トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
99年3月まで99年6月まで99年9月まで99年12月まで00年3月まで00年6月まで00年8月まで00年9月まで00年12月まで01年3月まで01年6月まで


9月10日(月) 真脇遺跡にて
 8月25日夜〜9月9日までの2週間、石川県能都町の真脇遺跡の第6次調査に参加することができた。真脇遺跡は1982〜88年に第1次・第2次の調査が行われ、縄文前期〜晩期にいたる全期間の土器が出土し、編年研究に貢献したほか、晩期の環状木柱列(半分のみ調査)や、前期〜中期の大量のイルカ骨、彫刻柱などが出土し、当時の縄文観を大きく塗り替えた。遺跡は1989年に国史跡、出土品の一部は1991年に国重文に指定されている。能都町ではこの遺跡を中心とした周辺の公園整備を計画し、後述の施設を建設したほか、遺跡の整備のための確認調査を98年より実施し、昨年度は板敷土坑墓や木柱痕などが検出されている。今回の調査範囲は昨年度の東側部分である。

 新宿からムーンライトえちごに乗り、早朝に長岡へ。さらに日本海岸を南下し、金沢の直前で能登半島へ。16時間はかかっただろうか。最後のトンネルを抜けると扇状地のど真ん中に「縄文真脇」駅が。正面に調査区が見え、その右側には円柱状の真脇遺跡縄文館、その奥には縄文真脇温泉、さらに真脇ポーレポーレが見える。縄文館へ向かい、担当者の方にご挨拶。しばし館内を見学した。

 真脇遺跡縄文館の展示室は1室。イルカをはじめとする骨類、縄文前期〜中期中葉の土器、木柱痕・木製品、石器・石製品、彫刻柱、装身具など主にイルカ層出土品を中心に並べてあるようだ。私には何か物足りない気がしたが、おそらく時期的に違うものが同じ空間に並んでいるということと、復原模型・遺構平面図などの遺跡の空間的な利用状態を示す展示がない、言い換えれば個々の遺物は興味深いが、遺跡全体の様子は今ひとつ見えないという点であろう。しかし、遺跡全体の僅かな部分しか調査されておらず、遺構の検出も難しい土層の状況を考えれば仕方のないことであろう。だからこそ、3次以降の調査が行われているわけであり、今後の調査に期待したい。なお、廊下部分には速報展示のコーナーがあり、近年の調査成果について遺物や写真・図などを使って説明されている。なお、入口前に「日本漁業発祥の地」の碑。これはちょっと怪しい。

 前半はピットの発掘や遺構精査。調査の成果については正式発表に譲るが、まず排水用の溝と水を吸い出す2台のポンプに驚いた。しかも穴だらけで、すぐに水が溜まってしまう。毎朝水汲みから始まるが、細長いピットは大変である。掘ってる間中湿って気持ち悪い。地面も弱く、うっかり移動もできない。晴れていれば午後には乾く。後半は図面取りであったが、事情は同じ。泥を掻き出さないと下端が計測できない。このような現場は、是川中居遺跡で見てはいたが、実際に掘ってみるのでは印象が大分違う。掘った最初の土の一部は構成比を出すため篩にかけて水洗いし、残りも水洗いして掘り残した遺物を拾うという。かなり徹底した方法である。
 学生は町の施設に泊めて貰うのだが、朝は7時ごろ起き、8時過ぎに出発、夕方6時ごろに宿舎に帰ってくる。ちなみに朝は自炊。昼と夜はご飯に買ってきたおかず。朝食を作って下さった・指示を出して下さった人に感謝。夜は疲れてすぐ寝てしまう。なんと健康的であろうか。

 たまに縄文真脇温泉へ行くこともあった。露天風呂もあり、遺跡やその先の海が見わたせる。なかなかいい湯だったが、あいにく星空の下での湯は楽しめなかった。隣接して真脇遺跡公園。立柱の並んだ縄文劇場や巨大な土面のモニュメントなど。ライトなども各地の縄文土偶などをあしらっている。さらに隣接して縄文をイメージしたユニークな遊具のあるプレイゾーン「加夢加夢ランド」。ちなみに、能都町の施設などの案内板には縄文文様の施文されている。
 このような遺跡をモチーフにした設備は、私としてはとっても好きだ。お土産にできるグッズなども開発して欲しいとも思う。ただ一般の人の反応はどうなのか、気になるところだ。さらに奥には宿泊施設「真脇ポーレポーレ」。値段は高いが、いつかは泊まってみたいと思う。真脇小学校の下には縄文真脇太陽光発電所があり、その電力は公園のライトアップなどに使っているという。砂浜の再生計画などもあるらしい。
 日曜日には宇出津の入り口にある「世界一の縄文土器」を見に行った。高さ4.5mだという。町おこしに作られたものだが、さすがにデカイ。

