トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
99年3月まで


6月30日(水) Netscape Communicatorを利用されている方へ
 ここじばらく、Netscape Communicator(以下NC)を利用して、当サイトをご覧頂くと、なんとサブディレクトリ中のファイルが全て黒地になってしまっていたようです。
 これはスタイルシートファイル(css.css)の設定のミスによるものです。背景ファイルを指定する際、IEでは相対パスで大丈夫なのですが、NCではサブディレクトリの中だと絶対パスで指定しないときちんと参照されないようです。しかしそうするとローカルでは表示できませんので、ローカル用は別の指定をしていましたのです。そして、一斉に更新した際一緒にアップしてしまったのでしょう。申し訳ございませんでした。
 折角来ていただいたのに、まことに申し訳ありませんでした。

 それにしてもIEとNCの違いは何とかならないのでしょうか。機能やデザインの違いは大いに結構です。しかし、Webページ自体の見え方が違うというのは制作者としてはかなり不満です。
 特にNCはスタイルシートにうまく対応していないようです。例えば各ページのヘッダ・フッタの境の水平線には色を指定しるのです。その他にも、NCでは見えないような指定がいくつかあります。

 なお、当サイトに来ていただくブラウザは8:2でIEが優勢です。私も最近はもっぱらIEを利用しています。最大の理由は起動時間があまりにも遅いことです。しかし、保存機能、印刷機能、編集機能、ブックマーク、ソース表示機能、画像の場所をコピーする機能などなどブラウザとしての使いやすさから言えばNCの方が良いと思っています。もっと軽くて性能の良いブラウザ出ないでしょうか。


6月24日(木) 「Webサイトガイド」更新
 ここ数日Webサイトガイドの手直しに追われていました。あのページは御承知の通り(かどうかは分かりませんが)、一応縄文サイトの紹介がメインです。しかし、「考古学サイト」としておすすめできるページはいくつもあります。それらは当初からジャンルを分けて紹介していこうと思っていましたが、なかなかできません。
 ところで、今月になって日本考古学協会・arc-net・高知の縄文探訪・宮崎モグラ通信など考古学サイトの新設が相次ぎ、一方では都埋文セ公認私設ページや飛鳥資料館などの大きなサイトからリンクを張っていただきました。
 これらを無視するわけにはいきません。とりあえず相互リンクのページを先に修正して公開しましたが、Webサイトガイド本体の方はなかなかできません。少しでも早く公開したいので、予定を変更して、とりあえずできた部分だけ公開することにしました。
 結局今回は「個人のサイト」を独立させ、「新着情報」と「縄文−西日本」を新設した程度の変更になってしまいました。
 また、リンクのチェックも一通り行い、URLの修正・変更・削除を行いました。それにしても、リンク切れの多かったこと。関係の皆様にはお詫び申し上げます。(6/29修正)


6月22日(火) 新発見考古速報展 発掘された日本列島'99
 今日の2校時−英語の授業中に「見に行こう!」と思い立ち、放課後すぐ、江戸東京博物館へ向かった。予定通り4時頃には両国へつくことができたが、久しぶりに訪れた巨大な建物に圧倒されてしまった。
 新発見の考古資料の全国巡回展示であるこの企画も、5年目に入り、今回から東京会場が東博から江戸東京博物館に変わった。ここは平日は6時まで開館しているので、平日でも安心して見に行くことができる。しかし、雨の平日の夕方でもあり見学者は少なく、ただでさえ大きな建物なのでとても広く感じた。

