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トピックス

−ニュースや身近の話題について私の意見・感想を書くコーナーです−
99年3月まで99年6月まで99年9月まで99年12月まで


3月27日(月) 大場磐雄写真資料のデジタル化
 國學院大學では文部省の学術フロンティア拠点の指定を受け、日本文化研究所を中心として「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」を行っている。具体的には大場磐雄先生の残された写真等のデジタル化で、その事業の一環として3月25日(土)、大塚初重先生による講演、「大場磐雄博士と登呂遺跡」が行われた。研究所の山内さんのお誘いをうけ、渋谷の常盤松校舎へ向かった。合格後はじめての國學院大學である。
 まず、中心となってプロジェクトを進めている椙山林継教授からプロジェクトの概要等の簡単な挨拶があり、その後大塚先生のお話が始まった。
 登呂遺跡について、単に学術上の価値だけでなく、「戦後の日本人の明日の生活に勇気を与えた遺跡として永久に称えられる」と評価された。そのような話はいろいろな所で読んで知ってはいたものの、やはり実際に体験された方のお話はリアルで印象深いものである。後半は、『楽石雑筆』を元に昭和18年頃調査を巡る県・文部省との関係や、戦後の調査での他の委員との関係を述べられたりしたが、大塚先生は、博士の行動力・学問・真実への深い思いは並大抵のものではないという点を力説された。
 また、話の随所で有名な先生方が登場し、その裏話なども披露されたが、「今の私に大きな影響を与えた先生方が國學院大學にはいっぱいいるんだなあ」ということを改めて感じた。

 とはいえ、過去のことばかり考えていても仕方がない。
 私にとっての問題は先人の残された資料をどのように活用するか、ということである
 実は私は先週まで戸籍の電算化に関わるアルバイトをしており(作業自体は汚れ落しという非常に単純なものだが)、“戸籍の管理システム”づくりを垣間見ていた。また、東大総合研究博物館の特別展「デジタルミュージアム2000」とそのWebサイトも見たばかりである。データベースを今後どのように活用するかという点について考えはじめた所だったので、それを深く考えるには絶好の機会である。


3月20日(月) 「あすか」についてNHKが釈明
 3月18日の信濃毎日新聞によると、NHKの連続テレビ小説「あすか」について、文化庁は視聴者が誤解を招く表現があったと注文をつけNHK担当者が釈明に出向いたという。
 2月5日付けトピックスや「総務の部屋」で 話題となった問題であるが、私はそう簡単な問題ではないと思っている。
 この番組が多くの人に誤解を与えたのは確かである。しかし「あすか」で問題となったのは個人住宅ではなく小店舗である。営利目的の場合どこまで公費負担できるのか。私としても興味深い問題なので、制度上の問題について現在関連資料を収集中である。