 帰りは朝7時に真脇を出て、北陸本線で福井・米原を経て東海道線へ。13時間の旅でした。本も読み終えてしまいかなり暇でした。

 期間中は東洋大・富山大・島根大の学生さんと知り合うことができた。作業員のおじさん・おばさんも楽しい人ばかり。もちろん調査員さんも。皆さん、2週間お世話になりました。

 能都町縄文遺跡情報
 能都町ふるさと創生公社真脇ポーレポーレ・真脇遺跡公園・縄文真脇温泉


8月24日(金) 森本和男『遺跡と発掘の社会史』を読んで
 森本和男氏の『遺跡と発掘の社会史』を読んだ。副題に「発掘捏造はなぜ起きたか」とあるが、捏造発覚をうけて執筆されたものではない。だが、本書を通して指摘された文化財行政に関するいくつかの問題点こそ、捏造の社会的背景に重なってくる。1ヶ月ほど前から店頭に並んでいたが、ようやく読む機会を得た。最近あちこちへ出かけてなかなか本を読んだりする時間が取れないのだが、私の関心とも一致し、一気に読んだ。以下簡単な紹介と、若干の感想を述べたい。
 本書では、はじめに文化財保護法の誕生の背景、続いて明日香村、さらに吉野ヶ里・三内丸山の保存問題を取り上げる。続いて、著者の地元である千葉県の事例を交えながら全国の統計資料に基づいて都市部における文化財行政の問題点を指摘している。細かい点は同書を読んでいただくとして、私なりにまとめれば都市部における発掘調査の多さ・関心人口の多さと、それとは正反対の周知・公開の機会の少なさという指摘である。
 それぞれの問題については既に類書があるが、本書を通読して、改めて文化(財)行政の無力さを感じた。考えてみれば、保存運動においても文化財行政はあまり力になっていないように思う上に、これらの遺跡の整備事業すら建設行政を主体に行われている。ここには、文化財行政が、特定の学問だけではない広い視野にたった保存・活用行政という段階に至らず、それ以前の業務に終始している(せざるを得ない)現状があるのだろう。
 こうした事態の打開には、まず住民に文化財の存在を知らせなければならない。都市部にはそのための施設すらないというのが本書の指摘であるが、だからといって悪循環を繰り返していては始まらない。積極的な普及事業が展開されれることを期待したい。

