トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
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12月31日(月) 2001年を振り返って

 私も今日で20歳になりました。

 今年を振り返ると、出雲合宿や学園祭での勾玉の展示、美術展の見学など、自分自身はこれまでになく縄文以外の遺跡・資料に接する機会が多く、新鮮に感じることが多かった1年でした。

 また、日本考古学協会総会や考古学技術研究会などの場で、ネット上で知り合った方々と直接お会いできたたのも嬉しかったです。現地の担当の方が当サイトを見ていただいている方だったりすることもありました。

 掲示板に専門研究者から一般の方まで様々な方に書き込みをしていただいたことも、大きな励みになりました。

 最後になりましたが、調査・見学でお世話になった皆さん、ネット上で応援していただいた皆さん、学内外の先生・先輩方や友人たちに感謝したいと思います。

 皆さんありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。


12月24日(月) 雪中の民俗採訪 〜青森県南郷村〜
 授業も終わり、冬休みに入った12月20日から23日まで、夏に引き続き、國學院大學民俗学研究会が青森県南郷村で民俗採訪を行った。私自身は民俗事象を直接考古学資料の解釈に用いようという気はなく、民俗学の方法論に関心があるが、民俗事象自体も興味深いものが多い。ある地区を対象に、分担して生活全般のお話を伺うのだが、今回、私は葬墓制、焼畑、食生活、年中行事に関わるお話を伺った。
 葬式・墓地に関わる民俗とその変化は私の最も関心のあるテーマである。この地区では近年になって一斉に「先祖代々之墓」「○○家之墓」という墓塔に建替えており、夏は墓地に行って一基ずつその建立年のデータを取ったが、今回はそのきっかけ等についての話を伺った。どうやら土葬時の敷地の問題や多数の墓塔の維持の問題が原因と考えられており、そこに住職の勧めがあって広まったということらしい。
 また、現在は葉タバコ栽培が村の基幹産業だが、それ以前は焼畑なども行われていたということで、その具体的方法や、土地の貸し借りなど社会的なお話を伺った。他にも神楽(獅子舞)の話や、オシラサマやイタコ・カカサマと呼ばれる民間宗教者といった信仰に関するお話など興味深いお話も伺った。ただ、勉強不足の面もあり、うまく話を引き出せなかったことは残念である。
 雪や寒さはあまり凄いものではなかったが、3日目に雪の降る中、何時間も歩き廻ったのはこたえた。家に入れて頂き、お話を聞かせていただいた方々に感謝したい。


12月16日(日) 聖徳太子展

12月8日(土) 國學院大學学術フロンティア事業シンポジウム「画像資料と近代生活誌」

12月4日(火) 縄文集落論の課題 〜シンポジウム「縄文時代集落研究の現段階」〜
 1日・2日の両日、横浜市本郷台の県立地球市民かながわプラザホールで開催された縄文時代文化研究会初の研究集会を聞きに行ってきた。

 雑誌『縄文時代』、とりわけ、縄文時代文化の研究史をまとめた大部の第10号の刊行で第1回尖石縄文文化賞を受賞した同会の、受賞記念イベントである。そのために『列島における縄文時代集落の諸様相』という資料集が用意された。単なる平面図集ではなく、むしろ文章が主で、各地域の集落の様相が分かりやすく解説されており、今後の基礎資料としての意義は大きい。
 発表の方は、初日に大沼忠春氏、相原淳一氏、石井寛氏、櫛原功一氏、大野薫氏、水ノ江和同氏によって地方別の発表が行われ、東日本と西日本の差を改めて考えさせられた。
 また2日目は、環状集落の評価、同時存在住居の認定をめぐって山本暉久氏、谷口康浩氏、黒尾和久氏、土井義夫氏の発表が行われ、その後の2時間にわたって討論が行われた。特に何か結論を出そうという趣旨ではなく、それぞれの考え方を述べ合うというものであった。 それはそれで各氏の考え方の違いがよくわかり、興味深いものであった。
 また、環状集落に関連して小島朋夏氏による列状集落、江原英氏による環状盛土遺構の発表も行われた。