 信濃毎日新聞:連続ドラマ「あすか」に文化庁注文


3月16日(金) 特別展観 日本列島60万年−考古遺物でつづる歴史絵巻−
 昨日、東京国立博物館の考古展示「特別展観 日本列島60万年−考古遺物でつづる歴史絵巻−」を見学してきた。
 平成館のオープン記念企画で昨年10月から行われていたもので、早く見たかったのだが、会期終了近くになってようやく行くことができた。
 本館の奥に聳える馬鹿でかく、天井の高い、四角いだけの建物は最近の博物館の建物のイメージからは外れるが、東博の本館を考えれば十分納得できる。
 目指す考古展示室はこの平成館の1階東側にあり、入口では伝馬高遺跡出土の立派な火焔形土器、伝香川県出土の銅鐸、挂甲の武人埴輪と秋草文壺(?・・・実はこれには気にとめていなかった)などが迎えてくれた。今回の展示では展示室の外側を通史展示として12の時期に分け、内側をテーマ展示として19のテーマにわけ、それぞれのテーマにあった資料を展示している。もちろん東博の資料自体は以前と変らないので改めて見直すという資料が多いが、60万年の歴史を語る資料はそう簡単には見終わらず、じっくりと見ることができたのは古代までであった。
 東博の資料は教科書や美術全集などでお馴染みのものが多いが、今回の展示では宮城・長野・北海道の旧石器や、男体山や大峯山の出土品など東博所蔵以外の著名な考古資料も借用されてきており、そのガイドブックはそのまま日本考古学の概説となっている。縄文関係の借用品としては花見山遺跡の土器、津金御所前遺跡の誕生土器、笹山遺跡の火焔形土器、その名の元になった宮内庁所蔵の御物石器、是川遺跡の漆器などがあった。
 以前見た資料でも、やはり明るいところできれいに並べられると美しい。ただ、展示方法としてはオーソドックスなガラスケースにキャプション、文字解説というスタイルで、ここはやはり美術館だ、ということを実感した。そんな中で家形埴輪の一群と人物・動物埴輪の一群が露出展示されていたのは非常に新鮮であった。
 この特別展観は3月26日(日)までということだが、借用品等は別として、多少の入れ替えはあるものの大部分の資料はそのまま展示されるということである。私はこの後、不忍池を抜け、東京大学の総合研究博物館へ向かったが、その話は次回にしよう。
 東京国立博物館特別展観 日本列島60万年−考古遺物でつづる歴史絵巻− 展示品リストあり


2月19日(土) 第13回考古資料展 〜下谷戸遺跡が語る三ノ宮のむかし〜
 以前掲示板でもお知らせしたが、今週末伊勢原市の中央公民館で表記のミニ展示会が行われている。

 昨年の3月1日付けトピックスでも書いたように、文化財の宝庫といわれているにも関わらず伊勢原市には専用の公開・活用施設はない。そのため、公民館まつりや文化財保護週間などにあわせ、出土品や大山浮世絵等の資料の一部分を数日だけ公民館の1室で公開しているのである。

 何度か御手伝いしているので、今年もと思っていたのだが、合格発表と時期が重なってしまい、私が行ったときには既に資料が並べられている状態であった。今年は(財)かながわ考古学財団との共催で、財団が調査した三ノ宮・下谷戸遺跡の資料を中心に伊勢原市教育委員会で調査した三ノ宮地区の資料を加えて旧石器〜近世の遺物と写真パネルが展示されている。
 下谷戸遺跡は1965年の東名高速道路の建設に先立ち、國學院大學が調査し、弥生末〜古墳時代の住居跡や縄文後期の特殊遺構(現在は何種類かの敷石住居の周堤礫や環礫方形配石などが組み合わさった遺構と考えられている)が発見された。三ノ宮比々多神社に移築され市の史跡となっているが、今の目から見れば調査は未熟だといわざるを得ず、しかも、雑誌での簡単な概要報告だけで正式な報告もなく、市教委には僅かに数点の写真と全体の遺構図しか資料はない。詳細は全く不明である。
 そのような状態であったのだが、92年から東名高速道路の拡幅工事に先立ち両サイドを神奈川県立埋蔵文化財センター(のち(財)かながわ考古学財団)が調査し、旧石器時代〜草創期、中期〜後期、古墳、中世〜近世の各分野において大きな成果があった。(詳しいことは報告書が出た後「いせはらの縄文遺跡」で紹介したい)

 私は昨日の午前中受付の手伝いをした。展示やパンフレットには個々の遺物についての解説はなく、見た人の質問に答えるというスタンスのようなので、いろいろ質問される。歴史好きで周辺の展示会・講演会など見ていられる人の細かい質問には答えられないが、保育園の園児をはじめ専門的知識の無い人たちは、身近な観点から質問されることが多い。このような質問は毎回同じようなもので私にも答えられるようになってきて、とても楽しいものであった。

