飛鳥池遺跡の保存署名です。是非ご協力下さい。 リンク先は飛鳥池遺跡を考える会のサイト

トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
99年3月まで99年6月まで99年9月まで99年12月まで


12月31日(金) よいお年を
 1000年代最後の今日、私は18歳になりました。
 振り返ればやっぱりあっという間の99年。
 いろいろな人に支えられて本当に楽しい1年でした。
 それでは、みなさんよいお年を。


12月26日(日) 今年の考古学を振り返る(3)  私選1999年の考古学ニュース2

 《妻木晩田遺跡群の全面保存》
 伯耆大山の麓、鳥取県淀江町・大山町の日本海を望む丘陵上に位置する妻木晩田遺跡群。日本最大級の弥生集落とも言われ保存を求める声が上がっていたものの、調査が細かく分けて行われたこと、話題性のある発見が無かったことなどでマスコミの報道は弱く、全国的な知名度はかなり低かった。この問題について詳しく知ったのもインターネット上の資料からで、以後、当サイトでも何度か取り上げた。
 私がこのサイトで取り上げた昨年12月頃は既に、破壊か全面保存かという状況の中で、ただ県のみが共存案を唱えていて、その対応の不透明さが問題になっていた。昨年のうちに結論が出るとも言われていたが、ようやく4月に知事の引退会見で全面保存が発表された。むきばんだ応援団などの市民組織も発足し、イメージソング「おいで みんなここへ」も生まれ、11月には国の史跡指定を受けるなど整備・活用にむけて新たな動きが
 さて、一連の動きのなかで私が最も注目するのは保存運動でもインターネットの活用である。保存運動の中心となった佐古先生のみんなで考古学は動向を逐一知らせてくれたし、遺跡を紹介した小冊子をWeb上に再現したドキュメント 妻木晩田遺跡群、シンポジウムを収録したWNNのたのしい考古学などで基礎情報が提供された。また、自然と歴史と人間を考える会むきばんだ応援団も独自にサイトを開設し保存を呼びかけた。さらに、電子署名のページも開設され500人以上の署名を集めている。そして考古学や自然・文化を愛する人たちのサイトには、バーナーがおかれ、関連サイトへのリンクが張られた。実際にどの程度の影響があったのかは分からないが、新しい動きであることは言うまでもないだろう。

 《富本銭の発見》
 今年最初の大きなニュースは「日本最古のお金は和同開珎ではない」という奈良県飛鳥池遺跡からの富本銭の発見だった。
 この発見が私に大きな印象を与えたのは、教育現場での取扱いである。近年、「教科書を書き直す発見」など宣伝される大発見が相次いでいるが、そう簡単に教科書が変るはずもなく、学校や予備校などではほとんど影響が無い。実際、私には強い衝撃を与えた縄文のはじまりが数千年溯るという記事が出た直後のテストでも何も言われなかった。
 ところが、この富本銭は違った。発見当初から授業で取り上げられたし、予備校の今年度のテキストにも早くも掲載された。受験を控えた友人の会話にも登場する。この差は一体何なのか。おそらく文字資料との関わりであろう。和同開珎以前に貨幣があったこと文献に見えるようで、今回の発見はそれを裏付ける形になった。やはり文字は強い。
 現在、当時の技術を雄弁に語るこの飛鳥の工房は、万葉ミュージアム建設による破壊の危機に瀕している。遺跡は活用すると説明されているが、県の文化施設で貴重な遺跡されるというのは納得できない。既に工事は始まっているが、上のバーナーにあるように保存運動は続けられてている。

[関連ページ]
 奈文研 飛鳥池遺跡  古代の学舎 飛鳥池遺跡  飛鳥池遺跡を考える会  保存署名ページ  奈良県 万葉ミュージアム
12月24日(金) 指宿市・水迫遺跡から旧石器時代の集落
 今日で2学期も無事終了。明日からは短いながら冬休み。
 さて、朝日新聞夕刊一面は旧石器時代の集落の発見を報じた。指宿市の水迫遺跡から後期旧石器時代終末期の竪穴住居2棟、道路状遺構、石器製作場、杭列などが出土したという。
 この時代の住居はいくつか報告されているが、確実ではなく、まして集落となると全くといいほど分かっていないはずである。本当に集落と言えるのかは分からないが、縄文文化の起源を考える上で、貴重な資料となるのは間違いない。今後の調査・研究が期待される。