 全般的には興味深いものであったが、テーマの設定方法に関しては若干の疑問が残る。
 山本暉久氏は発表要旨の末尾で、関東で行われている議論とリンクせずに三内丸山や南九州の議論が進んでいることを疑問視されている。それならばテーマを環状集落と限定せずに、集落の規模・存続期間・構造の評価、つまりその性格や計画性の有無などとすることで、関東の中期を中心とした議論をより全国的な話題へと普遍化できたのではなかろうか。列状集落もその外観を除けば、評価を巡っては環状集落と同様の論点を有しているはずである。
 「関東に比す資料を持たない地域の研究者はどうすればよいのか」という最後の会場からの声は印象深い。


11月18日(日) 渋谷区立松濤美術館「眼の革命 発見された日本美術」

11月4日(日) 足もとの石器 〜第11回足もとに眠る歴史展「石器のライフヒストリー」〜
 東海大学のキャンパス関係の調査を行っている東海大学校地内遺跡調査団の調査・研究の成果を展示する「足もとに眠る歴史」展が、東海大学の建学祭にあわせ開催されている。第11回の今回は「石器のライフ・ヒストリー 〜道具の一生から人々の行動をさぐる〜」と題して、報告書刊行に向けて整理中の王子ノ台遺跡の石器を取り上げている。
 はじめに、石器ごとの石材利用率が示され、近辺の酒匂川、金目川、相模川で採取された石材が展示されている。つづいて石器ごとの展示。共通の観点として調達-製作-使用-廃棄/再生転用と、シファーのライフヒストリーモデルが用いられているほか、石皿では分割後の行方、磨石では比熱後の再利用、打製石斧では使い捨て、石錘では民具との比較などとそれぞれ独自の特徴・問題点が提示されている。さらに石鏃・砥石・磨製石斧・石棒類とつづくが、磨製石斧の製作遺跡である山北町尾崎遺跡、大形石棒の製作遺跡である南足柄市塚田遺跡の資料も展示され、流通の問題を考えさせられた。黒曜石を除くと他の石器の石材の殆どが遠くて多摩川、多くは県内産であるのに対し、定角式磨製石斧の原料である蛇紋岩や小形石棒類の原料である緑泥片岩の産地は埼玉県の荒川上流域だという。
 小さい展示室に石ばかりであるが、中身はかなり濃いものである。シファーの理論はよく知らないし、石器自体あまり興味のなかった私であるが、石器研究の視点やその面白さの一端を知りえたように思う。また、器種の石材による違いや産地の遠近など石材の重要性も実感できた。

