トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
99年3月まで99年6月まで


9月11日(土) 岩宿遺跡発掘50周年
 日本の旧石器文化の存在証明に大きな役割を果たした明治大学による岩宿遺跡の発掘から昨日で50年経った。本当は記念のリンクページをアップしようと準備中だったのだが間に合わなかったので少し書いてみることにした。
 旧石器文化についての知識はほとんどないが、岩宿遺跡について考えるということは当時の学界の状況を考えるということに繋がってくる。そこで関連する本をいくつか読んだりしてみた。
 そこで分かったことは旧石器文化の存在はマンローだけではなく、その後も学者によって可能性が指摘されていたことや、在野の研究がなかなか認められなかったこと、明大の発掘であっても必ずしもすぐには受け入れられなかったこと、などなど。時代の差に驚きの連続だった。
 何よりも派閥というのか、官学の権威というのか、直接学問と関わらないはずの人間関係という大きな壁が、自由な研究の前に立ちはだかったいたということが新鮮だった。もちろんこれを評価する訳ではないが、緻密な科学的分析の上に成り立っていると思っていた学問がこんなにも人間臭いものだったということに驚いたのである。
 学史というのは考古学の中では唯一人間臭さを感じさせる分野である。だから、わざわざ学史を研究テーマの1つとしている先生方の客観的な解説書は面白くない。むしろ伝記や回想、追悼といった個人の主観によるもののほうが面白い。主観はあくまで主観であり、別の人の本ではいろいろ違う見方で書かれているので読んでいて飽きることはない。
 何かタイトルとは離れてしまったようなので戻そう。他の時代に比べると旧石器時代の学史では比較的民間の研究者の活躍が大きいように思われる。岩宿・茶臼山から上高森まで学史上重要な発見は民間の研究者によって行っている。
 まあこの指摘はどこかで聞いたことはあったかもしれない。では、それはどうしてなのか? 残念ながらこの答には未だにお目にかかっていないが、非常に興味深い問題である。


8月28日(土) 埋蔵金と埋蔵文化財
 インターネット情報誌『ISIZE あちゃら』10月号の、「埋蔵金で一攫千金」というページに、当サイトの「埋蔵文化財法令集」が掲載された。
 ライターの方から取材の申し込みのメールを頂いたのが8月1日。「埋蔵金で一攫千金」ということで、埋蔵金などについて情報やマップの掲載されたさまざまなホームページを紹介する…という企画だという。ここに、法令集を掲載し、あわせて注意事項があれば載せるということだ。
 はっきり言って、この申し出にはとまどった。自分のサイトが雑誌に載るのはうれしかったが、埋蔵金の特集で載るというのはいかがなものだろうか。私は埋蔵金などには興味はなく、そういうテレビ番組も一度も見たことが無い。しかも、当サイト掲載資料は大半が開発と文化財保護との調整がらみのもので、埋蔵金が含まれると思われる学術調査については扱っていない。つまり、なんか場違いだなあ、という思いがあった。ただ、折角の機会だし、友人のサイトへの若干の対抗もあり申し出をうけることにした。

 さて、先のメールには、 1)埋蔵文化財とは、簡単に言うとどういうものですか?(埋蔵金との違いは?) 2)埋蔵文化財を発掘する場合の注意点はどんなことですか? 3)もし埋蔵文化財を見つけたらどうすればいいのですか? 4)発掘した埋蔵文化財は、自分の所有物にできますか? 5)最後に、埋蔵金などで本当に一攫千金が可能だと思われますか? という質問事項が書かれていた。私はとりあえずの回答を作成し、知り合いや考古学サイトの管理人さんなど数人に意見を伺った。
 足りない部分を補足していただいたのだが、中には、かなり否定的な意見を寄せて下さった方もいた。曰く「回答したとおり載る保証もありませんし、変な閲覧者を呼ぶだけのような気もします。やっぱり回答しない方がいいと思いますけどね。」「おもしろ半分に掘り当てようなんて、墓泥棒と同じです。こんな質問、されるだけでも不愉快ですね。」
 言われてみれば確かにその通りである。だが、私自身は「埋蔵金で一攫千金」自体は反対だがそれを目指して推理するのは結構なゲームだと思うし、こうしてサイトを公開している以上、「無視」は卑怯ではないかと思う。
 ライターさんには、「文化財保護法の見地からは、「一攫千金」は無理である。/夢は大切だが、くれぐれも自分勝手な行動で国民の遺産を破壊することのないように。/当サイトが埋蔵金発掘に好意的という紹介は絶対に避けてください。」ということをお願いし、「埋蔵金発掘について賛成ではない、というスタンスで紹介してほしいとのことですが、もちろんご意見は原稿内容に反映させるつもりです。了解しました。」との返事を頂いた。
 そして今日。書店に並んだ雑誌を見てみた。まず、感じたのが「慎重に」という部分が意外に多くのスペースを割いて書かれているということだ。埋蔵金サイトの方も「土を掘るより資料を掘れ」という推理に重点を置いた発言をしているし、もう1人も発掘は慎重にと述べていた。
 さて、肝心な私の部分だが、正直言って一番不安な箇所を引用されていた。「もし、遺跡として登録されている場合・・・」というが、されていなければOKという印象を与えかねない。
 まあ、こういう特集をする以上「一攫千金は無理」というのは載せられないのだろう。回答の全文と要旨を掲載することにした。