 南日本新聞のニュースページ
 中日新聞のニュースページ
 Yahoo 考古学(毎日新聞)のニュースページ


12月19日(日) 今年の考古学を振り返る(2)  私選1999年の考古学ニュース
 先日はアサヒグラフの回顧を紹介したが、今年は大きな遺跡の発見というよりも、各時代の様子をより具体的に示す資料がこつこつと発見された、つまり遺跡よりも遺物、という印象を受けた。
 それらの中から縄文関係を中心に今回は私の心に残ったニュースをいくつかまとめておきたいと思う。
 とはいえ、準備不足なので今日は項目を挙げるにとどめる。
 
  ・妻木晩田遺跡群の全面保存決定
  ・桜町遺跡のがんばり
  ・富本銭の発見
  ・真脇遺跡・是川中居遺跡の再調査
  ・AMS法による年代測定
  ・考古学サイトの開設
  ・カリンバ3遺跡の赤漆
  ・縄文前期のイネ


12月16日(木) 今年の考古学を振り返る(1)  アサヒグラフ「1999 古代史発掘総まくり」
 今年も残り僅かになってきた。月末まで「今年の考古学を振り返る」というシリーズを何回かに分けて書いていきたいと考えている。まずは他人の回顧の紹介から。

 恒例の「古代史発掘総まくり」を特集したアサヒグラフ(12月24日号)が昨日発売された。今年の表紙は池田遺跡の武人形埴輪のりりしい姿であった。取り上げられたのは全部で42遺跡。時代ごとに見ると先土器(今時珍しい表現)1、縄文9、弥生13、古墳8、歴史4、文字・絵7であり、特集は「弥生の四隅突出墳と大型墳丘墓」「古墳の祭り」+ハイライトとしてカリンバ3遺跡と飛鳥苑池遺構。森浩一氏の論評は「弥生時代農耕論の見直し」だった。アサヒグラフの方針もあると思うが、どうやら今年は弥生の年だったようだ。知らなかった遺跡も多いが、縄文関係の遺跡の中で印象に残ったものをいくつか述べたい。

 【カリンバ3遺跡】冒頭のの見開全面の写真は鮮やかな赤が衝撃的であった。さすがはグラフ誌、新聞記事やネット上の写真ではこの迫力は味わえない。
 【上野遺跡】岩手県一戸町。オオカミ形土製品の出土は初めて知ったが、これも面白い。縄文人は様々な動物の姿を残しており、オオカミの出土でまた1つ種類が増えた。この種の遺物については東北を中心に集成の動きがあったが、私もいずれ出土品による動植物図鑑のような形でまとめたい。
 【屋久島横峯遺跡】は西日本では群を抜く規模の集落だったという。屋久島はなんといっても縄文杉で知られる自然の宝庫であるが、その自然と共に縄文人の昔から人の暮らしがあったということは興味深い。
 【下宅部遺跡】東京都東村山市。飾り弓が出土している。私は弓道部に所属していたこともあり、実用外の弓の歴史にも興味があるが、獣骨や注口土器を伴った飾り弓の出土はその貴重な資料となるはずである。
 【居徳遺跡群】土佐市。ここの土偶はどこか縄文離れした顔つきである。「神の交代」と表現されている出土状態が興味深い。農具が出土しており、やはり縄文から弥生への過渡期なのであろうか。

 9日の欄を読みかえしてみて漢字の多さに驚いた。知らないことを無理に書こうとすると漢字ばかりで硬い文章になってしまうらしい。今回は縄文のみコメントしたのはそれを避けるためである。


12月9日(木) 相模国のはじまり〜相模地方の豪族と相模国の成立
 掲示板でもお知らせしたが、東海大学で「第10回足もとに眠る歴史展 相模国のはじまり」展が始まった。今日からと言うことで早速行ってみた。東海大学校地内遺跡調査団は東海大学関係の開発の事前調査を行っており、毎年「足もとに眠る歴史」展を開催してきたが、今年は10周年記念として“古代”を取り上げた。
 律令制が整う以前、相模国は師長(足柄平野)、相武(相模平野)、鎌倉別(三浦地区)という3つの勢力圏に分れていたと考えられている。今回の展示では古墳の様相、土器の様相、相模国の誕生と時期を大きく3つに分け、地域毎に馬具・埴輪等の副葬品、搬入土器、瓦、墨書土器など相模地方50ヵ所から集められた当該期の政治史を語る資料が展示されていた。
 もともと郷土史に興味があった関係で相模国のはじまりというテーマにも興味はあったのだが、古代の土器など見ても良く分からなかったが、環頭太刀柄頭や杏葉、須恵器などの伊勢原市三ノ宮地区の資料が南足柄や藤沢、三浦の類例と並んで展示されていたのは良かった。