 東海大学キャンパス・グラフィティNo.49 石器のライフ・ヒストリー


11月3日(土) 文化の日3館めぐり 〜東大・港区・そごう〜
 久しぶりの2連休、文化の日ということもあって東京・横浜の博物館・美術館3館をまわった。

東京大学総合研究博物館「真と贋のはざま −デュシャンから遺伝子まで−」
 はじめに東京大学総合研究博物館。大学の博物館にしては珍しく月曜休館、日祝開館である。本郷三丁目から歩いて赤門をくぐって大学隅にある博物館へ。ここでは特別展として、東京大学コレクション12「真と贋のはざま −デュシャンから遺伝子まで−」が開催されている。上高森の「旧石器」が展示されていると聞いて出かけていったが、そんなことよりも全体として面白いものであった。
 オリジナルとコピーの問題を扱っているが、様々な目的で行われる模写・模造・複製から偽造・捏造にいたるコピーの意味とそれらに対する「本物」の意味について、古今東西の資料を用いて問い掛けてくる。なかかな難しい。さすが東大というべきか。おまけに解説書は特価で5000円もするのでその場では買えない。Web上の解説も英文である。少ししか理解できていないだろうと思う。
 そこで、展示された考古学的資料の紹介に逃げよう。入り口付近には、小金井良精の銅像が3つ。なぜ3つ作られたのか、からコピーの意味を問う。しばらく行くと美術の技術としてのコピー作り。ここに弥生町出土の弥生土器がこれまた3つ。本物、現状を残すためのレプリカ、その未彩色のものである。中南米の金属製品の模造もある。またしばらく行けば教育・研究用のコピーのコーナー。ここに石器群が展示されている。中身は本物の遺跡出土の旧石器、それをもとにして現代作られた「石器」、樹脂を使って作られたレプリカで、混在して置かれている。樹脂製を除けば数千年・数万年後には同じ「石器」として扱われるだろうという。つづいて実験考古学で作られた石器と製作時に出る石屑。数万年間、人間は同じような石器を作ってきた。これはコピーである、という。それを研究者が研究のためにコピーする。さらに、歴博所蔵の上高森「遺跡」の「旧石器」が並べられるが、これは全く別の意味を持つ。さらに土器の過剰「復元」の例。キャプションに「考古学者の想像力=創造力に脱帽する」などと書かれていたように思う。

港区立港郷土資料館「いろ・COLORな話」
 つづいて港区へ向かう。ただし地下鉄車内でうとうとしてしまい、2回寝過ごしてようやく三田へ。港郷土資料館は駅からすぐの区立図書館4階にある。「いろ・COLOR(いろいろ)な話」と題して、色の持つ意味について考古学・民族学・民俗学の視点から探る。幸い展示解説をしていただき、より展示意図をよく知ることができた。
 はじめに「赤」について考古学的にみる。赤彩のある土器につづき、京都や江戸出土瓦などを展示し、「赤」あるいは「金」の政治的意味を示す。そして江戸後期の下級武士宅跡出土の内職用と思われるベンガラ作りのセットや一般庶民の漆器から「赤」の大衆化が示される。
 詳細は略すが、次のコーナーは仮面を通じて東南アジア各国における色の意味を探る。さらに民俗学的に喪服の色の変化と都市化との関係を探るコーナーへといたる。また、普段も触れるコーナーである第二室は実際の体験・体感を通して色のイメージを考えるコーナーとなっている。
 かつて「白」の持つイメージについて民俗学の本を用いて短文を書いたことがある。おそらく高2の国語の教師と聖なる色について話をした時のものだろう。また、縄文人が赤と黒を、あるいはヒスイの緑を重視した、という話もあったように思う。以来「色」も面白いテーマだとは思ってきたが、それをテーマとした研究には接していなかった。今回の展示で色と政治権力、あるいは思想と色、都市化、と色をめぐっていろいろテーマを設定できることを知った。私もいつか色という視点で何かをみてみたい。

そごう美術館「弘法大師空海と高野山の秘宝」
 仏教美術については最近再びぽつぽつと見に行くようになったもので、その知識もかつて考古学にはまる以前に得た程度である。従って、高野山に眠る膨大な資料の中で、高野山の学芸員によってその価値が明らかになった未指定の文化財、と言われてもピンとは来ない。弘法大師像、境内図、曼荼羅、仏像、仏画、法具、灌頂道具など多数の品物は美しく、見ていて飽きないし、心や頭が休まる。3館もまわるとさすがに疲れてくるし、思い出して書くのも疲れてくるので本日はこれでおしまい。

