をさわって見て、その薄さ・細工の細かさを実感した。この他遠賀川系土器も展示されている。
 民俗の下見できたのでそれにも触れておくと、猪用の槍や、川猟の用具などが展示されているほか、屋根裏にも多数の農具が納められている。また、時間の都合見学できなかったのだが、隣に民家を移築した民具展示館が建てられている。
 南郷村には宿泊施設が1ヶ所しかなく、今のところ夏は泊まれそうもないというような不安要素はあるが、是川遺跡も近いことだし、また夏に行って詳しく見てみたいと思う。
 青森県南郷村


2月27日(火) 中伊豆町の環状?配石遺構
 2月25日(日)、私は友人を誘って静岡県中伊豆町へ出かけた。町役場新築工事に先立って行われている原畑遺跡の調査で縄文後期の「環状列石」が出土し、その見学会が開かれるという情報を「おやつ」で入手したためだ。
 2人とも免許を取ったばかり(「ばかり」でもないのだが…)で遠出は難しいということで電車で修善寺へ行き、そこからバスでむかった。遺跡は大きな石がゴロゴロした状態で、同じ中伊豆町の上白岩遺跡の「環状積石遺構」のようなものを想像していた私は驚いてしまった。ただ、配石を伴う大きな遺跡では石がゴロゴロというのは話を思い出し、細かく見ていくことにした。
 なお、新聞では「環状列石遺構」と書かれていたが、当日配布された資料にはそのようには書いていなかったため担当の方に直接聞くことを忘れてしまった。実は昨年の学園祭に「環状列石」という用語を問題にした文章を書いていたので、この点はきちんと確認すべきであった。新聞によれば、石組遺構などが全体として径60mという規模になるということのようだ。
 小雨(一時雪?)の中、敷石住居やら石組遺構やらを見てまわった。それぞれの遺構は把握できるが、それが全体的にどうかというのはきちんと整理したり、上空から見てみたりしないと分からないのかもしれない。中央に立石を持つ通称日時計状の石組もいくつかあったが、これはこの地域では珍しいものではない。ただ、文献上でしか知らないものだったので、実際に見てその大きさを実感した。ただ、まだ調査中でもあり、この遺跡の詳細がわからないのでこの辺で止めておこう。
 その後、20〜30分歩いて上白岩遺跡を見学した。ここは1976年から調査が行われた遺跡だが、国史跡に指定され現在は公園となっている。中期後半の環状集落の中央部分に、中期後半〜後期初頭にかけて環状積石遺構が営まれた。ここの配石も原畑と同じくらいの大きな石を用いているようであった。遺跡公園は、復元住居が1棟(井戸尻をモデルにしたらしいが、内部に道具が置かれている復元住居は珍しい)あるのと、環状積石遺構が出ているだけで、残りの遺構は植物で表示されている。道をはさんで町立歴史民俗資料館があり、出土品が展示されている。帰りはなかなかバスがなく、修善寺まで歩いてしまった。やはり車が欲しい…。
 以上、なかなか書けなかった原稿だが、一応アップしておく。静岡地域の配石遺構についてはもうすこし調べてみたいと思う。(01/3/11掲載)
 静岡新聞:中伊豆町の原畑遺跡、見学会 熱心な考古学ファン110人


2月26日(月) 第14回考古資料展 地中に眠っていた伊勢原の遺跡
 市制30周年を記念して「史跡と文化財のまち」のガイドブックを改訂発行する伊勢原市だが、専用の文化財公開・活用施設はなく、毎年この時期、公民館まつりにあわせ、会議室で職員の手作りの展示がミニ展示会を実施している。一昨年昨年とこのトピックスでも紹介してきた伊勢原市の考古資料展である。今回(23日〜25日)は最近報告書が刊行され、調査団より市に資料が返却された3つの遺跡の出土品、および昨年立ち会い調査で出土した古墳出土品が展示された。既に終了してしまったが、簡単に紹介しておく。

 県道建設に先立ち調査された沼目坂戸遺跡第2地点からは、縄文後期の資料が多数出土した。2重にめぐる環礫方形配石遺構とその下部の3号住居から出土した土器が中心となるようだ。中でも内部に符号のようなものが刻まれた注口土器は注目される。何らかの意味があるのかないのか。この遺跡では加曽利B1・2式の資料も豊富に出土した。土器片ばかり並べたコーナーを設け、実際に1と2をわける作業をやらせてもらった。報告書を見ながらの作業だったが、その時はそれなりに区別できるようになった。このほか、注口土器の注口部(いまとめて検出されたという)や土偶の足、石器類などが展示された。
 区画整理事業に先立つ調査が行われた沼目原之宿遺跡では8世紀前半の県内最大級となる大形掘建柱建物2棟が検出された。展示では古墳〜古代の土師器・須恵器を中心に鉄製品や、中近世の陶磁器が並べられた。
 池端地区遺跡群も区画整理事業に先立ち調査されたが、方形周溝墓9基や平安期の住居からの馬具、掘建柱建物出土の石帯などが注目される。土師器・須恵器・陶磁器などが展示された。
 幼稚園改築工事の立会中に発見された三ノ宮上御領原古墳では横穴式石室から直刀3、平瓶、横瓶、人骨、玉類、鉄鏃などの鉄製品が出土したが、これらが今回初めて公表された。