 森本和男 『遺跡と発掘の社会史−発掘捏造はなぜ起きたか』 2001.6.15 彩流社 \1800 ISBN4-88202-696-1


8月22日(水) 南郷村の民俗採訪と是川中居遺跡の見学

8月17日(金) 「天神さまの美術」展
 東京国立博物館で開催中の展覧会「天神さまの美術」を見てきた。来年、菅原道真没後1100年を迎えることを記念して全国の関連寺社や美術館が所蔵する道真・天神信仰ゆかりの品を一堂に集めたものである。なかなか時間が取れず、夕方の3時間ほどしか見られなかったが、興味深く観覧した。
 はじめに、天神縁起絵が展示されていた。絵巻とは違い、屏風などにいくつかの場面を配したものであるが、何分天神縁起のストーリーを知らないので何を表しているのか今ひとつ分からないのが残念であった。本館で子供向けの「天神様ってどんな人」というミニ展示が行われており、そこで絵巻を用いて道真の一生を簡単に説明しているのを先に見ていたのが救いであった。その後、各地の天満宮所蔵の絵巻が並べられ、場面の説明等もあり、さらに帰りに図録を読んで大体の流れを理解した次第である。それでも、各天満宮独自の縁起についてはわからないままである。勉強して来いということか。絵巻も当然ながら全部が見られるわけではなく数巻のうちの1巻で、さらにその一部のみしか見られないというものである。歴博の異界万華鏡ではデジタル技術を用いてあらすじと絵巻の全部が見られるようになっていたがそのような工夫が欲しいところである。ただ、ユーモラスな鬼神たちや各絵巻の細部の違いなど多数集められた縁起絵や絵巻物は見ているだけでも面白いものであった。
 続いて、天神の姿ということで、道真の画像や木像、天神の名号、さらに本地仏という十一面観音や、関連する牛頭天王像などが展示されていた。これらの諸像は、天神信仰がさまざまに展開したしたことを物語る。中でも渡唐天神という一群は、なぜそのような像が発生したのかという点で興味をそそられるものである。
 会場はさらに、各地の天満宮に奉納された品々を展示するコーナーへ続く。ここは狛犬や「天満宮」の額を入り口とし、絵馬や算額を壁に掲げるという粋な空間が演出されており、好感をもった。鏡・鰐口・硯箱・写経・武具などそれ自体は天神と直接関わるものではないが、天満宮がそうした当時の芸術作品が集まる空間であったことを示すものであろう。それは、芸能にもいえることであり、最後のコーナーは天神信仰に関わる和歌・連歌、歌舞伎・能・文楽、さらにはだんじりなどが展示されている。
 この展覧会は「天神さまの美術」とあるように、菅原道真というよりも天神信仰に関わる美術を集めたものであった。「信仰」というテーマで括れるという点で、単に美術品を集めるということ以上の意味を持っているのだろう。人々が天神をどのように考えてそれらの美術品を作ってきたのか、興味深いところである。

 東京国立博物館特別展 天神さまの美術平成13年度こどもミュージアム 「天神さまってどんな人?」


8月12日(日) 長門町原始・古代ロマン体験館・長野県立歴史館企画展「阿久遺跡と縄文人の世界」とけつ状耳飾づくり

8月9日(木) 「相武国の古墳」展

8月5日(日) 出雲合宿日記抄(4) 東寺/まとめ

8月4日(土) 出雲合宿日記抄(3) 出雲大社〜松江市内

8月3日(金) 出雲合宿日記抄(2) 松江〜出雲

八重垣神社(松江市)
 八重垣神社はスサノオとイナダヒメを祀り、縁結びの神として信仰を集めている。本殿にはスサノオとイナダヒメ、イナダヒメの両親のテナヅチとアシナヅチ、アマテラスとスサノオの子イチキシマヒメの壁画が残されていたが、現在は収蔵庫に保管されている。体の部分の多くは残っていないが、顔などは色鮮やかに残っており、平安期における神話のイメージがしのばれる。
 また、神社の奥ある鏡の池は、縁結びの占いの場となっていた。紙に硬貨を乗せ、早く沈むと早く結婚できるという。女の子たちがやっていたがあっという間に沈んだ子もいれば、なかなか沈まない子もいて面白い。

玉造遺跡(玉湯町)
 古代においては朝廷の儀式に使われる玉はみな出雲で作られたという。1つはメノウの産地であるということ、もう1つは記紀の出雲神話に基づく国神の象徴としての出雲という2つの理由が考えられる。
 玉造資料館では隣接する出雲玉造遺跡の出土品を中心に、出雲の玉造遺跡や縄文以来の玉製作のあゆみを簡単に紹介されている。また2階には近代の玉造り関係の資料や付近の焼き物に関する展示がある。
 玉造遺跡は現在公園化されているが、思った以上には整備されていない。気になったのは傾斜のある場所であるということ。平な場所もあり、工房跡はそこに建てられていたようだが、公園の多くの部分は斜面である。
 残念ながら、あまり資料などもなく期待して行ったわりには得るものは少なかったという印象である。