 最後にこの問題に関して感じたこと。
 埋蔵金と埋蔵文化財について明確になっていないのはなぜだろうか?
 考古学サイトはたくさんあっても、ほとんどが「結果報告型」で、一般人が「〜したい」と思っても、そのための情報は得られないという状況でいいのだろうか?
 そして結局、考古学を趣味とする素人の意見がそのまま雑誌に載ってしまったが、これでいいのだろうか?

 埋蔵金に興味を持って来てくださった方へ
 取材と回答、それに対する返答


8月24日(火) 大場磐雄『日本考古學新講』
 今日、久しぶりに本の街−神田神保町へ行ってきました。
 当初の目的は、明治大学考古学博物館でやっている「岩宿発掘50年−旧石器研究の原点と足跡−」という特別展だったのですが、展示としては、はっきり言ってつまんなかったです。
 岩宿をはじめ学史上著名な遺跡の遺物を展示してある訳ですが、ガラスケースの中に僅かな説明と共に資料が並べられているだけなのです。もともと、常設展自体ただ遺物が並べてあるだけなので、ああいう展示になってしまうのも仕方がないのでしょうけど。
 ただ、これだけの旧石器をじっくり見たのは初めてでした。私は石器にはほとんど興味がなく、土器は拾っても、石器を拾ったことは無いのです。展示されていたのは黒曜石製が多かったのですが、改めて見て、その美しさに感動することができました。

 さて、坂を下ると本の街に出ます。ここに来るとつい衝動買いしてしまうので、半年に1回くらいしか来ません。新刊まで手を出しているとお金が持たないので、今回は中古で安くなっている本を探すことにしました。しかし、神田にはそういう店はあんまり無いんですね。専門書店には大部の報告書とか、有名な研究書とか、雑誌の揃えとか、高いものばかり…。
 その中で、1冊200円、しかも10冊以上なら100円というところがありました。並んでいるのは薄い概報や年報なのですが、注口土器展の図録や、中央道の調査成果概要、八ヶ岳山麓や糸魚川市の分布調査、前原遺跡の概報など思わぬ資料にびっくり。なんとか10冊探し出して買いました。特に探していた注口土器の図録がこんな安く手に入るとは。

 さて、帰りがけ、また別の書店に入りました。専門書店ではありませんが、そこには著名な考古学の古典がいくつか置いてありましたが、異様に安いのです。ここで、大場磐雄『日本考古学新講』(昭和23年 あしかび書房)を1000円で手に入れました。ネット上で検索したところ、さる書店では5000円の値がついていました。
 まあ値段は置いておいておきましょう。途中まで読んでいろいろ驚きました。冒頭の部分は今読んでも意味がある、むしろ現代の入門書よりもわかりやすいという印象をうけたのです。
 次に、旧石器文化について、マンローから明石人まで様々な指摘を紹介した上で、「具体的な実例に接する日も遠くないことゝ思ふ」と述べています。私は、いくつか指摘があったとは言え、岩宿発掘以前はほとんどの学者は考えていないものだと思っていたのです。岩宿発掘はこの本発行の翌年です。
 もう1つ、先史時代の記述についてです。まず石器、続いて骨角器、土偶、装身具、そして土器の順で解説されています。最近の本ではほとんど土器(編年)から入るので驚いてしまいました。また、学史が体系的に頭に入っている訳ではないので、この時期に縄文・弥生が併行していたと見られていたのにも驚きました。縄文・弥生共に、ある程度、内部の土器編年表は出来上がっているのに、両者の関係が分かっていないというのはどうしてなのでしょうか。縄文が弥生に先行する例はいくつか挙げられていましたが、それでもなお併行と考えられていたのです。(古墳時代以降についてはまだ読んでいないので省略)
 この本は隣に並んでいた昭和2年の本に比べ極端な軽さです。粗末な紙を使わざるをえなかったのでしょうか。戦後の大変さを実感しました。