 寒さや雨・雪などの影響もあったが、公民館まつりの会期中ということもあって3日間で1000人くらいは見てくれたようである。中に毎年こられている方もいて、連れの人に説明したり、職員に質問したり、自説を披露されたりするのだが、多くの方はすーっと見て帰ってしまう。中央には触れるコーナーが設けられており、縄文石器や土器が置かれているが、なかなか触れようとしない。ところが、担当職員の解説がはじまると熱心に聞き、石皿のすべすべ感に感動し、いろいろ質問してゆく。質問を待つよりもこちらから解説していったほうが一般の方にはよいらしい。と、書いてみて昨年・一昨年の文章を見直してみた。毎年同じような事を考えているようなので重複する部分は削っておくが、これだけは書いておきたい。
 「伊勢原にこんな古いものがあったんだ」という感動の声は毎回多い。このような普段あまり興味のない一般の人でもついでに足を運んでくれるようなミニ展示会は残すとして、これをきっかけにして、さらにじっくり遺物に触れることのできる常設の展示施設を強く望む。


2月8日(木) 縄文人の「環境問題」−廃棄・開発・リサイクル−
 ここ数日風邪をひいてしまって、ものを書くことができなかった。困ったことである。

 さて、表題は相模原市立博物館で開催中の企画展である。6日の午前中に見に行ってきた。
 土器・石器・骨角器・植物遺物・人骨・祭祀遺物など展示品はこれといって特徴的な遺物が並んでいるわけではない。もちろん埋納遺物を除けば、ほとんどの考古資料は廃棄品なので、「特別な遺物」が必要なわけではないのだが、面白いテーマの割には内容が薄かったかなという印象であった。
 この企画展のポスターは現代のごみ収集場に縄文土器が置かれているという、なかなかいいデザインだが、実際の展示では、ただ遺物が羅列されているだけで、またさまざまな問題が取り上げられているため、焦点がボケてしまっているように思う。
 もしも、縄文時代も現在と同じようにごみ問題があったこと、開発を行っていたことなどを伝えたいのならば、廃棄パターン研究や、花粉分析などによる植生改変研究などを積極的に利用して、もう少しそれぞれの問題について深く掘り下げていった方がいいかもしれない。そうなるとモノだけの展示では済まされなくなるだろう。まあ実際問題として難しいのだとは思う。しかし、テーマは面白いし、1つ1つの資料も良いのでもうすこし統一性があればと思う。
 ただ、個別の資料は面白い。例えば、入り口に置かれた山王平遺跡(相模原市・中期の環状集落)出土のほぼ総てという土器・土器片は、露出展示で、多量の土器をじっくりと眺めることができた。博物館の展示ではなかなかない方法であろう。また、御所野遺跡・伊勢堂岱遺跡といった祭祀遺構関連の資料も私にとっては興味深い。また、都立大が行った御所野遺跡での石斧による伐採実験結果もいくつか並んでいて、人によってずいぶん切り口が異なることがわかる。
 相模原市立博物館冬季企画展 縄文人の「環境問題」〜廃棄・開発・リサイクル〜

 追記:この話題については掲示板で展示を企画された木村氏にコメントを寄せて頂いた。また夢鳥氏によって「ゴミという概念」の問題が提起されている。なお、Arch.LABOでも感想が公表されている(2/21)


2月4日(日) 最近思うこと 〜未確定思考公開の是非〜
 昨年末に捏造事件関連リンク集を取り上げていただいたご縁で、昨日、ある研究会へ参加させていただきました。第一線の研究者の方も、このサイトを見ていただいているということを知りました。嬉しく思う一方で、緊張しました。

 さて、研究会の後の懇親会や帰路で、捏造事件のこと、Webサイトのこと、そして私自身の今後の研究のことなどについて、いろいろお話を伺ったり、自分の考えを述べたりしましたが、ふと思ったのは、このサイトの意味です。
 主に考古学関係のニュースについて思うことを書いてきましたが、中身よりもむしろ、その存在自体に重点をおいて運営してきたわけです。その結果、今のアルバイト先が見つかったり、今回の研究会に呼んでいただいたりして、そういう意味では目的は果たされているのです。