 今回は、47遺跡から約250件の資料が出品されたが、ここでは、私が興味を持ったものについていくつか紹介したい。
 まず、奥羽山脈を隔てた山形と宮崎の旧石器の接合資料(袖原3遺跡・中島山遺跡)。この時代にも交流があったということ自体については別に驚くに値しないだろうが、10万年前の小さな石器同志がくっつくことの驚き、そしてそれに気付いた人への尊敬の念を隠せない。
 次に縄文の家の模型(栄浜1遺跡)。意外に大きいというのが第一印象で、家という見方には異論はない。類例が今後出てくるのかどうかは分からないが、何の目的でつくられたのかという所が多いに気になる資料である。家といえば弥生の家形高杯(片保田東原遺跡)も当時の建物の構造がリアルに描かれていておもしろかった。
 赤黒の彩文が施された浅鉢(高崎情報団地U遺跡)は、実際に見るまで気に留めていなかったものだが、関東の中期でこのようなきれいな土器が作られていたことに驚いた。しかも亀ヶ岡土器のイメージに比べかなり大きいというのも印象的である。
 三ノ耕地遺跡の動物形土製品・土偶・手燭形土器・石剣・耳飾などは水場の性格を考える上で貴重な資料であろう。ただ、イノシシ形土製品という資料が2点展示はその場ではどうして猪といえるのか良く分からなかった。家に帰って図録を見直してみてそれらしい特徴があるのが分かったが、よくよく見ないと会場では認識できないことが思い知らされた感じがした。
 聖石遺跡の環状集落からは深鉢土器・石棒・ヒスイペンダント・勝坂土偶が出展された。縄文の宝庫といわれながらも開発が少なく大きな発掘がされなかった八ヶ岳山麓で、台地全体の調査が行われたわけだ。そういえば展示解説にも図録にも調査原因・調査期間・調査機関が記されていない。通常の遺跡解説には必ず記載されている情報が無いのはどういう訳だろうか。資料だけ見ていればいいというものではないだろうに。
 晩期の木製鍬(居徳遺跡群)も展示されていた。弥生の農具は何度も見ているが、縄文の農具は今回初めて見た。また、西日本の漆器も初めてである。
 弥生時代に入ると、まず丹後の青ガラス釧(大風呂南墳墓群)の美しさに目を奪われた。古い時代の考古資料には「青」の色彩は珍しいのではないだろうか。
 また、最小の銅鐸(下鈎遺跡)もおもしろい。隣に最大の銅鐸の復元品が置かれていたが、距離的には近い両者の対比すると大きさの差に驚く。
 古墳時代では、黒塚古墳の鏡が騒がれていたが、私はあまり興味を持たなかった。細かい違いが分からないので、どれも同じようにみえてしまうのだ。
 明ヶ島5号墳の形代である。人・臼・武具などの中で、私が興味を引いたのは武人像である。太刀・矢入れを背負うリアルな姿に感動した。
 古代では、富本銭に触れない訳にはいくまい。貨幣史を書き換える大きな発見として授業でも取り上げられたもので、解説などでは今回の展示の目玉のように扱われていたが、実際に展示されていたのはたった3点。他に鋳竿と金・銀片が少々。もうすこし扱いを大きくしても良かったと思う。
 その他にも興味深い資料はいくつかあるが、ここでは省略する。

 この企画も5年目を迎えた。上高森・三内丸山・上野原・原ノ辻・上淀廃寺・柳の御所・今小路西・新橋停車場という大きな遺跡の資料が展示された第1回に比べれば、比較的地味な展示が続いてきたように思える。しかし、全国でさまざまな考古学関係の展示が行われているが、私はほとんどは見に行くことができないので、気になるものは図録を送ってもらうことにいている。しかし、図録に載るのは一方向からの写真だけである。今回の展示を見て実感したのはまず「大きさ」である。石斧・家模型・土器・鏡などイメージと大きく異なるものが数多くあった。仮に図録にサイズが記されていても実際に見るのにはかなわないだろう。写真と色が微妙に異なる場合もある。或いは裏から見るのもおもしろい。理想は実際に触れて見ることだが、まず実物を見ることが大切なので、話題となった資料をこの目で見ることができるこの企画は大きな意義を持つと思う。