8月19日(木) 考古学イラスト入りグッズ
 このトピックスも7月以来ですね。夏休みに入るとなぜかネタが見つからないのです。
 とはいえ、何もしないわけにはいかないので、Webサイトガイドに安芸佐穂子さんと、さかいひろこさんのサイトを追加しました。両人とも縄文のイラストで有名な方です。もう1人、妻木晩田や桜町の復元イラストを書かれている早川和子さんも忘れてはいけませんね。この人たちに限らず、最近のイラストは一般向けに書かれていますから、古代人がみな活き活きと楽しそうに描かれています。
 ところで、最近有名になった大きな遺跡や大きな展示会では考古学のデザインのグッズがいろいろ売られています。レプリカや絵葉書、テレカ、ノート、ファイル・・・。ところが私はいまいち買う気になれません。
 これは私だけの思い込みかもしれませんが、こういうイラストを考古学グッズにもっといかせたらと思います。早川さんのイラストは絵葉書として売られていますが、出土品の写真よりもイラストほうが断然心が和みますし、出土品など専門家はいくらでも別ルートで写真入手が可能な訳です。或いは、写真だとインパクトが強すぎるという問題もあります。それよりもちょっとした出土品のイラスト入りのカレンダーやブックマーク、便箋などあれば、と思います。
 と、書いた直後、株式会社ミュゼが制作している考古グッズのページをみつけました。こういう感じで各地の遺跡が紹介されたらとおもいます。

 早川さんの作品:
  妻木晩田遺跡復元画(みんなで考古学)桜町遺跡復元画(富山県)考古学は楽しい上淀廃寺復原画
 株式会社ミュゼの考古グッズ(博物館∞情報工房)


7月31日(土) ビール
 暑っちいですね。やっぱり夏だ。
 夏休みに入る直前からごたごたしたり、友達のことで悩んだりしてしばらく更新できませんでした。頭の中にはいくつか構想があるのですが、暑い中でそれらを実現していくのはなかなか困難です。
 それでも何もいじらないのは、と思って昨日背景を変えてみました。海とか風鈴とか涼しい柄にしようと思っていたのですが、素材集のサイトはかなりたくさんあります。そこで、適当に選んだサイトにビール柄があったのです。
 意味は大してありません。でも、何も変っていない当サイトをみて、ただそのまま帰っていただくのは申し訳ない。こうしておけば「そういえば飲みたいな」という気持ちになってもらえるのではないか、なんて考えてみたのです。決して私が飲みたいからではありません。


7月21日(水) 大山史前学研究所跡発掘へ
 昨日の朝日新聞に「研究所焼失、眠る「お宝」 考古遺物、発掘へ」という見出しで、大山史前学研究所跡の調査の記事が掲載された。
 目的や方法など具体的なことは分からない今の段階では大したことが言えないが、「戦災で失われた」とされていた遺物に再び日の目を浴びさせようとする試みは素晴らしいことだと思う。


7月21日(水) 二部のほうがいいのか? 考古学は技術屋か?
 先日、考古学では有名な首都圏のある大学のオープンキャンパスに行ってきました。そこでは学科毎の相談コーナーがあって、教員から大学のことをいろいろ聞くことができるのです。
 当然史学科のところへ行きましたが、残念ながら考古学の先生はいません。それでも中世史の教授からいろいろ聞くことができました。その先生は次のようなことをおっしゃったのです。
 「最近、考古の先生の話を聞くと二部の学生の方がおもしろいらしい。昼間にアルバイトで発掘して夜に理論をやる。考古学はやはり実践が一番だから。他の専攻だったら奨められないけど考古なら奨められる。君が1部に堂々と入れるなら失礼だけど、浪人するなら2部の方が良い。」
 こういう話は、お世話になっている市の教育委員会の方にもいわれたことがありますが、その時は冗談だと思っていました。しかし、行きたい大学の先生にそういうことを言われたら悩んでしまいます。
 実践が大切−確かにそれはそのとおりだと思います。より多くの実例を知っていることが研究を進める上で優位になるのは間違いありません。

 しかし、そもそも大学とは何をしに行くところなのでしょうか。大学を出て考古学の道に進むということは、ほとんどの場合「調査担当者」になることを意味する現代において、わざわざ学生時代から現場の数を競うことはないと思います。
 実際にどうなのかは知りませんが、『講義概要』を見ると、一部と二部の差は歴然としています。二部の考古学担当教員は3人ですが、一部では10人以上の講師が様々なテーマの講座をもっています。学生の間は、そうのような幅広い理論を学ぶことが大切なのではないでしょうか。