 東京大学総合研究博物館
 そごう美術館:弘法大師空海と高野山の秘宝展


10月28日(日) 歴博「何がわかるか、社寺境内図」

10月21日(日) 考古学を展示する 〜東村山ふるさと歴史館「さわれる展示 考古学ってなに?」〜

 吉野ヶ里・三内丸山・奈良の古墳群、そして前期旧石器。遺跡・遺物・遺構の「新発見」が連日のように新聞紙上を飾ってきた。こうした発見は日本人の起源や邪馬台国と結びつき、「新発見=考古学」「考古学といえば邪馬台国」のようなイメージが一般に浸透しつつあるのではなかろうか。しかし、考古学とはそうして「発見」された資料を使って研究する学問であり、地道な調査と分析が考古学の正体である。まだまだ未解明の部分は多く、新たな視点で資料を見直す必要もある。
 一般の人の考古学に対する過大な期待を避けるためにも、現状のまま遺跡を保存する意味を知ってもらうためにも、考古学とはどのような学問か、何をどのように扱う学問なのか、多くの人に知ってもらうことが必要である。
 この点に関し、7月に法政大で行われた前期旧石器問題のシンポジウムで笹川教授は「考古学リテラシー」という考え方を述べられた。また、学校教育の事例としては10月に群馬で行われたシンポジウムで、教育へ積極的に関わっているイギリス考古学評議会やイギリスの学校の事例や、その影響を受けた群馬県内の学校での実践例が報告されている。
 博物館という生涯学習施設においても同様の役割を果たす必要があるだろう。今回の特別展は、考古学という学問そのものについて実物を通して体感して頂こうというものである。

 以上は、今期受講している博物館実習の課題(特別展の企画を考える)の「趣旨」の部分として用意しているものである。ところが実際に発掘調査から報告書刊行までの過程と、その成果である「復元された縄文時代」についての企画展が東京都東村山市の東村山ふるさと歴史館ではじまったというので見に行った。突然の訪問にも関わらず担当の方が親切に応対してくださった。感謝したい。

 「さわれる展示 考古学ってなに? −土の中にねむる昔のくらし−」と題して10月16日から来年の5月26日まで開催される。考古部門で実際にさわれる展示をしようとしても貴重な資料をさわらせることは難しい。そこで調査の様子を展示することにしたという。はじめに市内の遺跡の分布図があるが、航空写真で示されており家や学校の近くに遺跡があれば身近に感じてもらえるだろう。特別展示室に入ると「考古学のきほん」のコーナー。これは文字で説明されている。新聞紙を例に層位学が説かれているのは面白いが、説明文を読んでもらえるかは疑問である。一連の流れを発掘すごろくという形で示しているのも同様でアイディアは楽しいが、もう少しイラストを活用すべきであろう。中央部には住居跡の発掘現場の様子が再現され、レベルやカメラ、ジョレン・エンピが使えるようになっていたり、セクション図や遺物微細図が取れるようになっている。壁には注記・接合・拓本(乾拓)・トレース・顕微鏡観察のコーナーがある。ここも説明は文字であるが、隣にイラストが示されており、イラストだけでもそれなりに作業の意味はわかるようになっている。
 住居跡の半分は職員手作りの縄文住居の復元である。毛皮に座ったり、石皿で木の実を磨り潰したりすることができる。壁面の展示ケース内では下宅部遺跡出土の動植物やその他各地出土の資料で縄文時代の食について解説しているほか、土偶やアクセサリーに関しても紹介されている。日本の代表的土偶5つの写真をあげ人気投票を行ったり、アンケートに「縄文人への質問」という欄を設けたりもしている。
 私から見ればよくやってくれたと思う展示で、いろいろ楽しませてもらったが、いくつか気になる部分もあった。歴史館には何回も来ているという小学校3年生と5年生の女の子の様子を見ていると、縄文の施文体験にしても、トレースにしても、その意味についてはいまひとつ理解されていないようだった。せめて傍で解説してあげれば少しは分かってくれるのではないか。この点は担当者も最大の課題と認めていたが、今のところ職員が少なく難しいという。また、解説・用具の名前・「やってみよう」の表示など全体的に文字が多いように思われる。イラストや解説シートなどで代用できないだろうか。
 とはいえ、思った以上に子どもたちは触っていて、面白いと言っていたのは私もうれしい。まだ始まったばかりで、反応を見ながら変えていくということだったので、ぜひまた見に行きたいと思う。