 一方、例えば、今は、来年度の新入生用入門講座への準備も兼ねて、古典的な様式論・型式論を調べたり、秋の学園祭の時に書いた加工食品炭化物関係の追加資料を調べたり、理論考古学への下準備として文化人類学やら社会学の入門書を読んだりしていますが、そういう現在の私の関心事項はWeb上にはほとんど書いていません。資料集として、ある程度まとまった段階で「ノート」として出せるかもしれませんが、そこまで行かないものがほとんどです。いわば、ネット上世界と現実世界の乖離ですね。
 しかし、せっかく専門の方に見ていただいているならば、現在の関心事を載せていったほうがいいのではなかろうか?(具体的なアドバイスがいただけるのではないか?)という思いもあります。
 いくつかのサイトで「卒論日記」が公開されています。これは見ていておもしろいし、参考になります。未だ卒論テーマは決まっていませんが、こうした方法もあるのかなあ、と思います。

 ところが、Webサイトを全世界に公開している以上、ある程度の責任も出てくるわけです。今回・前回の懇親会で、「責任」という言葉が何人かの方から出ましたが、これは誤りの情報を流さないというような責任ではなく、(的確な表現はできませんが)、自分の発言への研究者としての責任という意味でしょう。そうした場合、未確定の思考を発表することは非常に危険な行為になるでしょう。
 関連して言えば、現在、いくつかの掲示板を利用したWeb上の議論が盛んに行われていますが、私がほとんどそこに参加しないのは、できない(まだ知らないことが多すぎる)という理由もありますが、基本的にはこの理由によるものです。第一線の研究者がなかなか参加しない(※)のも同様の理由によると思われます。

 この問題は「単純日記」公開の是非として、個人名の取り扱い、未発表資料の匿名化などとともに、以前から考えてきた問題ですが、今回、話題になったとなったため、現時点での考えを述べておきます。結論は出ていません。他分野のサイトなども見ながら結論を出したいと思っています。皆様のご意見をいただければと思います。

 ※追記:このような中で、積極的に発言されている数少ない研究者がいるという指摘を忘れていた。南河内のチャットで指摘されていたのに昨日気づいた。こうした方々の存在は大変心強い。しかし、ネット接続者に占める割合が極少ないのは事実である。
  本筋から離れるが、ネット上の議論が完全公開である必要はないと思われる。メールのやり取りは頻繁に行われているのだろうし、参加者限定の掲示板等は考えうるのでは? いや既にあるのかもしれないが。(2/21)


1月21日(日) シンポジウム前期旧石器問題を考える

 佐原真、小田静夫、春成秀爾、岡村道雄、馬場悠男という発表者の顔ぶれ、そして佐原氏も強調していたが、何よりも岡村氏の話が聞けるということで、日本教育会館で開催された文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」考古班主催によるシンポジウム「前期旧石器問題を考える」を聞きに行ってきた。

 小田氏は氏が携わった武蔵野台地の研究をもとに、「前期旧石器」遺跡への疑問点を指摘し、藤村氏が関与した資料は一端考えないで新に研究をすすめるべきだと述べた。
 春成氏は後世の耕作や発掘によってつけられたキズ(ガジリ痕)や剥離面に付着した黒土、筋状の鉄サビなどに注目した。ずっと赤土に埋まっていたはずの石器ならそのようなことはないはずであるが、いくつかの遺跡の石器に認められるということを具体的に遺跡名を挙げて指摘している。
 次に岡村氏だが、今後の検証で白黒のつかない資料をできるだけ減らすことが必要と述べ、その上で捏造の余地のない部分について特に氏が直接関わった馬場壇の例をあげて説明され、大枠は残るという見通しを示した。ただ、レジメでは藤村氏の成果への疑問点も述べられている。
 最後に馬場氏は、考古学界・考古学者の体質を批判した後、更新世人骨と考えられてきた日本各地の出土人骨にも怪しいものがあることを紹介した。

 討論では竹岡俊樹氏も登壇し、層位に頼るのではなく石器を見ればわかるはずだと指摘した。また春成氏の発表に対しては、サビは自然にもできるという菊地強一氏の指摘、層位によるガジリ痕の度合いなどを具体的事例を調べているという小野昭氏の発言、それらを含めきちんとしたデータを出して判断すべきだという岡村氏の指摘があった。
 また河合信和氏はパラダイムシフトは滅多に起こらないものなのだということを自身への反省もをこめて述べられた。
 佐原氏は海外の反響を紹介した後、教科書の記述についても取り上げた。これについては現在のシステムでは全体のチェックが出来ないという指摘がなされた。
 なお最後に、春成氏によって最近話題となっている聖岳の資料について、以前の調査時から出土状況がおかしいという指摘はあるということが述べられた。