女夫岩遺跡(宍道町)
 大森神社のご神体として信仰をあつめてきた場所で大岩2つが寄り添う格好になっており、その下に数段の石垣が積まれてい。近年、中国横断自動車道尾道松江線の建設によって破壊されかけた。周囲のトレンチ調査が行われ、須恵器・土師器から近世の神酒徳利にいたる遺物が出土し、信仰の歴史を物語った。保存運動の結果、自動車道はトンネル化され保存されることになった。現在県史跡に指定され、見学路が設けられている。
 私としては今回出雲大社とともに、最も行きたかった場所である。信仰の対象である岩の考古学的研究こそ、私が初めて出会った考古学であり、当時の新聞で危機が報じられていてずっと気になっていた遺跡であった。
 実際に行ってみると、想像よりも大きく、険しい印象を受けた。振り返ると自動車道が見えるのは気分を害す。だが、旧来の木の生い茂る山の斜面に厳かに立つ2つの岩は立派である。岩陰の発掘は行われていないようだが、何か埋まっているだろうか。
 人の手のあまり加わらない自然の景観といえども、人間の文化に大きく影響を与えてきたわけであり、そうした対象も文化財としてきちんと守っていかなければならない。その点で、報告書でも指摘されていたように、明確に人工の遺構・遺物が捉えにくい磐座が文化財として認識され、保存されたことは大きな意味をもつ。

加茂岩倉遺跡(加茂町)
 つづく見学地は加茂岩倉遺跡である。有名な遺跡であるが、現地は整備途上である。現在、発見時の状態を表したレプリカが現地に作られているほか、反対側の斜面に展望台が作られている。
 しかし、37℃を越える炎天下でじっくり見ている余裕は無かった。友人による解説中も、記念写真をとるときも、少しでもじっとしていると汗がどっと出てくる。木を植えるなどの配慮が必要であろう。
 なお、加茂岩倉遺跡への入り口、駐車場の傍に「大岩」が存在する。これまた地面に剥き出しの状態で大きな看板がたっているという、あまり美しくない景観を呈しているのであるが、これも磐座の1つであり、「岩倉」という地名の起源となったものである。もっともこの付近にはそうした石が多いということであり、必ずしもこの岩だけが語源ではないらしい。時間があれば見て廻りたいところだが次回にまわそう。

神庭荒神谷遺跡(斐川町)
 本日最後の見学地である。ここは遺跡を中心とした大規模な荒神谷史跡公園として整備されている。出土状況をレプリカで表示するという加茂岩倉の方法を最初に行ったのが荒神谷である。
 遊歩道やハス池などが整備されており、また出雲の原郷館というガイダンス施設もある。展示品はレプリカだが、様子を知ることは可能である。また関連書籍の販売や休憩場もあり、本日まわった遺跡の中では最も快適である。

(8/15記)

8月2日(木) 出雲合宿日記抄(1) 淀江〜松江

旅立ち
 8月1日夜から5日まで、大学のサークルの仲間とともに、夏季合宿として出雲地方を廻ってきた。一行は3年生1人、2年生は私を含め9人、1年生3人の13人である。弥生〜古代の遺跡・神社を中心に、簡単にまとめておく。
 夜8時15分品川発の夜行バスにのり、7時前に米子駅前に到着。頼んであったマイクロバスも来ていたので、妻木晩田遺跡へ向かう。ところが、予想外に近いらしい。20分もせずに淀江町の伯耆風土記の丘についてしまった。資料館や柵の中に復原住居・復原物見櫓などもあるが、もちろん入れない。既に陽射しは強く、バスの疲れもあり、淀江廃寺を見に行く気力もなさそうだった。丘の上の古墳群を見ながら1時間ほど休憩した後、妻木晩田へむかう。

妻木晩田遺跡(鳥取県淀江町・大山町)
 事前にボランティアガイドをお願いしてあった。朝早くからありがたいことである。遺跡は整備の途中だが、妻木山地区と洞ノ原地区が公開されている。妻木山地区は居住域ということで、竪穴住居の位置を砂で表示してある。クローバーを植えてみるなど、いろいろな方法が試されているそうだ。以前まで公開されていた発掘時の住居は霜のために現在見られない状態となっていた。遺跡整備の進行状況についても知らせてもらうと、再び訪れた時の印象もかなり異なるものになるだろう。
 洞ノ原地区は、四隅突出墓群を中心とした墓域が大半を占めるが、ここからの眺めは絶景である。写真や絵葉書など比べ物にならない。眼下に広がる平野、その先の島根半島。しばらく斜面を下ると烽火や物見があったという環濠がめぐらされた部分がある。ここには前方後円墳も存在したという。この景色の美しさは遺跡を理解する上で重要なポイントになるだろう。こうした景色をも遺跡の一部として大事に守っていって欲しいと思う。
 インターネット上でも保存運動が繰り広げられ、保存されることとなった妻木晩田遺跡。私も保存を訴える文章をこのサイトに載せたが、ようやく現地を見ることができた。「広い」ということと洞ノ原地区の景色に感動した。遺跡全体のほんの一部しか見られなかったが、すばらしい遺跡であることは実感した。