 なお、東村山市では水場遺構や木材などの有機物が多数残っている下宅部遺跡の調査が行われている。その一部は遺跡公園として保存されることになっているが、その整備案についてワークショップという形で市民の意見を取り入れているというのを知った。歴史館で頂いた「ニュース」を読むと活発に議論が交わされていることがわかる。こうした取組みも上記の趣旨に沿うものであり、興味深い。

 東村山ふるさと歴史館企画展「考古学ってなに? ―土の中の昔のくらし―」


10月20日(土) 2考研講演会「動作と作法の考古学」

 國學院大學第2部考古学研究会の主催で、同会OBの小川岳人氏(かながわ考古学財団)の講演会「動作と作法の考古学−縄文中期の屋内空間−」が開催された。講演は『神奈川考古』に発表された論文をもとにしたお話で、資料の追加や、新たに時期的な違いについても述べられたという。あいにく私は所用で講演会は最後の部分しか参加できなかったが、懇親会にお邪魔することができた。ここでは氏の方法論や今後の見通しなどについてお聞きした。内容はここでは触れないが、興味深いものであり、将来、論文として発表されることを期待したい。


10月14日(日) 国際シンポジウム−埋蔵文化財と学校教育−

 伊勢崎市で開催された、群馬県埋蔵文化財調査事業団(以下事業団)主催の「国際シンポジウム−埋蔵文化財と学校教育−」を聞きに行ってきた。

 群馬県では、事業団在職経験のある教員・教員経験のある事業団職員などを中心に、埋蔵文化財を学校教育に活用する動きが盛んであり、午前中はそうした県内の小学校〜高校での実践例が報告された。
 横山千晶氏は、小学校4年生の社会「ごみとすみよいくらし」での実践例を報告した。はじめに現在のゴミ、続いて縄文住居の出土品を調べる。さらに、未来の考古学者になったつもりで、有機物は腐ることを想定しながら両者の比較を行う。これで現在の包装が多いというゴミの特徴を発見したり、ゴミを減らしたいと感想で述べたりしたという(註1)。ただ、これだけで終わらせるのは勿体無い。「なぜ違うのか」「旧石器時代から現代までゴミはどのように変化してきたのか」というような問題については歴史の時間にでもやってみてほしいと思う。
 つづいて、鎌田文子氏の報告は中学校の目の前で行われた発掘調査を活かした事例であった。事業団の「教材開発研究員」というものに応募して、理科の「大地のつくり」の単元で、土層断面の見学、さらに発掘も行った。この制度も興味深いが、理科で使うのも面白い。直接言及はされなかったが、歴史の勉強にもなったことは疑いない。
 鹿田雄三氏は、高校周辺の史跡を歩く「歴史強歩会」の事例を紹介した。分布調査の経験をいかしたものだが、学校全体の行事というのはすごい。得るものはもちろん史跡の知識だけでない。「毎日見ている風景を深化させる」ことができるという。かつて、小学校の周りの史跡を歩き、毎日の登下校の途中の上り下りの坂が実は中世館の堀の跡だと知った時(註2)の感動を思い出した。私がこの道に興味をもったきっかけである。
 事業団職員による発表もある。桜岡正信氏は、いわゆる出前授業の例を紹介した。「実物」と「専門家の話」が子どもたちに感動を与えるが、その感動をどう料理するかは教師の仕事であるという。特に興味をもったのは、土器作りは単に真似するのではなく、目的を考えそれに沿った器形・施文を考えてもらうことで、縄文人の気持ちを体験してもらうべきだ、というお話。体験するならできる限り当時のように、と考えていた私にとっては全く新鮮な考え方であった。
 同じく事業団の関俊明氏は、もともと技術科の先生であり、桜町遺跡の復元高床建物の模型を使った事例を発表された。実際に模型を持ち込み、解説しながら解体していった。渡腮仕口・貫穴など、本で見て知ってはいるが実際にどの部分にどう使われているか、全体の構造をみながら説明されると良く分かる。授業を受けていたような気分である。私ももう少し小さいものが欲しい。
 関口めぐみ氏は、小学校5・6年生の総合学習での竪穴づくりについて報告された。1年間という広い時間幅、現在進行形の活動であること、そして事業団職員や地域住民を含めたチームティーチングという形態は興味深い。またこの共通体験と並行して、個人個人の課題を設け、それを調べるというのも総合学習ならではのもので、両者の相乗成果が期待される。
 最後に、総合学科高校である吉井高校の手島仁氏は同校のユニークなカリキュラムについて発表された。「地域に根ざした学校」を改革の柱の1つとし、学校設定科目として「群馬を創造する系列」を設置する。この系列には「群馬学入門」などが開講されるが、「群馬の歴史」という科目では事業団・歴博・文書館職員を講師として招くという。また、これらの科目は地域の住民にも開放されているという。