 また、毎回「触れるコーナー」があるのだが、今回は土器片や石器だけでなく、土偶やほぼ完形の椀、古代の皿など割と貴重そうな資料も手にとって触れることができる。また、財団・市教委それぞれ土器拓本や遺物の写真をデザインした「しおり」を作り配っている。お近くで興味のある方はぜひいらして下さい。

  2月20日(日)16:00まで 問合せ:伊勢原市中央公民館(0463-93-7500)


2月19日(土) 進路決まりました
 おかげさまで、國學院大學文学部史学科に合格することができました。御声援、本当にありがとうございました。

 歴史・考古・民俗の分野で定評のあるこの大学は、それぞれの専門書を開く度に執筆された先生の所属・出身校として名前を見てきたこと、全国に先輩がいること、そして、考古学のなかでも縄文時代の研究は随一であること、などの理由でずっと前からあこがれていた大学です。

 今のところ具体的なことは何も分かりません。しかし、これまでは「高校生」のサイトということで、注目していただいたところもあると思いますが、最近大学生のサイトが増えてきています。それらの中に飲み込まれないよう、一層の充実を図りたいと思います。
 今後ともよろしくお願い致します。


2月10日(木) 追悼 宮田登先生

2月7日(月) 祝 5000アクセス突破! 1周年!
 本日、5000アクセスを突破致しました。アクセスしていただいた皆様、本当にありがとうございます。
 そして、気が付けば当サイトを開設してから既に1年を過ぎておりました。

 この間多くの方からのメールで励ましの言葉や貴重なご指摘を頂戴致しました。
 今は記念企画は用意できませんが、4月からはより充実したサイトに生まれ変わりたいと思っています。

 今後ともどうぞよろしくお願い致します。


2月7日(月) 八ヶ岳縄文王国の危機
 昨夜、長野県の文化財担当の方からメールをいただいた。
 ・・・残念ながら、八ヶ岳山麓の茅野市、原村の縄文遺跡は、近年の圃場整備により壊滅状況にあります。遺跡だけではなく、台地の高いところを削って谷を埋めながら平坦部を造るため、八ヶ岳の裾野に広がる縄文的な景観までが失われていっています。・・・長野県教育委員会では、5年ほど前から、この開発事業から一つでも多くの縄文遺跡を残すため、地元教育委員会や長野県考古学会の助力を得て、詳細分布調査や試掘調査を行い、一昨年茅野市駒形遺跡を史跡に指定していただきました。  茅野市や原村には、まだ若干の著名な縄文遺跡が遺されていますが、もはや風前の灯火。これからの長野県の縄文文化研究は『報告書考古学』になってしまうのではないかと焦慮しています。さいわい富士見町には、井戸尻編年にも登場する著名な遺跡がまだ遺されていますので、今後、史跡指定に向けて準備をしているところです。・・・地方分権一括法案が可決され、いよいよ今年4月からは新しい文化財保護法が施行 されます。まさに、地域の文化財は地域がたいせつに守っていく時代に突入するわけですが、その矢先にあってはならない出来事と言わざるを得ません。・・・
 トピックス6月22日の新発見考古速報展の聖石遺跡についてと、先日の原村の事件についてのご指摘の一部である。国特別史跡尖石、国史跡阿久、井戸尻をはじめ、諏訪郡一帯の八ヶ岳西南麓は縄文遺跡の宝庫であり、私の憧れの地でもあった。本格的調査が行われたのは中央道関係程度かと思っていたのだが、圃場整備で遺跡が消えていっていき、しかも景観までも失われつつあるというのは非常に残念でならない。
 この地域は縄文集落論・領域論の絶好のフィールドでもあった。宮坂・戸沢・勅使河原諸氏の研究を見て、調査=遺跡破壊が行われていなくてもこのような研究ができるのかと非常に感激した覚えがある。それが消えてしまうという。「重要な遺跡(大集落)」だけでなく、それを支えた中小の集落、キャンプ地等などが一体となって残っているところに価値があるという指摘を聞いたことを思い出す。
 縄文王国を標榜する長野県らしい対応を期待したい。