島根県立博物館(松江市)
 妻木晩田から境港へ行き、水木しげるロードなどを散策した後、松江に向かう。途中、中海の跳ね橋には感動した。
 島根県博は松江城に県庁などとともに隣接している。最近歴史を主とする博物館にリニューアルしたということであるが、現在、出雲大社の近くに新たな館をつくる準備がすすめられているという。お忙しい中、OBの先輩に解説をしていただくことができた。
 常設展示は1室のみで、あまり大きな博物館とは言えないが、荒神谷の国宝銅剣・銅鐸・銅矛といった青銅器、神原神社古墳の景初3年銘鏡、玉造り関係資料、西谷3号墳の祭儀復原、出雲大社の境内変遷模型群など、「古代出雲」を凝縮したような展示である。
 考古資料、文献資料、神社資料、民俗資料など古代出雲の資料は十分あるはずである。新しい館が楽しみである。

八雲立つ風土記の丘(松江市)
 県博を出て、風土記の丘に向かう。古墳群、神魂神社・八重垣神社、カンナビ山、出雲国庁・国分寺などの古墳時代〜古代の文化財が密集している地域だが、今回は時間の都合で一部のみ見学することができた。
 島根県立八雲風土記の丘資料館はこの地のガイダンス施設であるが、旧石器時代からの島根県の考古資料も展示されている。なかでも有名な平所遺跡の見返り鹿や馬などの埴輪は面白い。

 敷地内には岡田山1号墳などの古墳をはじめ復原家屋などもあるが、岡田山1号墳の鍵をお借りすることができたので、石室を見学した。ここはかなり狭い。何人も入れるというイメージをもっていたが、ここは1人ずつ順番に入った。家形石棺がしっかり残っていたが、狭いと感じたのはそのためかもしれない。
 資料館からこの古墳を見ると、その上方には風土記に神名樋山と出てくる茶臼山が望める。カンナビ山は古代人にとって身近な信仰の山とされている。現地まで行くことはできなかったが、美しい山容を仰ぎ見ただけで満足である。

 つづいて神魂神社へ。大社造としては最古の社殿が残されている。社殿を見る以外には特に何もないが、静かで気持ちのいい空間であった。ここからの茶臼山の眺めも美しい。
(8/7記)


7月31日(火) 夏休みです
 ようやく前期試験もおわり、夏休みがやってきました。
 下記のように、すでに7月後半からいろいろ見て廻っていますが、なかなかまとめられません。

 8月1日夜からは考古学会の合宿で、出雲へ参ります。今回は初心に返って磐座などの祭祀遺跡を見てこようと思います。ついで、8月18日からは民俗学研究会の合宿で青森県南郷村へ参ります。民俗調査ですが、焼畑やオシラサマのお話などを伺えればと思います。さらに8月26日からは能登半島の真脇遺跡での調査に参加させていただく予定です。遺跡自体への興味とともに、他校の学生と会えるのも楽しみです。合間をぬって地元で報告書作りをお手伝いすることになると思います。

 このような予定ですので、更新が滞ることは目に見えております。また掲示板へのレスもあまりできなくなると思います。毎度見に来ていただいている皆様には申し訳ありませんが、ご了承願います。