 さて、私の興味は精神文化史にあります。これは伊勢原の郷土史を調べていた頃から変わりません。そもそもはじめて興味を持った考古学の分野は「神道考古学」だったのです。ということは、考古だけやっている訳には行きません。当然民俗学や宗教学、古代史学、国文学にもそれなりの興味があります。特に民俗学には未だに強く惹かれるものがあります。
 そこで、民俗学の先生に聞いてみました。すると「両方やりたいなら考古へ行け」と言われました。結局考古学をやる場合、発掘・測量・分析・保管などでさまざまな技術を習得する必要があるという訳です。
 もちろんこの作業ができない人間の言うことなど考古学者は相手にしないということは分かります。しかし、それは最近できた「文化財学科」の役割ではないでしょうか。
 考古学の特徴は資料がモノであるということで、目的は他の歴史学と変わるところはないはずです。調査はあくまで資料収集の手段にすぎません。その資料を元に何をどのように考えるかが大事なのであって、大学ではまさにその部分を学ぶことが第一ではないでしょうか。

 最近よく聞かれる「大学行って何すんの?」という問いに対する現時点の回答を用意してみました。
 結論としては、大学における考古学=技術の習得だけではないはずだ、ということですが、そうかといって技術習得を軽視する訳ではありません。
 しかし、そういう技術は基礎中の基礎であり、それだけでは満足してはいけないと思います。その先が大事なのです。
 ※この話は、現在の考古学講座を批判するものでありません。ここで述べたのは、あくまで私が聞いた「考古は技術だ」という声に対する感想です。


7月17日(土) 最後まで聞きたかった議論〜桜町遺跡・縄文シンポジウム〜
 7月に入って以来、連続して桜町遺跡関係の話題である。  7月13日夜、有楽町のよみうりホールで、「桜町遺跡・縄文シンポジウム」が行われた。当初この日は体育祭前日だったので参加できないと思っていたのだが、雨で延期されたので少し遅れたが行ってみた。
 お陰で井沢元彦氏の基調講演はほとんど聞けなかったが、結論としては縄文の見直しが必要だということらしい。

 続いて「定住と祈り」をテーマとしたディスカッションが行われた。岡村道雄氏をコーディネーターとし、赤坂憲雄、泉拓良、西田正規、伊藤隆三の諸氏がパネリストを努めた。
 岡村さん・伊藤さんは、先日のシンポの際ある程度イメージが出来上がっていたが他の方のお話を実際に聞くのは初めてである。赤坂さんは私の大好きな民俗学者の一人である。私のイメージ通りで、当日も独自の視点で縄文社会についてコメントされた。泉・西田の両氏については本は読んだことがあるものの、詳しいことは知らなかったがとても楽しいお話であった。

 結局もう1つのテーマである「祈り」のほうはほとんど議論されずに終わってしまったのが、非常に残念である。これだけのメンバーで議論するのに1時間半という時間は短すぎるだろう。「時間を短く取ったのは、これを機に桜町を訪れて欲しいという陰謀です」などと主催者が言っていたが、それとこれとは別問題。話を聞きに来た者としては非常に苛立ちすら覚えた。これほど白熱した議論は聞いたことがなかったので残念でならない。
 内容については7月17日付『読売新聞』に掲載されているので詳しくは述べないが、実際に参加するのと、紙面を見るのとでは大違いであることが良く分かった。会場では岡村さんのつっこみや白熱した議論で、これまでで一番楽しませてもらった。しかし紙面ではそういう雰囲気は伝わってこない。


7月7日(水) 桜町遺跡
 いま、一番元気な縄文遺跡といえば桜町遺跡であろう。三内丸山や上野原なども衰えた訳ではないが、今はもう落ち着き始めている。
 これに対し、桜町遺跡については、フォーラムの開催、その成果をまとめたグラフの発行、絵葉書の発行などが行われ、今月下旬には「とやま縄文フェスティバル」が開催される。先日のシンポジウムでもかなり宣伝をしていた。
 遺跡公開、資料展示、建物復元、映画、コンサートなど様々な催しが行われるが、私が注目するのは「縄文サミット」や「全国遺跡ネットワーク会議」など全国の遺跡との連携である。遺跡が研究者だけではなく自治体・市民の手で活用されるようになってきたいま、このようなネットワークは重要なものになるに違いない。