2月5日(土) 古都の考古学 夢と現実 〜「あすか」を見て〜
 NHKの連続テレビ小説、暇なおばさん達が見るものと思っていたが、夏休み・冬休みなどには続けてみることも多い。そうすると、なかなか面白いものが多く新学期が来て見られなくなるのを残念に思ったものである。。
 現在放送されているのは「あすか」。京都の老舗を舞台とした菓子職人の女の子の物語であるが、その名の通り明日香村も重要な舞台となっており、そこで育った主人公の幼なじみとして「ハカセ」と呼ばれる青年も登場する。この「ハカセ」は小さい頃から考古学が好きな少年で、亀石をスケッチしたり、主人公に勾玉をプレゼントしたりするのだが、周囲の反対で建設会社に就職。それでも夢をあきらられず明日香村に通い、そのことが原因で恋人とも別れる羽目になってしまった。
 京都・奈良は文化財の宝庫であるが、逆に文化財だらけとも言える。数千年の伝統の上に現在の生活がある訳で、古都保存法をはじめとするさまざまな規制がかけられている。そんな古都で、夢と現実との間でゆれる「ハカセ」の姿はなかなか興味深いものである。そして今、大きな問題が現れた。
 毎回見ている訳ではないが、今朝見たら興味深い状況になっていた。主人公の両親が奈良にのれん分けすることになったのだが、その建設予定地で遺物が発見されたのだ。一度は胸のうちにしまおうとした「ハカセ」だが、主人公に「あなたの一番大事なものでしょう」と言われ、遺跡を発見したことを明らかにする。建設会社の上司は、そういうことはたまにはあるが、一々調査していたら金がかかって大変だというようなことを言う。主人公の父親は一応調査を認めるが、母親は費用のことを考え困惑する。
 遺跡をなかったことにしようとする建設会社の姿勢は論外で、部長をぶんなぐって「文化を守るといいながら」と社長に直談判しようとする「ハカセ」は格好いいのだが、一方で予想外の負担を抱えることになった側としては大変である。古都に遺跡があるのは当たり前だとも思うのだが、これは奈良に限ったことではあるまい。全国どこでもそのような状況はあるのだろう。原因者負担という原則は仕方ないといえば仕方ないが、それが原因で遺跡が抹殺されるような事態になるのは悲しいことだ。今後の展開が気になるところである。
 (見ているという人がどれだけいるか不安で、今回はいつになく状況説明が長くなってしまった。)

 連続テレビ小説「あすか」(NHK):あらすじ、キャスト、見所、和菓子の豆知識など。


1月16日(日) 三ノ宮比々多神社の縄文土器と黒曜石
比々多神社の土器・黒曜石
 15日(土)の午後、遅れ馳せながら比々多神社へ初詣に訪れた。
 いずれ「伊勢原の縄文遺跡」で取り上げるつもりだが、この神社は式内社で相模国の三の宮という格式を誇る古社である。境内一帯は縄文草創期からの大集落と見られ、周辺の古墳群からは県内有数の馬具の出土がある。私がはじめて土器を拾った思い出の地でもある。中学の帰りなどによく拾いに行ったが、しばらく行っていなかった。
 久しぶりに行ったが、土器片がぱらぱら落ちている。全て拾っても仕方ないので、中期と後期の土器を少々拾ってきた。また、今回はじめて石を拾うことができた。削り取られた黒曜石である。土器は分かりやすいのだが、石器はなぜか今まで拾える機会が無かったのだ。


1月1日(土) HAPPY NEW MILLENNIUM

 無事に2000年の第1日がはじまりました。
 大きな節目の年、さまざまなことに挑戦していきたいと思います。
 本年も「縄文学研究室」をどうぞよろしくお願いいたします。

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