7月30日(月) 「岡本太郎と縄文」展 附「京都清水寺展」
 東京日本橋の三越で開催中の「岡本太郎と縄文」展、高島屋で開催中の「京都清水寺展」を見に行った。

 会場には彼の作品−絵画・彫刻あわせて約50点と、縄文土器・土偶−約40点が展示されていた。岡本太郎は縄文の美を発見した人物である。それは知っている。彼の作品がどんなものか、それについても、センター入試後に川崎市立岡本太郎美術館を見たので何となくは知っている。ただ、その時の思いは結局「トピックス」としてまとめられなかった。それは彼の中の縄文が私にとってどんな意味を持つのかを考えようとしたためだろう。それは未だによくわからない。
 会場には赤・黒・白・黄といった原色に近い色を用いた色鮮やかな抽象画が展示されていた。何を表しているのかは分からない。しかし、考古学者だって縄文土器の時期的・地域的特徴や文様の書き方はわかっても何を表しているかは分からない。見て、きれいだと思うだけで十分だろう。特にその鮮やかさと、外に向かっての波状・らせん状の動きは印象的である。彫刻にも同様に外へ伸びてゆく動きがある。これらに比べれば縄文土器の動きは内なるものに見えてしまう。
 会場に展示された縄文の出土品はほとんど火炎様式・勝坂様式・曽利様式の土器と遮光器土偶である。これらの土器を岡本太郎が取り上げたのは頷ける。また目に特徴のある遮光器土偶に注目したのも宇宙との交流の穴という彼の言葉を聞けば納得できよう。無論縄文文化はこれらの単一文化ではない、1万年以上の時間的な幅、北海道から沖縄(今やその枠組すら怪しいものだが)という空間的幅の中で、多様に展開していった。それを跡付けるのが考古学の役割であり、考古学的な縄文観である。だが、彼は考古学者ではないし、美術史家でもなく芸術家である。その縄文観は過去を見るものではなく、現在そして未来を見るものであり、自らの創作の源となったものである。私は彼の縄文土器論をきちんと読んだことはないが、引用される文章からにはエネルギーが満ち溢れている。それは縄文を語るのと同時に彼自身のエネルギーを感じさせる。
 考古学の専門家はこうした芸術的観点からの発言を受け止めてこなかった、と図録の中で小林達雄先生は指摘する。私自身、岡本太郎の縄文論を読んでいないので大したことは言えないが、出土品は決して考古学だけのものではない。これについては三内丸山か妻木晩田について書いた際に述べたと思うが、様々な立場の人がそれぞれに利用すること、それが文化財の活用にとって重要なことであろう。しかし、それはただ各自がバラバラに利用すれば良いというわけではあるまい。我々の考古学も所詮自己表現の1つである。現在でこそ意味を持つものであり、互いに刺激を与えあうことでその価値は何倍にもなろう。
 今回の展示で、前述の絵画と彫刻以外で印象に残ったのは縄文土器・土偶の展示法である。すべて背景が赤で統一されていた。少々眩しくも感じたが、それはより美しさを引き立てる工夫であろう。おそらく祭りの際に火をバックとしない限りそのような光景は縄文時代にはありえなかったはずである。きわめて現在的な展示方法である。

 残念ながら時間の都合であまり余韻を感じることなく、高島屋に向かった。
 昨年の本尊開帳を記念して、清水寺の本堂・奥の院の本尊の御前立やそれを囲む二十八部衆像や絵画・書などが出開帳にきている。清水寺には小5の時に行ったきりで、その時は仏像を拝んだ記憶はない。門や堂や舞台や滝は記憶にあるのだが。会場には供物が供えられ、鉦が置かれた薄暗い部屋は、なかなか雰囲気があってよい。賽銭箱まであるのは本来の姿なのかどうか疑問なところではあるが。定型的でない像もいくつかあって面白かった。仏像好きの友達に解説してもらいつつ、きれいとか、面白いなどと評し合いながら進んだが、詳しく語っても仕方ないので省略する。仏像への興味は既にだいぶ失せたが、やはり気持ちいいものである。来週京都へ寄るのでどこぞのお寺にでも行ってこようと思う。

三越:岡本太郎と縄文展
高島屋:京都清水寺展

7月28日(土) (仮)横浜市歴史博物館特別展「甦る環濠集落」
(準備中 進行状況40%)


7月21日(土) (仮)歴博企画展「異界万華鏡」
(準備中 進行状況30%)


7月21日(土) 環状盛土遺構・中央窪地型集落 〜三直貝塚・三輪野山貝塚・草刈堀込遺跡・井野長割遺跡〜
(準備中 進行状況80%)


7月8日(日) (仮)法政大学でのシンポジウム「前期旧石器問題とその背景を考える」
(準備中 進行状況50%)


to 縄文学研究室 トップページへ戻る
Copyright (c) 2001 Nakamura Kousaku
E-mail:info@jomongaku.net