 午後は、講演とディスカッション。青柳正規氏(東大教授・事業団理事)に続き、英国考古学評議会(CBA)教育担当のドン・ヘンソン氏が「イギリスにおける考古学教育とCBAの役割」と題した講演を行った。政府の重視する「生活水準・環境保護・維持」に人・地域・時間を研究する考古学が活かせるというお話や、考古学の、過去について学ぶ側面から好奇心やアイデンティティが、過去から学ぶ側面から人類愛や文化の多様性の理解が、成果を利用するという側面から自己表現や観光が、考古学の手法を学ぶ側面から他への応用や活発なコミュニティが、それぞれ生じるというお話は、教育に限らず、考古学の現代的意義を考える上で重要な指摘であった。
 続いて、オックスフォードグレートワースの小学校校長でarchaeologistでもあるスティーブ・ワス氏の講演。氏は、数学で測量、体育でローマ時代の戦車レース、音楽で古い楽器、といったように様々な科目に考古学を取り入れた授業を行っている。ただ知識を得るだけでなく、感情までも追体験して欲しいというのが氏の姿勢である。
 最後に、伊藤純郎氏(筑波大学教授)が、教育学の立場から新指導要領におけるモノ志向・地域志向について解説され、さらに学校教育における考古学・埋蔵文化財の利用の性格分類(考古学そのもの/成果を他科目に活かす/考古学の手法を活かす/総合学習の中で取り組む)、考古学・埋文側への提案(もっと発信せよ、収蔵庫で眠る資料を開放せよ、体験は、子どもの勝手でやらせてみよ)、逆に教員への提案(もっと勉強せよ、専門家と協調せよ、先史・社会科の枠にこだわるな)を行い全体をまとめられた。
 この後ディスカッションがあったが、省略。

 午後の部は理論的には興味深かったが、個人的には、先生の意図と子どもたちの反応の両方が伺えた点で、午前の部の方が面白かった。全体を通して最も感心したのが、社会科・歴史の枠に留まらない考古学・埋蔵文化財を利用した授業の実践報告である。埋蔵文化財が考古学・歴史学だけのものでなく、芸術、観光、信仰などなど様々な目的をもって然るべきだということは、このトピックスで何度か書いたことがあるし、考古学そのものが様々な分野の力を得て資料を解釈しているのだから当然のことではあるが、実際に教育の場で多様に展開していることを実感できたのは嬉しいことである。

 また、シンポジウム終了後、以前より体験学習をめぐってEternal Orbiters +αの掲示板を中心に議論したorbit、arch、当サイトの掲示板にも情報を寄せてくださる「五流研究者」の3氏とお話することができたのも幸いであった。考古学の「研究者」のあり方について話題となったがここでは省略させていただく。

註1:この事例については既にArch.LABOで紹介されている。なお、使われた出土品は報告書に載らなかった遺物だという。
註2:最近は異説がある


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