 余談だが、図録5年分を並べてみて気付いたことがある。98年までは「発掘された日本列島 '9X新発見考古速報」なのに99年版は「発掘された日本列島'99 新発見考古速報」となっていた。表紙のデザインも値段も変わったので別に気にすることではないのかもしれないが、気になったので少し調べてみた。まずリーフレットは97年から「発掘された日本列島'9X」となっていた。朝日新聞の紹介記事も同様である。ただ、図録の奥付けは変わっていない。また「新発見−」と「発掘された−」はどちらが先なのだろうか? 結局名称にはあまりこだわってないのだろう。

 追記:6月28日、考古学のおやつの白井さんから次のようなご指摘をいただきました。
 この部分,いくつか事情があります。展覧会名と図録の書名が同じではないのです。先ほどの奥付を見てください。上の方の展覧会名は「発掘された日本列島'99−新発見考古速報展」 下の方の書名は「発掘された日本列島 '99新発見考古速報」 区切り方も違いますし,「展」字の有無も違います。
 これは1999年の場合ですが,もともと展覧会名は「新発見考古速報展」だけで,確か1997年から展覧会名も「発掘された日本列島」がつくようになったのです。その結果,展覧会名が書名に近づいたものの,全く同じにはならなかった,というわけです。
 ですから,展覧会名と書名を混同して論議してもしかたがないのです。といっても,この両者を区別する,というやり方自体がかなり奇妙なのであり,多くの人には(私にも)理解しがたいのですが。

 この件については,朝日新聞の人と話をしたことがありましたが,決してそんないい加減ではありません。「展覧会名はそうかも知れないが,うちが出してる本の名前はこれでいいんです」と力強く言っていました。
 「余談」はトピックスのタイトルをつけるのに展示の名称は何かということで迷ったことがきっかけとし、今までのシリーズで展示会名・書名が違っていたことについてのちょっとした驚きを書いたものです。これについて担当の方のコメントを知ることができ、うれしく思います。どうもありがとうございました。(99/6/29)

 関連サイト:東京都江戸東京博物館「企画展」 同館の紹介と、本展示の概要


5月22日(土) 大学における考古学講座情報
 部活最後の試合・下級生のアドバイス・中間テストなどであっという間に1ヶ月が経とうとしています。気がつけば4月30日以降更新していませんでした。その間も毎日平均20人もの方が見にきてくださっていたようです。本当にありがとうございます。

 私も高校3年生。いわゆる受験生です。当然考古学系の大学に進もうと思っていますが、世の中の受験ガイドには考古学ができるかどうかということさえ載っていないものがたくさんあります。さらに考古学といっても日本と外国、旧石器から近代までいろいろ分野があります。私は市の文化財担当の皆さんからお話を聞いたりしてかなり絞りましたが、他にもあるのかなという気もしないではありませんでした。

 そんなことを考えている時、日本考古学協会のサイトを知りました。ここには「大学における考古学関係講義一覧」というページがあります。まず驚いたのが多くの大学で講義があることです。しかもほとんどは概論ばかり。そんな中では専攻のあるような大学は一発で分かります。しかし、やはり縄文のできる大学は少ないようです。教員の名前を見て知っている人が多い大学は結局当初考えていた大学と同じでした。つまり、これらの大学が志望校となる訳です。
 しかし、このページは大学によって詳しさが違うんですね。ただ演習1・演習2などと書いてあって、何をするか分からない大学が多すぎます。結局教員名で推察するほかありません。でも私は縄文研究者の一部しか知りません。

 私が大学についてネット上で一番手に入れたい情報は講義概要ですね。実際にどんな授業があるかを見るものですが、一度入ってしまったらその大学内でしか選びようが無いですから今のうちに見たいですね。早稲田大学では公開されているようですが他はどうなのでしょうか?