11月20日(土) 妻木晩田・キトラ国史跡に
 信濃毎日新聞社のホームページによると妻木晩田遺跡、キトラ古墳などの国史跡指定が決まったという。
 全ての新聞社をチェックした訳ではないのだが、完全なリストが公開されていないのは残念。明日の朝刊を待つことになる。


11月19日(金) しし座流星群の夜
 33年周期で地球に接近するしし座流星群。過去には流星雨と呼ばれるほど大量の流星を見ることができたとあって昨年は全国的に盛り上がった。わが秦野高校天文気象部は昨年に引き続き観測合宿を行うことに成り、今年こそはということで校外へ出ることにした。天文気象部といってもメンバーの大半は生徒会本部と合唱部およびその友人。星を見るとの一緒に泊るのと、どちらが目的なのか?といった状況である。とはいえ、「しし座流星群高校生国際観測会」に参加し、1時間毎のデータをとることにした。
 ところが、観測場所についた時には既に空一面に雲が。9時頃には雨まで振り出す始末。他の学校の人も来ていたようだが、早々に帰ったらしい。私たちはいろいろ語り明かすことになった。
 3時頃にようやく雨が上がったという知らせが入り、観測がはじまった。雲が断続的に空を覆ったので正確なところは分からないが、2時間10分の観測で散在流星も含め約36個でした。
 結局、寒さだけが予想通りだった今回の観測会。しばらくは眠くて大変です。


11月11日(木) Yahoo! Japanの登録変更
 平成11年11月11日。
 ニュースによると11時11分には大騒ぎだったようですが、私のまわりでは、そんなことは無関係でした。11月に入って初めての更新となります。その間も毎日来て下さったみなさんありがとうございます。
 本日ようやくYahoo! Japanの登録変更が行われました。移転後すぐ代表的なサーチエンジンに登録・登録変更を行いましたが、変更の場合、一番先に対応してくれたのがNTT DIRECTORYでした。しかし、他のロボット系はいつになるか分かりません。しかもInfoseekはこのURLを受け付けてくれません。今でも来て下さる方が直前にいたサイト=リンク元のトップは旧サイトなのです。

 私の方は、いろいろ忙しくネタの仕入れもできません。ですから掲示板に何か書き込んで、せめて来ていただいた皆さんで楽しんでいただけたらと思います。感想でも情報の交換でも構いません。よろしくお願い致します。


11月11日(木) 丸石−縄文から道祖神へ
 11月3日に久しぶりに展示会を見てきた。1つは平塚市博物館の「相模の道祖神(さいのかみ)」、もう1つは南足柄市郷土資料館の「南足柄の縄文時代〜塚田遺跡を中心に」の2本だてである。原稿は翌日にはできていたのだが時間の関係で今日まで伸びてしまった。

 まず午前中は平塚である。相模の道祖神は例えば大磯の左義長、或いはNHKの「ふるさとの伝承」で紹介された秦野の道祖神などによって有名である。私も毎日道端の双体道祖神や文字塔を見て生活している。
 今回の特別展は県内の道祖神信仰を総合的に紹介したものである。山北の山車・大磯のオンベ・御仮屋を中心に配置し、石仏としての道祖神だけでなく、飾り立てられた、動きのある小正月の道祖神祭りの姿を見ることができた。
 私は道祖神について興味はあるもののまとまった勉強はしていなかったが、今回の展示でいろいろ面白い部分を見つけることができた。1つは、道祖神塔だけでなく五輪塔やその他の石仏が一緒になって道祖神としてまつられているということである。縄文の遺物と全く同じような石棒・丸石が現在も使われているのも驚きであった。そして、それらを含め、道祖神と一口に言っても本当に様々な要素によって成り立っているということを改めて実感した。
 また解説図録は県内の道祖神調査報告書を元に、県内の道祖神信仰の全体像を細かく分析して分かりやすく紹介して非常にありがたい1冊である。