 桜町遺跡といえば、その有機遺物は三内丸山に勝とも劣らない資料が出土している。加工のある建築部材は有名だが、その他にも貴重な資料が多い。
 しかし、中には「Y字材」など意味不明な遺物もある。これについて小矢部市ではホームページを使って意見を集めた。三内丸山をはじめインターネットで情報公開されている遺跡は少なくないが、パンフにもURLが記載されている桜町遺跡ほど積極的な所はないだろう。
 今回の縄文フェスティバルでも県のサイト内に詳しい案内ページが設けられており、私がこのイベントを知ったのもこのページのお陰である。

 それにしても、この遺跡が他の遺跡と違うのは、保存の可能性について何も議論されていないことではないだろうか。私はこれほど大騒ぎをするのだから、遺跡は保存されるのだろうと思っていたが、現在の調査が終わった後は、道路を組み替えて隣接部分を掘るというではないか。これほど騒がれた遺跡であるのに保存の声が上がらないのはどうしてだろうか? そのあたりの事情についてはよく分からないので素朴な疑問として付け加えておく。
 【桜町遺跡関係のサイト】
   小矢部市のサイト内:最新情報をはじめ、多くの写真と詳しい解説がある
   富山県文化課のサイト内:県と市で作ったパンフレットの内容を掲載
    とやま縄文フェスティバルのページ
   縄文からのメッセージ:読売新聞に3部にわたって連載された記事を収録。

7月7日(水) 縄文時代の階層と祭祀 〜シンポジウム「21世紀と縄文文化」〜
 大分遅れてしまったが、7月4日(日)、有楽町朝日ホールにおいて「21世紀と縄文文化」と題したシンポジウムが行われた。主催は苅谷俊介さん率いる土舞台である。
 10時の開会には間に合わず少し遅れての参加となってしまったが、とても充実した一日となった。
 岡村道雄さん(文化財調査官)の基調講演は「縄文時代の階層と祭祀」というものだったが、これが当日の一貫としたテーマであった。これは私の最も関心のあるテーマでもある。階層については、階層と階級との違い、その意義などについて分かりやすく解説された。祭祀については、より細かい分類の必要性を指摘され、その視点として場・道具・色・絵画を挙げられたのが印象的であった。
 岡村さんに続き、南茅部町教委の阿部千春さん(大船C遺跡)、青森県教育庁の岡田康博さん(三内丸山遺跡)、小矢部市教委の伊藤隆三さん(桜町遺跡)、安中市教委の大工原豊さん(関東甲信地方の環状遺構)、邪馬台国からやってきた高島忠平さん(吉野ケ里遺跡)の報告があり、各地の祭祀・階層関係の遺構・遺物が紹介された。
 いずれも大きな話題となった遺跡であるが、中でも大船C遺跡の報告が印象に残った。スライドのトラブルに見舞われたものの、その分長くお話を伺うことができた。屋内祭祀に2パターンあるということ、アイヌの「送り」を連想させるということなどである。屋内の祭壇としては甲信地方を中心とした石檀くらいしか頭に無かったので、奥壁をマウンドで囲って木柱や木幣を立てた祭壇があったというのはとても興味深く感じた。この2つの祭祀形態が双分制に関わるのかという点も気になる。また、南茅部で大量に生産された青竜刀形石製品について、大量の出土=生産遺跡=輸出と単純に考えていた私にとっては、自家用であるという報告にも驚いた。
 三内丸山については最近調査された配石墓の性格と、道の両側に延々と続く墓地の意味が問題になった。この遺跡について墓地の問題ばかりこれほど議論されたのは珍しいのではないだろうか。
 桜町については、集落の様子がはっきりしないため、報告は、特殊遺物と建物復元の話であった。この遺跡については改めて述べる。
 阿久遺跡や牛石遺跡、野村遺跡、天神原遺跡などわりと身近な 環状列石や配石墓を取り上げた大工原さんの報告は現象自体は既に知っていたものが多かったものの、その意味や社会背景、解釈については今まで知らなかったもので興味深い。
 また、吉野ヶ里を中心に縄文と弥生の違いについて述べた高島さんのお話もおもしろかった。
 
 午後は、苅谷さんを加え、NHKの毛利アナウンサーの司会でディスカッションが行われた。三内丸山遺跡の6本柱をどう捉えるかという問題から始まり、祭祀の問題から階層、そして葬送の問題へ話題が発展していった。
 慎重にことばを選ぶ若手に対し、岡村・高島両氏はまるで見てきたように話していたのがおもしろかった。従来から指摘されていた階層の問題が近年の調査により明らかになりつつあり、縄文は平等社会というかつての常識はもはや通用しないということが実感できた。
 話の結論としては、環状列石や「送り」から想定される再生観念など、「環」の思想こそ、21世紀に伝えるべきが縄文の思想であるということになったようだ。


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