 さて、私の感想はというと、まだ具体的な検討が行われていない以上なんとも言えないのだ、という印象をうけた。春成氏の発表は具体的検証でり注目されるが方法はまだ確立しているとはいえないようである。岡村氏にしても直接調査した遺跡以外についてはほとんど述べられなかった。そういう意味では本日のシンポジウムは今後の新たな研究へ出発点でしかないだろう。私としては以前書いたように学術的には今後新たな遺跡をきちんと調査すれば分かって行くだろうと考えているので、検証は必要なのかなど、今後の旧石器研究全体の方向性についてもう少し討論してもらいたかったと思う。だが、全体的にかなり率直に意見が述べられ聞いていて面白いものではあった。
 なお、以上は私のメモをもとにしたもので省略した部分も多いし、誤認の部分があるかもしれない。各氏の経歴その他詳しいことは下記ページ、発表要旨(佐原氏は「発表詳細である」とおっしゃっていたが。)や新聞紙上(ちなみに毎日新聞が後援であった)などで確認されたい。
 日本人および日本文化の起源に関する学際的研究:シンポジウム「前期旧石器問題を考える」
 毎日新聞:藤村氏関与遺跡の再検証 傷、付着物の解明から 旧石器シンポ


1月6日(土) 千葉県某町の埋蔵金発掘
 一昨日の夜、フジテレビ系の「奇跡体験アンビリーバボー」を見た。別にこの番組を普段から見ているわけではないのだが、「戦慄掘ると死ぬ・呪われた埋蔵金・決死の大発掘スペシャル… 伝説の十三塚をついに発見・首なし地蔵と謎の短歌に隠されたメッセージ”掘るのをやめろ…”最新科学で発掘中突然女の霊が…石棺の下に謎の物体ほか」という番組表の文字を見て見ることにした。埋蔵金については昨年『あちゃら』で関連サイトが紹介された際、当サイトの埋蔵文化財法令集も掲載され、「素人の発掘は難しい/出土品は届出が必要」と述べておいた(埋蔵金に興味をもって来てくださった方々へ参照)。だが、テレビなどでどのように取り上げられているかは全然知らなかったので、一応見てみようと思った次第である。
 30分遅れで見たため詳しいことは分からないが(内容については下記番組HP参照)、後継ぎが出来なかった豪族が十三塚に財宝を埋め、そこを掘ると祟りがあるという伝説の場所を探すところからはじまる。そして、千葉県某郡某町でそれらしき場所を発見した。現在は塚はなく畑になっているが、地中レーダーを用いてその場所を探査した結果、人工物と思われる物が埋まっていることが判明した。この付近は古墳が多く、大川清先生も以前付近を調査したという。このため、該地は埋蔵文化財包蔵地に指定されており、発掘には県教委の許可が必要だということがこの時点で知らされる。県教委の示した条件は、「考古学者の指導の下、学術的発掘を行うこと、機械を使わず手作業で行うこと、出土品に関しては手続きをとり、発掘調査書を提出すること(番組HPより)」であった。そして小川和博氏の指導のもと調査が始まった。結果としては古墳の周溝やレーダー探査で反応があったところからは石室が現れたが、遺跡であることが分かったためそれ以上は掘っていない。乱掘を防ぐためであろう、町の名前が伏せられていたのはよいことである。
 ところで、所さんやら関根勤さん、佐藤藍子さんなどは見つかったら土地所有者と発見者とスポンサー(この場合はテレビ局)の山分けだとか、視聴者へプレゼントとか好き勝手なことを言っていたが、これは如何なものだろうか。結局見つからなかったので、なんともいえないが、万一見つかった場合どうなるのか。文化財保護法の規定は、文化財としてきちんと管理出来なければ譲渡されないというものだったような気がするが。発掘許可条件を示した時点で県教委はその辺りも説明していると思うのだが、番組では伏せているのだろう。もっともそんなことよりも見つかるかどうかが先なんだろうが。
 なお、地中レーダー探査の様子は初めて見たが、それが石室発見に有効であることも分かった。
 フジテレビ《奇跡体験アンビリーバーボー》戦慄!掘ると死ぬ!呪われた埋蔵金決死の大発掘スペシャル


1月1日(月) 謹賀新年/縄文学研究室リニューアル
 あけましておめでとうございます。

 昨年は大学という新しい場で、多くのことを学びました。
 このサイトもたくさんの方に見ていただき、私にとっての大きな刺激となっています。
 そして、考古学はいろいろなことを知らなければならないんだと実感した一年でもありました。  本年はより一層勉学に励みたいと思います。皆様よろしくおねがいいたします。

 さて、当サイトは独自ドメインjomongaku.netを取得し、サーバを移転するとともにトップページ以下若干の変更をおこないました。Webサイトガイドやデータ集などもっと充実させなければならないし、他にも、もっと変えようと思っていたのですが、残念ながら21世紀に間に合わせることはできませんでした。今後もこつこつと見直ししていきたいと思います。それに伴い、現在のページ構成が変更する可能性がありますのでご注意ください


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