 午後は父に車を出してもらい、南足柄へ。途中、大井町で自由民権運動で活躍した山口佐七郎の名の刻まれた筆子塚の見学につきあい、その後大雄山最乗寺の麓のキャンプ場入口にある資料館へと向かった。
 南足柄市は縄文遺跡の調査例は少ないものの配石関係の興味深い遺跡が多く発見されている。今回の 塚田遺跡を中心に馬場遺跡の注口土器等これまでに発見された市内の縄文の資料が展示されている。
 塚田遺跡は五領ヶ台期〜堀ノ内1期の環状?集落で、敷石住居を含む23棟の住居、配石群、埋甕、屋外炉、土坑(墓)、列石、帯状小礫群などからなる。全国的にも最大級の敷石住居や柄部から炉までの部分だけびっしりと石の敷かれた敷石住居、立石を伴う住居など興味深い遺構が多い。
 また、この遺跡は石棒の製作遺跡としても知られ、今回の展示でも製作途中の未製品が順番に並べられていた。3年前に訪れた飛騨の塩屋金精神社遺跡と同じようなものを遠く離れたこの地で見るとは思わなかった。
 また、今回の展示では塚田遺跡のほか、五段畑遺跡の資料も展示されている。この遺跡からは中期の住居のほか、後期〜晩期の配石・立石・複雑な石棺墓などが検出され、また土偶、注口土器、異形台付土器、石刀、勾玉、大型耳飾、人面付中空土版、有孔球状土製品、硬玉製大珠などの第2の道具の集中は県内でも極めて珍しい例である。これらはガラスケースの中におさまっていたが、実は私は昨年の終わり頃に遺跡を見学させていただき、遺構についたままの石刀・石棒を見たり、異形台付土器や土版、土偶などを直接触らせていただいた。現地で見る資料とガラスケースの中の資料とは雲泥の差があることを改めて思い知らされた。

 さて、この展示での一番の感動は、先程平塚で見た丸石と全く同じといっていいような丸石が塚田遺跡の住居出土ということで展示されていたことである。残念ながらどちらも図録には載っていないのだが、数千年の時を超えて同じものが使われていると言うことにひどく感動した。

 なお、帰りがけ塚田遺跡の最大級かつ最も保存の敷石住居が移築保存されていると言うことで見に行った。なるほど、この辺りで見る敷石住居と比べかなり大きい。わが伊勢原市の三ノ宮下谷戸遺跡の敷石住居も大きいとされてきたが、それ以上であろうか。


10月29日(金) カリンバ3遺跡の腰帯
 10月26日の朝日新聞夕刊トップは「縄文後期の墓穴から腰帯」と題する記事で、北海道恵庭市のカリンバ3遺跡から赤漆に染み込んだ腰帯が発見されたことを、赤漆の鮮やかな写真とともに報じている。この帯は、縄文時代初の完形の布製装飾品で、帯の出土例としても従来よりも1500年早いものだという。そして「動物の毛皮をまとった縄文人のイメージは根本的な変更を迫られるだろう」という考古学関係社のコメントや、「国宝級 この遺跡の破壊は、人類の損失です。」という服飾史の武田佐知子教授のコメントを掲載している。
 ところが、28日の夕刊で、腰帯は、布製ではなく茎を束ねたものであると訂正する記事が掲載された。そして、本日(29日)の朝刊では、腰帯・櫛・腕輪など80点近い漆製品が出土した、優れた漆加工技術と高い美的センスを物語る遺跡として捉える記事が掲載された。

 縄文人が服を着ていたこと、布を持っていたことは、既に分かっていたことで、数年前の縄文ブームの時は、まず服装観の転換が言われたのに、この発見が大発見として取り扱われることには正直言って驚いた。だが、一方では、腰帯の貴重性だけでなく、出土状況や遺跡の概要についても比較的詳しく説明されていた点は評価できると感じた。
 ところが、腰帯は布ではなかった。もしも最初から茎だと分かっていたら、あそこまで大きな扱いではなかっただろう。本日の記事は、優れた漆製品の出土したカリンバ遺跡は重要な遺跡であることを改めて伝えているが、最古の布であったとしても、最初からこのように扱うべきだったと思う。

 この腰帯の出土した墓穴は3人の女性が埋葬され、遺体の上にベンガラがまかれ、櫛7点・腕輪4点・髪飾り5点・勾玉ほかの装飾品が出土したという。加工技術史の資料にとどまらず、社会制度・葬制の資料としてもかなり重要な資料となるのは間違いないだろう。記事では文化庁も遺跡の価値に関心を寄せているというが、折角全国紙トップに取り上げられたのだから、破壊されることなく保存されることを期待したい。