 考古学研究室のページも西日本の大学ではいくつかあるようですが、東日本にはほとんど無いですね。この期にWebサイトガイドに「考古学関係大学情報」のページを作ろうと思ったのですが無理ですね。

 私のような受験生は他には居ないのでしょうか。大学の出しているパンフ以上のことしか掲載されていないことが多くあります。受験生用にもっと詳しい情報を提供してくれる大学が増えることを望みます。

 追伸:おすすめの大学をご教示ください。メール
     条件 縄文ができる所 本が多い所 国語・日本史・英語で受験できる所


4月30日(金) 特別展観 平成11年度新指定国宝・重要文化財
 今日は社会見学(遠足)でした。高校3年になっても遠足って有るんですね。まあその中身はどうでもいいんですが、行き先が上野だったため、帰りに東博によってみました。

 そこでは、思いがけず「国宝・五重塔復興支援 女人高野室生寺のみ仏たち」という特別展がやっていました。高校生料金で600円。少し高いので一度は払い戻してもらいましたが、復興の手助けになればということで見学しました。案の定展示されていたのは8点の仏像(うち1点は十二神将)・光背と、少な目であったが、久しぶりに仏像をじっくり拝観することができた。復興支援の展示というは東博では初めてということであったが、江戸時代の出開帳を思わせる。

 さて、2階へあがってみるとこれまた思いがけない展示が行われていた。新指定文化財の特別展示である。つまり、17日のトピックスで取り上げた、笹山・一ノ沢・川原田の出土品などである。なんといっても会場の真正面に展示された最大級の火焔形土器(笹山遺跡・国宝)は素晴らしい。写真で何度もみても分からなかった細かい所をじっくりと観察すると、笹山遺跡の他の火焔形土器との相違点なども分かってきておもしろい。また口縁部が火焔形土器と同じ特徴をもつ深鉢も展示されていて、その造形の本質的なものが多少分かったような気がするなど、実物を何度も見ることの面白さを改めて思い知らされた。

 重文に指定された山梨県一ノ沢遺跡出土品はすぐに「蛇」が目に飛び込んできた。展示された土器のほとんどに蛇体文が施されていたがリアルなものから抽象的なものまでさまざまである。山梨は蛇体文を持つ文化圏の中央部に位置するが、長野や神奈川・東京に比べ、山梨の縄文資料はほとんど見たことが無かったので非常に感激してしまった。

 川原田遺跡の焼町土器も、このタイプの土器を見たことが無かったので、非常に興味深かった。ただ、土器の勉強はしていないので詳しいことがわからず残念であった。

 さらに、長者ヶ原(糸魚川市)・寺地遺跡(青海町)とヒスイ製品・蛇紋岩製品の製作遺跡を見に行ったことのある私としては、境A遺跡の資料が見らてたのも非常にうれしかった。

 この他には、黒田清輝の「湖畔」や高村光雲の「老猿」など教科書で馴染み深い文化財をこの目で見ることができたのも幸運であった。

 特別展期間中だけなのかもしれないが、東博の開館時間が金曜日は20時までとなっていた。他の西洋美術館や東京都美術館なども遅くまでやっているようだが、すばらしい傾向である。

 ●東京国立博物館(99.4.30現在 新指定の特別展示についての詳しい情報は無い)



4月22日(木) 妻木晩田遺跡群の特集番組&背景
 ●以前、佐古先生にお知らせしていただき、楽しみにしていたテレビ朝日系列の妻木晩田遺跡群特集番組。しかし、開始時刻の9時55分を夜の9時だと勘違いして結局見ることができませんでした。だれかテープダビングして頂ける人いないでしょうか。メールください。よろしくおねがいします。
 ●昨日から背景を真っ黒にしました。以前から考えていたのですが、今回スタイルシートを少しいじってみました(トピックス以外は変えていないので見にくい所があります)。皆さんの感想をお願いします。


4月22日(木) 青海のヒスイ原石一部破壊
 今朝の朝日新聞で、天然記念物の青海町橋立のヒスイ原石の一部が縦横1m、厚さ20cmにわたって破壊され、盗まれたということを知った。そして新潟日報のサイトの関連記事によると、町は対策として石を移動し、囲いを設けるという。
 ヒスイは縄文時代の代表的な交易品であり、私もヒスイ製品生産遺跡を尋ねて青海や糸魚川へ行ったことがある。その時は、交通手段の問題で原石は見ることができなかったが、写真で見ると非常に美しいところで、ぜひ一度行ってみたい所である。その原石が破壊されたという。非常に残念なことである。なにより、自然の景観を破壊する囲いを設けざるを得ない状況になったことに強い憤りを感じる。
  新潟日報

4月22日(木) 縄文前期にイネ=農耕?
 本日の新聞によると岡山市の朝寝鼻貝塚からイネ・コムギ・ハトムギなどのプラントオパールが発見されたという。イネの存在は既に中期・後期・晩期のいくつかの遺跡出土の資料で明らかになっていたが、これが前期まで溯ることになる。
 朝日新聞には農耕とする各氏の意見を掲載されていたが、何十年も議論されてきた農耕についての問題がこれで解決する訳ではないだろう。ここでは新聞の記事に対する疑問を述べるにとどめる。


4月17日(土) 縄文の起源は16500年前!
 今日の朝日新聞夕刊はトップおよび社会面のかなりの紙面を使って、大平山元(1)遺跡出土の土器片の年代測定結果を報道した。AMS法を用いて名大で計測されたもので、通説より4500年ほど古いという結果が出たという。
 つい先日、三内丸山の土器を歴博で測定して、中期の年代が溯ることが明らかにされたことも考えると、今後、暦年代観が大幅に変わってゆくのだろう。
 世界のなかでの縄文の位置づけが、より明確になるということですね。  ただ、国内については編年が完備されており、縄文全体の枠組みが大きく変更することはないと思うのだが、どうなのだろうか?


4月17日(土) 笹山遺跡の火焔形土器国宝指定へ!
 昨日、文化財保護審議会が文化財指定の答申を行い、新潟県十日町市の笹山遺跡出土の火焔形土器57点ほか関連資料一括(928点)が国宝に指定されることになった。
 新潟県信濃川流域の豪雪地帯に分布する火焔形土器は、岡本太郎や梅原猛をはじめ多くの文化人に縄文を代表する芸術作品として広く知られているが、やはり私もその魅力に強く引かれてしまった。
 そして、馬高遺跡(長岡市)や、沖ノ原遺跡(津南町)、長者ヶ原遺跡(糸魚川市)などを訪れ土器を見てまわった。しかし、やはり笹山遺跡の土器は大きさ、スタイル、展示環境などの点で最も感動したものである。
 国宝指定は棚畑遺跡の縄文のビーナスに続くものだが、国宝級の縄文遺物はまだまだあるように思うので、今後もどんどん指定されることを望む。
 なお、同時に境A遺跡出土品(富山県・玉製品など)、一の沢遺跡出土品(山梨県・縄文中期)、川原田遺跡出土品(長野県・焼町土器など)が重文指定となる。
《関連情報》
 ・笹山遺跡出土品国宝へ(十日町市ホームページ)
 ・富山県境A遺跡出土品の重要文化財指定について(富山県文化財課)
 ・重文に大善寺・十二神将立像 文化財保護審 一の沢遺跡出土品も (山梨日日新聞社)
 ・御代田・川原田遺跡の焼町土器が重文に 審議会答申(信濃毎日新聞社 写真あり)


4月16日(金) 縄文学研究室復活しました
 なぜか、パスワード関係の操作を誤ってしまったようで、ここ数週間全く更新ができませんでしたが、ようやく復活することができました。4月から

4月9日(金) 祝・妻木晩田遺跡群全面保存決定
 今朝の朝日新聞で、ついに知事が保存を表明したことを知った。読売をはじめ先行報道が相次でいたため少し不安だったが、今度こそ本物であることが分かりうれしかった。
 既に応援団をはじめ、保存後の活用を求める多くの声が出ているようだが、今後はゆっくり時間をかけて活用方法を考えていって欲しいと思う。
 まずは、保存に向けて努力されてきた皆様、どうもお疲れ様でした。


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