10月9日(土) 役行者と修験道の世界
 昨日の朝日新聞夕刊で、東武美術館で開催中の特別展「役行者と修験道の世界〜山岳信仰の秘宝〜」の案内記事を見て、早速見学してきた。来年が役行者没後1300年となるのを記念して、修験道の本山である醍醐寺・聖護院・金峯山寺が主催者となり、この3寺のほか、大峰・羽黒・日光・富士・熊野・英彦など全国の修験関係の資料が集められた。海外から里帰りした資料もある。
 市内には石尊大権現として知られた大山不動や日本三大薬師の1つである日向薬師という修験道の行場があり、また私のテーマの1つである山岳信仰の一形態として、修験道には興味を持っていた。この特別展にも大山からは鉄不動の脇童子の1体が出展されており、また大山不動をつくるためにまず作られたという「試みの不動」(鎌倉・覚園寺)も展示されていた。
 まず、各時代・各地域の役行者像、続いて蔵王権現像、懸仏、不動や観音・地蔵・孔雀明王など各地の本尊の展示が続く。この辺りは、知識もないのでここでは紹介しない。ただ、片足で飛び上がった蔵王権現像のユニークな形とバランスの良さには感動した。
 今回、私が見たかったのは、祭祀(神道・仏教)考古学が対象とする経塚遺物などの山中の出土品である。それらは思ったよりも多く展示されており、藤原道長が金峯山に埋めた経筒や、熊野の金銅仏、羽黒山の羽黒鏡、二荒山や求菩提山の経筒丸々、などなど興味深いものばかりであった。
 今まで修験道に関しては興味は持っていたものの、実際にこのような資料を見たのは初めてである。貴族から民衆まで多くの人の信仰を物語る遺物は決して品質の高いものではないかもしれないが、その分、とても面白い資料であった。
 この特別展は10月17日までで、その後11月2日〜12月5日に大阪市立美術館でも開催される。

 東武美術館のページ


10月7日(木) 金沢市で旧町名復活へ
 今朝、電車内で隣の人の産経新聞の中で「失われた都市の顔取り戻したい 金沢市が旧町名復活の動き 全国初」という記事が目に留まった。住居表示に関する法律で「尾張町」となった地域が、近世以来の「主計町」に戻されるという。記事によれば一旦変更された地名の復活の運動はこれまでもあったらしいが、書類等の書き直しが面倒で実現されたことはなかったらしい。金沢市では続いてもう2つの地名を復活させ、今後も市民の要請次第で実施するという。
 地名は土地と人間との深いつながりを示すもので、重要な歴史資料であることは今更言うまでもない。例えば私の街「伊勢原」は江戸時代のはじめに伊勢国の商人が開いたという事実を反映している。また、「市ノ坪」という小字名は条里制度の名残だが、数百年の時がたった今も使われている。このように、その場所にいつ何が起きたかが推察できるような例は枚挙に暇がない。
 しかし、最近になって宅地造成が行われ、○○台・□□ヶ丘などといった全く新しい地名が付けられたりする。自然環境や遺跡や民俗とともに地名も失われていったのである。将来、「20世紀後半に開発されたのだろう」などと歴史的価値が出てくるという考え方もあるかもしれない。しかし、地名は自然・遺跡・民俗などとは違い、使いさえすれば生き残るのである。いかにも新興住宅地という名称よりも、時代を超えて生き残った地名を引継ぐ方がはるかに文化的ではないだろうか。
 金沢市の試みは、近年になって作られた適当な地名を、由緒ある歴史的な地名に改めるということを実践した素晴らしい試みであろう。


10月4日(月) 新サーバーへの移転
 本日をもって、縄文学研究室は Geocities から Virtual Avenue へと移転した。
 Geocitiesは日本の代表的な無料ホームページサービスだが、URLが長い、FTPソフトが使えない、広告がページ内に入ってしまう等の欠点があった。
 9月になりGeocitiesのシステムの変更に伴い、コミュニティー名も変更( Berkerey → CollegeLife )されることになった。(同時にFTPソフトも使えるようになったが遅い対応である)
 一方ほぼ同じころ、フリーチケットを利用している友人からアメリカの無料サービスへ移転するという話を聞いただ。ここはCGI・SSIの使用OK、FTPソフトOK、そしてURLが非常に短いということであった。広告はページ内に入る代わりにポップアップ式になっている。

 どのみちコミュニティー名の変更をお知らせしなければならない。ならばこの機にサーバーを移転してしまおうと決めた。CGIもさることながら、http://www.geocities.co.jp/CallegeLife/2678/ という大文字・小文字混じった長いURLが http://jomongaku.virtualave.net という、サイト名がサブドメインに組み込まれたシンプルなURLになることが最大の理由である。
 この機に、構造・レイアウトのリニューアルも考えたのだが、プログラムの記述変更などで移転は思ったよりも面倒だったのでできなかった。やはり、このシンプルなレイアウトは私の好きなスタイルなので、これ以外のものを考えるのはなかなか難しいのだ。

 そろそろ、受験モードに入らざるを得ないので、更新頻度は落ちると思いますが、今後とも縄文学研究室をどうぞよろしくお願いいたします。
 なお、同時にメールアドレスも変更いたしました。

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